ふと目を開けると、そこには見知らぬ光景が広がっていた。
 ああ、また乗り過ごしたのか。
 僕は溜息を吐きながら、ゆっくりと汽車から降りた。けたたましい音と真っ黒な煙を吐き出しながら、汽車は僕を置き去りにして走り出す。遠ざかって行く黒い塊をぼんやりと見送りながら、ひと気の無い駅を宛ても無く歩いた。
 汽車にのっていて乗り過ごす事はよくある事で。僕はつい汽車の中で寝てしまうから、見知らぬ土地に行くこともしばしばあった。
 見知らぬ土地には、当然のことながら見知らぬ人がいる。僕は見知らぬ人と会える事が嫌いでは無かったし、この世界はそれなりに愉快だ。その時々で楽しまなければ損だろう。行きすぎてしまったのなら戻れば良いだけのことだ。
 僕は今日も例に洩れず、適当な心づもりでこの駅に降り立った。
 駅を出ると、辺りはだだっ広い草原だった。なかなかに寂れた場所らしい。見渡す限り人はいなかった。目印になるようなものも無い。
 さて、どうしようか。一面緑色のこの景色では、誰かと出会えるとは思えないし、何か面白い事柄があるとも思えない。
 再度駅に戻ろうかと踵を返しかけたとき、ふと何かが視界に映った。一面同じ高さの草原に、それはたった一本だけひょろ長く立っていた。暗くてよく見えない。
 僕は少しだけ興味を唆られ、ひょろ長いそれに近付いて行った。ざく、ざく。土と草が折れる音が響く。
 色が判別できる程度の場所に来ると、目も慣れてきたのかようやく細部も見えるようになってきた。
 それは全身が赤茶色で、中途半端な箇所に薄い円形の金具がはまっていた。所々欠けたり曲がったり、錆び付いていたりはするが、間違いない。日本刀だ。
 しかし、何故こんなところに日本刀が。駅を降りた時には確かに見当たらなかったのに。不思議に思いながら、そっと柄を掴んだ。
 途端、背筋にぞくりと寒気が走った。誰か、いる。
「誰、」
 ゆっくりと振り返ると、そこには淡く発光した人間が立っていた。現代では見かけない鎧姿で、微動だにせず、ただ佇んで此方を見詰めている。
 人間じゃ、ないよな。僕は目を眇めてそれを観察した。ざんばらな髪。陰っていてよく見えない顔。徐々に視線を下方にやると、右肩からやけにすっきりしたシルエットを描いていることに気が付いた。――右腕が、無い。
「あんた、」
 言いかけながら刀から手を離すと、人影は嘘のようにふっと消えた。後には素知らぬ顔で揺れる草ばかり。
 僕は一つ息を吐き、駅に向かって歩きだした。
 恐ろしくはなかった。ただ、どっと噴き出した汗だけが不快だった。
 見えないはずの顔から、重く鋭い視線を感じた。敵意と殺意と恨みと、様々な感情が込められた暗い眼孔が、見えた気がした。
 駅に戻ると、まるで狙っていたかのように汽車がやってきた。僕は汽車に乗り込みながら、先程まで居た草原を振り返って見た。刀が何処の位置にあったかは分からないが、ぼんやりと光る人影だけはしっかり見えた。何かを探すように、ゆっくりと辺りを歩き回っている。
「難儀なもんだね、」
 死んでも戦い続けると言うのだろうか。右腕が無ければ刀は持てない。
 この世界は中々に愉快だと思うけれど、あの人影にとってはどのような世界なのだろう。憎しみ、悲しみ、恨み、それは誰に対してなのか。自分を殺した奴なのか、死んでもなお離れてしまった右腕を探す自分なのか。
 どれだけ無くしたものを探しても、もうその時には戻れやしないのに。過去にも、汽車みたく停車駅があればいいのにね。
「眠……」
 次の停車駅に着くまで、少しだけ寝ようか。僕はあの人影と違って、まだいくらでも戻れるのだから。
 走り出した汽車の窓から、段々小さくなりながらも彷徨い続ける人影を見詰め、大きく欠伸をした。
 さよなら。来世では、お幸せに。


企画提出作品:kiko
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