わたしは入道雲を眺めていた。川縁に寝転がって。

午前中までなにもなかった水平線の向こうから、ゆっくり、でもどんどん発生してくる入道雲。

もこもこ、もこもこ、とそれは発生してくる。

それを眺めていると、わたしは、イングリッシュスコーンを焼くときのことを思い浮かべる。

オーブンに入れられたスコーンを見つめていると、少しずつ、もこもこ、もこもこ、と膨らんでいくのがわかる。そのようすは、入道雲の生まれるようすと、とてもよく似ていて、わたしはそのどちらも大好きだ。

例は他にもたくさんある。きのこの成長も近いと思う。YouTubeで、きのこが成長する過程を撮影した動画を、わたしは一時期むさぼるように見ていた。

昔、そんな自分の嗜好を同性の友達何人かに話したら、引かれたり、同意されたりしたっけ。

今は、それがいかにも露骨なアナロジーだとわかっているから、安易に口に出したりしない。もう、大人だから。

いい大人がなんで平日の真っ昼間に土手で無為に過ごしているかというと、わたしの日常が世間の人びととは違うタイムスケジュールで動いているから。

別にそれを幸せとも不幸せとも思わない。よくわからない。

常識が通用しない出来事ばかりで、わたしはちょっとだけ疲れていた。

だから、なんとなくぼうっと、心が慰められる物事を求めていた。それで、今の季節なら、きのこでもスコーンでもなく、入道雲だと。

瞑想とか、マインドフルネスとか、全然そんな意識高い系の行為じゃない。わたしは雑念のぽこぽこ浮かぶままに任せていた。

あの入道雲のあの辺ならわたしでも乗れそう。わたしは心がピュアじゃないし、運動神経だって足りないけど、たぶん、きっと可能だ。そう、空想のなかなら。

ひょこっ。

そんな擬音が聞こえてきそうな仕草で、わたしが寝そべったその上に顔を覗かせたのは、Lだ。

「ユメ、何してるんですか」

「そんなのんきな話しかけ方する探偵さんいる?」わたしは空想の邪魔をされて若干腹を立てながらLに言った。

Lは相変わらずの表情で飄々と答えた。

「あなたがのんきにしてるから、合わせたんですよ。あえてです」

「失礼ね。考え事してたのよ」

「最近、レスだなあ、寂しいなあ、とか、ですか?」

「正解」

「褒美をください」

「別に欲しくもないくせに」

「欲しいですよ」

「Lの気まぐれに付き合ってられないって言ってるの」

「今、時間が作れたので、あなたを探して、ここに来ました」

「それはどうも」

「妻が冷たい、と新聞の投書欄に応募しましょうか」

「回答者にも冷たいコメントを返されるんでしょ?」

「おそらく、残念ながら」

「それでちょっとでも反省できるなら試してみたら? 本名で」

「またいつかノート所持者が現れたときが怖いのでしません」

「ねえ、今も楽しい? あなたのライフワークは」

「絶頂期ほどではありませんが、今も楽しいですよ、言うまでもなく。楽しくなかったら続いていません」

「わたしも、一定の範囲内という制約があるとはいえ、かなり自分の好きなように生活させてもらって、ありがたいと思ってるよ」

「でも、何かが足りないんですね」

「入道雲を見てぼうっとしてたのは、そのせいかな」入道雲がすっかり頭上まで差し掛かった空を見て、Lのほうは見ずに、わたしは言った。「わたしの価値は、Lがどんどん偉大になっていくのをサポートすることだけで終わるのかも、と考えると、ちょっと無念だなあって」

「欲深いですね」

「それはそう思う。贅沢だよね」

「私も、ユメをサポートしたいと常に思ってるんですよ。知ってましたか?」

「知らなかった。わたしの何をサポートするの?」わたしは驚いて、Lを見た。

Lは、真面目な顔で、話した。「あなたがあなたらしく生活することを、です。ユメがユメらしく生活する、それだけでユメの存在はスパークしてるんです。好きなことをして、好きなように生きてください。私もそうするし、ユメにもそうしてほしい。そんな身勝手な私達が一緒に生きていく。最高じゃないですか」

「わたしはわたしの思うように生きる。そのなかで価値はあらゆる場面で発揮される。そういうこと?」

「その通りです」

「ふむ」わたしは微妙にうなずいた。

「お手伝いさせてください」Lは正座して、ぺこりと頭を下げた。ぼさぼさの頭を、わたしはわしづかみして、Lのおもてを上げさけた。

「現状、Lがわたしをとてもリスペクトしてくれてることはわかった」わたしはLを見つめて言った。

「はい」Lとわたしは見つめ合っていた。

「わたしの次の行動は」

「はい」

「とりあえず、眠い」わたしはしょぼしょぼしてきた目をさわりながら言った。「眠りたい。昨晩、徹夜でデータまとめたの忘れてた」

「よくそれでさっきまで起きたままぼうっとしていられましたね」

「出来が違うのよ」

「一緒に昼寝しますか」冗談を言うわたしへの、Lからの軽やかな誘いだった。

「うん。ちょっとだけ寝よう」わたしは答えた。「暗くなってきたし、遠くで雷の音も聞こえる。きっとどしゃ降りになるね」

「戻りましょう」

「今日、本当に時間あるの?」

「ユメの心がけ次第です」

「なんか偉そうね」

「偉いですから」

「なに? 雷の音で聞こえなかった」

「この遅い川の水の流れが聞こえるほど静かでしたよ」

「それ、いいね。詩的な表現で好き。Lはそんなつもりで言ってないだろうけど」

「もう一回言いましょうか?」

「あはは。じゃあせっかくだから」

「せーの」

「え、わたしも?」

「せーの」

ちょうどその時、本当に雷が鳴って、ぽつぽつと来た。わたしたちは慌てずに歩いて部屋に帰った。濡れてもちっとも問題なかったから。

夕立の間、わたしたちは久しぶりに二人一緒にベッドのなかで過ごした。

うたた寝から目覚めると、薄闇だった。窓からはさやけく月明かりが射している。時計を見ると時刻は22時過ぎ。

隣にLはいなかった。

わたしはそっとベッドを出て、窓を開け放った。

どしゃ降りを運んできた雲はまたどこかに去ってしまい、半月の浮かぶ晴天の夜空で、辺りは静かだった。

わたしは、街の外れにある川が、今この瞬間、音もなく、ゆっくりと流れているであろうことを想った。

Lが戻るまで、わたしは余韻に浸っていた。

「ユメ」

部屋に戻ってきたLの声に、わたしは振り返った。

たぶん、ふ抜けた顔をしていたのだろう。Lはわたしに「今日はもうこのまま寝てください」と言った。その声が、優しかった。

わたしはLの優しさを、未来永劫わたしのなかに留めておきたい、そう思った。

「寝ちゃうのがもったいないな」とわたしは言った。「月がこんなにきれいなんだもん」

その日、わたしのなかで新しい命が宿ったことを、もちろんわたしはまだ知らなかったのだ。

だから、時間ができるだけゆっくり進むようにと、その時のわたしは強く願ったのだった。


「Happy Slow」
20190827





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