溢れるはずだった優しさが行き場をなくして固まった。

 わたしは飲んでいたティーカップを落とした。ティーカップは大げさな音を立てて割れた。けれどそれはまるでスローモーションのような割れ方だった。音だけが冷徹に響いて、映像は静かに率直に事実を伝えていた。……わたしはフリーズした世界を見ていた。

 苦痛がわたしを襲った。しかし苦しみはある種の甘さを伴っていた。苦しみの甘ったるさに、慰められたのは確かだった。わたしは罪悪感を覚えた。慰められてはいけないのに、わたしは現実を歪め、甘受しようとしている。けして慰められてはならないのに。未来永劫、Lの死を、生前の別れを惜しまなければならないというのに。

 Lの死をうまく受け入れられないわたしは、こう考えるようになった。彼の精神はまだわたしのなかで生きてる。記憶の中にだけ住む人だけれど、いまでもわたしをそっとつなぎとめてる。わたしは今だって彼と共にある。なにしろ多くの時間を共にした。思い出はたくさんある。物的な証拠はないけれど、この頭の中に記憶はたくさん残されてる。そうだ。これからの日々はLとの軌跡を振り返ることで過ごしてゆける。

 ……わたしはフリーズした世界を見ていた。

 わたしは写真を撮るようになった。もうめいっぱい、好きなだけ好きなものを撮っていいのだ。Lのよく使っていた食器や、いつもそばに置いていたマイクや、愛用していたジーンズなど、残されたものは多い。

 それ以外にも、わたしはLと共に訪れた場所に再度出向いて、ふたりで見た景色なんかを写真にうつした。

 わたしはフリーズした世界を見ていた。

 わたしは自分の部屋で休んでいた。窓を見上げると今日も明るい月夜だった。Lとの日々を取り返すことに奔走して疲れたわたしは、ふと思った。もうそろそろ一人で、この世界を観察しはじめるにはいい頃かもしれない。楽しいことや愛しいものでわたしたちの時間を埋め尽くすという、かつてはLと共有していたささいな野望を、わたしは再確認したかった。ねえ、一人で過ごすわたしの、最後の日までに、せめてこの世で思い出づくりしたいの。わたしがそう告げたら、L、あなたは笑って協力してくれる? 仕方ないなって肯いてくれる?

 わたしはフリーズした世界を見ていたのだ……。

 わたしは一歩、外に出て、夜空を見上げた。かすかに瞬いて、死者たちがひそやかに悲しみを語り合っているかのような星空だった。真冬の花火が空中に凍り付いたようで、ふと消えてしまいそうで、それでいて手の届きそうなくらいの近さを感じさせた。

 思わずシャッターを切った。それから一人白い息をもらしながら、少しだけ泣いた。


真冬の星々
2016.10.6






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