「プールに行こうよ!」 「ロジャーに準備させましょう」 そして現れたビニールプール。この小さい入れ物のなかでどうやってだいのおとな二人遊べって言うの! 陽炎 「ねえニア。ここはたしかに快適。年中快適な気温が保たれているし、虫の一匹だっていない。でもずっとこんなところにいたら、飽きちゃう! せっかく外の世界は変化に満ちているのに、どうして全く変化のない空間に閉じこもっていられるの!?」 「やるべきことはいくらでもあるし、幸いなことにやりたいことのいくつかは容易に叶えることができます。変化はありますよ。わたしの玩具コレクションは年々規模を拡大しています」 「ニアはそれで楽しいだろうけど、ふつうの人なら飽きちゃうの!」 「では、ユメはこの暮らしを捨てて南国旅行にでも出ようと考えているんですか?」 「そういうことじゃなくって!」少々芝居じみた雰囲気でニアが言うので、わたしは声を高くした。「たまにはここを出て散歩とかしようよ」 「必要か不要かで言ったら、不要ですね。わたしは今の生活で事足りているし、ユメがいますから」 こういうときだけわたしの名前を出すのはずるい。わたしはそう言った。 「じゃあユメは何が望みなんですか。率直に言って」 本当はニアのその腰の重さにじれったさを感じて、少しの変化も起こしたいという気持ちになっているというのが正直なところなのだが、そんな子どもじみた感情を口にしようものなら自分の沽券に関わると疑わないわたしは、意地を張ってこう言った。「お祭りに行こうよ!」 「いやです」 「即答!」わたしは打ちひしがれて言った。 「第一に、人が多すぎる。第二に、うるさい。第三に、暑苦しい。以上」 聞いてもいないのにニアはそう告げると、わたしからくるりと背を向けて玩具いじりに奔走しはじめた。 わたしは根負けしてうなずいた。 「たしかに、人は多すぎるし、うるさいし、暑苦しいかもしれない。でも、楽しいんだよ! 今度あるの。考えといて」 「善処します」 そんな日本人まがいの返答に辟易しながら、わたしは言った。「でもほかに、夏らしいことしないと、もったいないって。せっかくのハイシーズンなんだから」 「夏になると狂ったかのようにテンションが上がるのは、われわれ欧米人の悪習です」とニアは言った。「私は日本人のように、インドアでおとなしく、しかし快適に過ごしましょう」 「それはそうかもしれないけど」わたしは言い返した。「じゃあニアはわたしたちに冬に湖で泳げって言うの? フィンランド人じゃあるまいし」 「プールなら、冬でも入れますよ」 「プールだって夏の風物詩だよ! プール行きたい、プール行きたい! プール行こうよ!」 ……そして今に至る。 「まずはユメからどうぞ」 「やだ毒味か何かするみたいに! ふつうは紳士が先に入ってレディが服を脱ぐことの抵抗感を減らしてくれるものじゃないの?」 「じゃあ脱がせてください」ニアはそう言って腕をだらんと伸ばして見せた。 「着替えてくる! ニアは自分で脱いで!」と言い残してわたしは自室に行った。 帰ってくるとニアは恨めしそうにこちらを見ていた。わたしは水着の上にラフなワンピースを着ている。 「なに?」 「部屋の空調を……切ったでしょう……」 「はてなんのことやら? あ、たしかに暑いね。どっちにしろこの暑さなら、屋上庭園にビニールプールを持っていくしかないね! 景色がずっとよくなるよ!」 「全面ガラス張りの部屋がありますよ。空調もあるでしょう。ロジャーを……」 「ロジャーは忙しいってさっき言ってたよ。回線もしばらくつながらないって!」 「先にやられたか……」舌打ちをするニア。 「ほら、運ぼうよ、プール!」 「こういうときは頭が回るんですね」あきらめたのか、ニアはプールの反対側をつかんで持ち上げてくれた。 「まあなんだかんだと言っても、ふだんわがままもなくおとなしくお手伝いをしているわたしだからこそ、できることかな」 「自分で言うほどだから、自信があるんでしょうね」じろりとニアが見る。 「エレベーターのなかは涼しいね」 「いっそこのなかでいいじゃないですか」 「太陽のしたで水浴びしたいの〜!」 「ほら着いてしまいましたよ」ニアが言った。 エレベーターが開くと、外の熱気が入ってきた。これぞまさに夏だ。 ニアはまぶしいらしく、目をしょぼしょぼさせている。 しかしあまりの暑さからか、自分でシャツを脱ぎ始め、ズボン一丁になって水の中に飛び込んだ。 わたしもワンピースを脱いで、照りつけるような日差しに肌をさらした。 せまいので、お互いの体をくっつけながら、水をかけあった。ニアは夏も盛りの太陽のもとでは、なんとなく動きが緩慢で、気だるそうにさえ見えたが、それは実際にそうだという以上に太陽の日差しの効果だった。 遊び終えたあとではわたしも気だるく、屋上庭園に置かれたベンチに体を横たえた。 ニアはおもむろにプールからあがると、ベンチに寝ているわたしのうえに覆いかぶさった。 やはり動きはゆったりと午後の光のなかで緩慢だった。 息を切らしながらわたしは、ニアの肩越しに見える景色を見た。立ちのぼる陽炎が何本も揺らめいていた。 どことなく官能を呼び起こすような状況下で、わたしはニアの腕にすがった。 「こんなところで?」 「めまいとかしませんか」 「ううん。平気。でもカメラが……」 「見ないように言いつけてありますから心配ありませんよ」 つながれた手は汗でぐっしょりと濡れていた。 その後、二人でプールに入り汗を流した。 「思ったより悪くなかったですね」と満足げなのはわたし以上にニアのほうだった。 「あとでちゃんとデータを消させてね!」 「そういうわけにはいきません。なにか非常の事態があった場合に困りますから」 「なにか非常の事態って?」 「たとえばユメがここを脱走したとき、等です」 わたしが目をぱちくりさせると、ニアはわたしの腕を引いて頬に口づけて言った。「まさか。冗談ですよ」 「冗談言わないで!」 陽炎の下で 2016.9.9 back |