落ちていく毛先をはらう。風がそれをさらっていく。小春日和。

 公園で髪を切るのはすてきだ。やさしくて、どこか寂しい。

 思いが募って、わたしは目の前にいる人の背中を抱いた。

 季節の合間に少し涼しくなってきた空気の中で、互いの体温のあたたかいのを感じる。

 いとおしくて、離れたくない。

 「終わったよ、ニア」

 ニアは今日、この町を去る。

 「どう? 頭が少しは軽くなった?」

 「はい。さっぱりしました」

 「ちくちくしない?」

 「そうでもないです」そう言って自分の頭をなでるニア。残っていた毛がはらはらと落ちていく。

 「ニアの毛はやわらかいからね」

 わたしもニアの髪にさらさらと触れる。太陽を透かして、なんてきれい。

 「まだ帰りたくないです」

 「帰るもなにも、あとはもう荷物を部屋に取りに行くだけでしょう」とわたしは言う。

 「もう少しここにいたいと言ったんです」とニアは唇をとがらせて言う。

 「でも、ロジャーが迎えを手配して待ってくれてるよ」

 「それはそうですが」とニアは言って、黙った。

 ニアはわたしの願いをあえて聞き出そうとはしなかった。わたしも、ずっと本当の気持ちを押さえていて、一度素直になったら今にも泣き出しそうで、懸命にこらえていた。

 見上げれば空に飛行機雲が走っている。ニアも今晩、飛行機に乗ってアメリカへと旅立つのだということを、思い出さずにはいられない。

 本当はアメリカまでもどこまでもついていきたかったけれど、ニアがそれを止めた。危険だから、と言った。

 わたしたちは最後にふたりで散歩に出ることを許されて、公園に来ていた。

 最後の時が迫っている。

 わたしはベンチに座って、隣にいるニアの手を取った。

 ふいにニアが言った。

 「いつか、迎えに行きますと言ったら、信じてくれますか」

 わたしは泣きそうになって、立ち上がった。そしてニアの言葉には返事せずに歩き出す。

 ニアもわたしのうしろをついてきて、次の言葉を探しているようだった。

 ニアが次の言葉を選ぶ前に、わたしは答えを返した。ひどくあいまいな答えだった。

 千以上の言葉を並べても、いい尽くせない思いがある。

 その数々を伝えたかったけれど、わたしは紡がれる自分の言葉の頼りなさに、悲しみをがまんできなかった。

 ニアはわたしの手にそっと触れた。

 公園のだだっ広い景色の中、空にはまだ飛行機雲がかかっていた。

 わたしは思い切って最後にひとつお願いをした。「わたしの髪も切って」とわたしは言った。

 ニアは快諾してくれた。

 もう一度ベンチに座ると、ニアは後ろに立ってはさみを開いたり閉じたりした。

 切るたびに、風がわたしの髪の毛を運んでいった。

 昼下がりの太陽はあたたかくて、切ないほどだった。

 こんなにもやさしい別れの時を迎えるなんて、ふたりで幼い時間を過ごしていた頃には思いもしなかった。

 あしたからはニアのいない生活が始まるのだと思うと、不思議だった。どんなに離れても、ニアといる時間はどこまでも続いていきそうな気がしていた。

 「あしたから、どうやって時間を過ごそうかな」わたしはそう言った。「わたしだけの、穏やかな時間を過ごせると思うと、楽しみ」

 ニアは返事をしなかった。

 髪の毛を切っていく音だけが風に舞う。

 「飛行機雲、なかなか消えないね」空を仰いでわたしは言った。

 「時々、ほんの少し空を見上げて、ユメのことを考えると思います」

 ふいにニアが言った。わたしはニアの言葉に、目頭が熱くなるのを感じていた。上を向いていたので、涙がこぼれてくるまで時間がかかった。

 はさみの音が止まった。ふりむいたら、ニアがなだれるようにわたしの身体を抱きすくめた。

 「くすぐったいよ」

 努めて明るく言ったら、かえってつらい涙声になった。

 「髪、切ってくれてありがとう」

 わたしはニアの背中に手を回して言った。ニアはこくりとうなずいた。

 あたたかい秋の午後、思い出しては胸が苦しくなるニアの面影は、暮れていく陽の中に揺れて、いつまでもそこに残っていた。


千以上の言葉を並べても
2016.9.15






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