息をつく暇もないくらいだった。

 「ニア、苦しいよ」

 わたしたちは互いの欲望を持て余して、途方に暮れながらも求め合うことをやめられずにいた。

 「ニア」

 わたしと同じように身体を熱くして息を切らすニアは、わたしに覆いかぶさりながら絶望的な表情をしていた。

 自分が失望されたのではないかという思いから、わたしは不安になってニアの顔に手を添えた。

 ニアは自分に差し伸べられたわたしの手をつかむと、そのままベッドに押さえつけた。ニアのせっぱ詰まった表情がわたしの気持ちをはやらせた。

 そこは病気をした子どもたちがつれていかれる医務室で、ぷんと鼻をつくのは棚に並べられた薬品のにおいだった。

 わたしは保健体育の授業中に体調不良を訴えてここに来た。ベッドに入ってからもしばらく眠れずにいたが、もう少しで夢の中に入りそうなところで新たな来室者があって、わたしはねぼけまなこをうっすらと開いた。

 声を聞いていて、隣のベッドにいるのがニアだとわかったとき、わたしの意識は完全に目覚めた。

 ドアを閉める音がした。医務室の先生が退室したのだ。とたんにニアはベッドとベッドの間を仕切っていたカーテンをいきおいよく開けると、驚いて目を見開いたわたしのもとへとやってきた。それから「ユメは熱があるんですか」と言った。

 「うん。少し身体が熱いかな」どぎまぎしながらわたしは答えた。「で、ニアは?」

 「寒気がします。でも、熱がある」ニアは言った。「それと、めまい」

 「眠ってたほうがいいんじゃない?」

 ニアは目をしかめて、おでこに手を当てながらうっとうしそうな顔をした。ほんとうに具合が悪そうに見えた。

 「頭が痛すぎて、眠れません」

 「わたしにうつす気?」

 「うつす気はないんですが」

 わたしは黙った。ニアも黙っていた。変な沈黙の間だった。どちらとも、沈黙を気まずいとは思っていないみたいだった。ふたりが向かい合い会話するうえで、必要な段階を経ているといった、不思議な了解がふたりのあいだを流れていた。

 ニアはおもむろに、額をわたしの額にそっと当てた。目の前にニアしか見えなくなった。わたしはどうしたらいいのかわからなくなった。とりあえず感じたのは、ニアの額の熱さだった。ニア熱いよ、と言うと、ユメも、という答えだった。

 それからはどちらからともなく口づけが始まった。体調の不具合も相まって、目の奥がスパークするみたいだった。

 「ニア」

 名前を呼んでも、返事はなかった。初めての事を処理するのに夢中だった。

 わたしも経験がなかった。

 「ニア、ねえ、ニア」

 「はい」

 ようやく返事したニアは、いつになく鋭い眼光を放ちながらも、どこかまぶたが重たげだった。たぶん、わたしも似たようなものだったのだろう。ニアはわたしの目をじっと見つめた。そしてその細くてきれいな指先でわたしの涙をぬぐった。わたしは泣いていた。しかしわたしだけではなかった。ニアも、涙を流していた。

 わたしたちはそのとき何かを手に入れかけていたようで、それと同時に今まで手にしていた幸福の何もかもを失ってしまうような思いに、とらわれていたのだった。

 涙を見せ合ったことで、ニアは迷ったようだった。迷いながら、涙をすくったその手をわたしの頭にやり、自分のことを後回しにして、やさしくなでてくれた。

 それからわたしの上から身体をどけてベッドを降りて、その横に立つと、わたしの熱い額に口づけた。

 「続きは体調が元に戻ってから検討しましょう」

 もしこんなことを言ったら不機嫌にさせてしまうだろうけれど、弱ったわたしのそばで、懸命におとなびた態度でふるまおうとするニアが、いじらしくて、いとおしかった。

 「風邪を引いていたから血迷ったのではないと、信じてくれますか」

 いつにないニアの不器用な優しさがうれしくて、それでいてなぜか悲しくて、わたしはこくりとただうなずいた。

 ニアはわたしのそばに立って自分の髪をいじりながら、もそもそとつぶやくように気遣う言葉をくれたのだった。

 しばらくして、ドアを開ける音がすると、ニアはすばやく自分のいたベッドのほうへと移動してからカーテンを開け、「もう具合がよくなったようなので、教室に帰ります」と教員に言った。そして医務室を出ていったが、その足取りがふらふらと頼りないものだったことをわたしは知らない。

 取り残されたわたしは、すっかり目が冴えて、まだ熱い身体を抱きしめていた。

 ニアの真剣なまなざしを思い出して、胸が強く打つのを感じていた。

 いつまでもこの微熱が続きそうで、どうにかなってしまいそうで、でもどこかでそれを望んでいる自分がいることも、どんなに否定しようと、自覚せずにはいられないのだった。


医務室のにおい
2016.9.15






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