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げほげほ、とそれ程までに酷くない咳を抑え、わたしはベットから起き上がった。1階に降りても、誰もいないなんてこと分かっているのに、癖で「あれ、体温計って何処だっけ」なんて言ってしまっている。脇の下に差し込んだ体温計が小さくピピッと電子音を鳴らした。見てみると、37.9度。朝にあった38.6度の熱は少し下がったものの、まだ全快とは言えないのが歯がゆかった。冷蔵庫に入っている熱冷ましシートを取り出し、自分の額に貼り付けた。冷たくて心地よい。ふぅ、と息を大きく吸って吐いて、もう一度寝ようと2階へ上がろうとしたとき、放置していた携帯が光っているのを見つけた。それは、メールが来ていることを知らせるもの。どうやらわたしが午前中寝ている間に、誰かメールでもくれたのか。まさか、彼だったりして。想像しておいて辞めた。そんなことあるわけないし、第一彼は今きっと学校で授業を受けているはず。いくら高校で携帯の持ち込みが許されているとしても、今は授業を受けている時間帯。決して、放課中ではないはず。だから、バカみたいな期待はよしておこう。彼からは学校終わった後にでもメールがくれば、わたしは満足出来ると思っている。きっと、多分。
言い訳じみた言葉を並べ、頭の中で浮かんだ淡い期待をうち消した。メールの相手はきっと友だちだ。だって彼女は放課中だろうが授業中だろうが、自分のしたいときにメールやら何やらする子なんだから。マイペースなんだか、自分勝手なんだか、付き合いの長いわたしに取ってみればそれは今更のことでいちいち気に留めるようなことではない。携帯を開き、新着メールを確認する。目を疑った。誰もいない部屋で、「は、え?」なんて呆けた声がよく響いている。メールは、彼だった。まさか、とは思っていたけど。わたしの中で優等生なイメージの強い彼が、こんな時間帯にメールを送ってくるなんて……心配を、してくれた?淡い期待が、少し大きなものへと変化する。内容は、とても短くシンプルだった。やっぱり、彼からだ。
『風邪大丈夫なん?帰りに寄ってくわ』
別に、来なくてもいいのに。無愛想な感情が膨れあがる。心配してくれるのは嬉しいけど、来てもらう程酷いものでもない。微熱と呼べるものはまだ体内に残っているが、こんなもの今から寝て夕方になれば治るに決まっている。彼が来る、必要なんてないのに。もしわたしの風邪が移ってしまったりでもしたら、わたしの責任じゃないか。今まで皆勤賞でやって来たきみが……、別に、いいのに。返信には素っ気なく答えて置いた。『来なくても平気だから。大丈夫』――流石に無愛想すぎただろうか。ちょっとこの文面じゃ、不機嫌なように感じられる。心配してくれているのに、失礼だろうに。だけど、訂正しようと思わなかった。明日学校にちゃんと行って、謝ればいいか。そういえば昨日、明日楽しみやな!なんて彼は笑顔で笑っていたけど、何だったんだろうか。大切なことを忘れている気がしなくも、ない、が、とりあえず寝てから考えることにした。





インターホンが鳴る音で、目が覚めた。窓から差し込む光はオレンジ色で、時計が指す時刻は4時を切っている。あぁ、もうこんな時間か。未だに焦点が定まっていない目を擦り、母が帰ってきたことを確認するために1階へ降りていった。覗き込むように見えるそこからは台所に明かりが点いていることで、それは母の帰宅を示していた。……と、思っていた。お母さん、お帰り。いつもの口調で、何気ない素振りで、人影に話しかけると、振り返ったそれは彼だった。

「え、え、えぇ?何で、マサキ君がいるの……?」
「おぉ起きたか名前。言ったとおり、帰りに寄ってきたで」
「……あれ、わたし大丈夫だからってメールしなかったっけ?」
「貰ったけど、心配やったしなぁ」

あのメールには、大した意味が込められていなかったのか。肩を落とすわたしを気にもせず「そういや熱下がったん?」いつもの調子でマサキ君は話し出した。受け取った体温計をもう一度脇に挟み、数分後に数値が現れた。36.4度、平熱だ。無事下がったことを確認すると、マサキ君が頭をくしゃくしゃと撫でてきた。いやだ、風邪で寝込んでちょっと汗もかいてて、それ以前に今わたしはパジャマ姿だというのに。思えば気付いて、羞恥に包まれる。今ここで動揺を見せてしまったら、マサキ君と気まずい雰囲気になってしまうだろう。折角来てくれたのに、それだけは避けたかった。
あ、そういえば今日学校はどうだった?出来るだけ話題を変えようと試みてみるが、不意にこつんと、頭に何かが当たった。彼が、軟らかい表情で手に持っているものが目に入る。何ですか、これは。受け取ったそれは上品らしい紙包みで包装され、まるでプレゼントのようだ。

「あの、これ何?」
「は?お前本気で言っとんの?今日何の日か知っとる?」
「…わたし、誕生日じゃない」
「ちゃうわ!バレンタインやろ」
「…あぁ」

カレンダーを見てみると、確かに今日は2月14日。バレンタインデーだった。如何せん、朝から熱に侵されそれどころではなかった。そういえば確かに、彼に対してチョコレートを作ろうと試みて、結局どうなったんだっけ……。昨日妹が半泣きの状態でわたしの作った苦いチョコレートを頬張っていた気がする。そういえばわたし、失敗してヤケになっていた気がするなぁ。

「どうせ熱で作れなかったんやろ、せやから代わりに」
「マサキ君がくれるのね。な、何だか新鮮で嬉しいよ」
「あーそれ学校の帰りに寄って買ったもんやから、手作りとかちゃうけど、まぁ食べたって」
「そんな、気にしてないよ。ありがとう!」

だって本音を言えば、未だに今日がバレンタインでマサキ君からチョコもらってっていうことに頭が付いて行ってないんだから。だけど、そうか。手にある確かな感触を確かめ、ほんのりと温かい気分が広がっていく。もう一度ありがとう、そう言いたかったのに言えなかった。遮られたと言うべきか、何と言うべきか。気付けばわたしはマサキ君の腕の中で、それどころじゃなかったのかもしれない。

「え、マサキ君?!」
「ホワイトデー、楽しみにしとってもええ?」
「……わたし、あんまりお菓子作りって得意じゃないんだけど」
「んなら別に食べ物じゃなくてもええわ。何か違うもんで」
「……分かった」

ゆっくりと頷き、やっぱり未だに状況が掴めていないバカな頭に言い聞かせる。自分は今抱きしめられたりしたんだとかホワイトデーに何かしら返す約束をしたのだとか。一気に押し寄せてきたのは羞恥の感情で、まともにマサキ君の顔が見られなくなってしまった。続かない言葉を無理に続けようと出てくるのは歯切れの悪いものばかりで、その様子をじっと見ているマサキ君の顔は、一体どのようなものだったのだろうか。ほな、わい帰るで。短い言葉とともに、彼はそそくさと家を出て行ってしまった。もう一度ちゃんとお礼を言いたかったんだけど、叶わなかったな。残されたわたしとチョコレートは、夕日が差す静かな部屋の中を佇むだけだった。















「お姉ちゃん、それ、何?」
「これはね、彼氏からもらったチョコレート」
「わたしにも、ちょうだい」
「…ごめんね、これはあげられないの」
「………」
「ほんとごめんってば!な、泣かないで!」
「……もう、いいもん」



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