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知らない訳ではなかった。ただ昔、出来心で入ったバトルサブウェイで出会っただけ。と言っても直接バトルしたとか、そういう訳でもなく、話しただけ。こんにちは、こんなところに立って、何してるんですか?――何って、ここにおるだけやん。気にしんとって。――す、すみません。あの、道聞いてもいいですか?――ええよ、何?――試験会場は何処ですか?――知らへんわそないなこと。俺もう行くわ。――あ、ちょっと待ってください!思い返してみれば、バカみたいな会話だなぁなんて思ってしまう。あのときは出来心でバトルサブウェイにでも就職しようかななんて考えたけど。そのあと見事に試験に落ちたから諦めたんだけど。でもクラウドさんはあのとき、時計を落として行ってしまった。呼び止めたのに、振り返ってくれなかった。いつか返そうと思ってたけど、面接やら何やらで忙しかったし。

「勝手に使わせてもらってた、なんて言えないよなぁ」

小さな独り言は空に消えていった。ヒウンシティの広場にあるベンチに一人座っているその姿に、通り過ぎていく人たちは何を思うんだろう。途中買ってきたミックスオレを開けて一口飲むと、甘い味が広がっていく。おいしい、なぁ。しみじみ思っても、気分が軽くなるわけじゃなかった。どうしてわたし、クラウドさんに呼び出されたんだろう。正直身に覚えがなさすぎて、怖かった。

「はぁ…」
「あ、おったおった。あんたやろ、この間カズマサ助けてくれたん」
「げ、クラウドさん」
「今なんで顔引きつったん?」

いけない、本音が顔に出てしまった。だけど、来てしまったからにはもう逃げる訳には行かないだろう。クラウドさんに何かされるかなんて分からないけど、ここはさっさと終わらせて、新しい就職先を見つけなくてはいけない!

「クラウドさん、わたし何したか分かりませんが、これあげるので許してください」
「え、はぁ?」

渡したそれは、ヒウンアイスの引換券一回分だ。都合が合わなくて、いつか食べたいいつか食べたいと願っていたそれを手放すのはものすごく惜しいけど、今は命の方が欲しいので諦める。折角ヒウンシティの会社に勤めていたとき、先輩の方がくれたものなんだけど。

「これ、めっちゃ欲しかってん!」
「…え、あぁそうなんですか?」
「何や仕事忙しくて行けんかったんやけど、ヒウンアイス食べてみたかったん」
「ど、どうぞ差し上げます。じゃあ、これで失礼しますね!」
「え、ちょ、何処行くん?!」

すみませんクラウドさん。わたしやっぱり命が欲しいので、ここで退散させていただきます。なんだか怖いんです、あなたの顔が。直視できないというのか、怒ってないのかもしれないけど怒ってるようにしか見えないんです。ヒウンアイスの引換券で喜んでくださったのなら、ここで失礼させていただきます。
ありったけの力を込めてその場から遁走した。そういえばわたし、どうして呼び出されたんだっけ?なんて疑問も浮かばずに。





「…俺まだお礼してへんのに…」

握り締めた引換券は、有効期限がとっくの昔に過ぎていた。



ヒウンアイスに引換券ってあるんですかね


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