デジャヴュは幸福論を説いたか [ 3/6 ]

「私に言わせればデジャヴュはまさしく前世の私達の記憶そのものだとそう思いますね」

マイク越しに良く通る声で今日もフリードリヒは静かに、数少ない客へ語り掛ける。

「夜空を見上げるとそこには星が輝いています。私達が今こうしてみている星たちの輝きは、もう随分と昔の光なのです。それが何億光年もかけて、私達の瞳に届いているんです。そしてその随分と昔の光は、私達が以前生きていたときの輝きなのだとしたら、随分と素敵ではありませんか」

彼はゆっくりと微笑みながらプラネタリウムの天井を見上げる。今も昔も形を変えず輝き続ける星が静かに、そして確かにそこにあった。飽きるほどの時間を与えられた名前通りに輝き続ける星たちに彼は少なからず優しさとそれから悲しさを抱いていた。実のところ、長い歴史のほんのわずかな瞬きにも満たない自分の存在を彼は愕然とし、そしてだからこそ恐れていた。あんなにちっぽけに見える星がいつまでもこの世界で息をしているのに、その輝きに名前をつけた人間ですら世界からは忘れられていく。それなのに、やはりどうして人間は生きていた。

「人は生まれ変わったらまた人になりたいだの、なんだのってそりゃあもう尽きないくらい一杯の願望を口にするわけですが私達は今も、昔も、そして未来も、ずっと私達そのものなのです。星が、ずうっと途方も無い年月を星として生きてきたように、私達もまた、ずうっと途方も無い年月を、何度も私達として、生きてきたのです」

一度間をおいてから彼はさて、と星がどれだけ生きてきたのかと言うことを説明し始めた。何億光年という人間が耐えられず考えが及ばない途方も無い時間を生きてきた星達に思いを馳せながら。


***


上映が終わりフリードリヒはネームタグを胸ポケットに仕舞って座席に忘れ物がないかを調べ始める。今日の入場者数は僅か6名。だいたい平日なんてそんなものだろうと彼は欠伸をしながら6名が座っていた席を中心に見て回る。大方見終わって大丈夫だろうということで彼はそのままプラネタリウムを後にした。開け放された扉から一歩外へ踏み出すと壁際に立っていた青年に呼び止められる。珍しくニーチェと呼ばれずフリードリヒ、と呼ばれた彼は青年を見下ろした。もちろん青年は今日も今日とてプラネタリウムに訪れていたので知っているのだと知りながらフリードリヒは首を振る。

「…マルコ、残念ですが彼女はまだ来ていませんよ」

「違うんだ、もし良かったらこのあと付き合ってくれないかな」

そう言うマルコに時計を見てからそういえば今日はとりたてて何もなかったなと思い出した彼は頷く。どうやらプラネタリウムの3軒ほど隣の建物のカフェで働いているらしい。初めて言葉を交わした日からほどほどに時も経ち、いつの間にやらマルコの口調は些か砕けたものにはなっていたけれど、距離はさほどなかったせいか会話は特になかった。カフェにつくと雰囲気のいいオープンテラスに腰を落ち着かせオススメだというカプチーノを注文して2人は通りを眺めた。

「今日のプラネタリウムでの話だけど」

「……デジャヴュの話ですか?」

「うん、そう。あれはつまり、僕が死んでしまってもまた僕として新しい人生を始めるって、そういうことなのかい?」

「まあそうですね。だから私が死んでしまってもまた私として新しくこの世界で生を授かるというわけです」

「…なんでそう思ったか、聞いても?」

そこで注文していたカプチーノが2つ運ばれてくる。同僚なのだろう、運んできた店員とマルコは少し言葉を交わしてカップに手を伸ばした。フリードリヒも何も言わずカップを取り口をつけた。程よい苦味にほうっと息をつく。そのうちに店員は去り、フリードリヒは通りに向けていた視線をマルコに戻した。

「最初はね、怖かったんですよ。死んだらどうなるかなんて考えたときにね。何もなくなってしまうじゃないですか。馬鹿らしくてね、何のために生きているかなんて分かりもしないのに、何のために死ぬんだろうと」

「…何のために、死ぬんだろう、か」

「でも空を見上げたときに、ああ懐かしいなあと、思ったんです。そりゃああれだけプラネタリウムの天井も見てますし、子供の頃から星が好きだった。だからもう空を見上げてデジャヴュだなんだと思っても、それはまさしく今の私の記憶にひっかかっているだけなんですけれどね。もし、前世の私が空を見上げた時の記憶であれば、それは幸せだと思ったんですよ」

なぜなら私は前世も私で、今も私で、そうして死んだ後もまた私として生きていけるんですから。そう言ってフリードリヒは笑うと再びカップに口をつけた。マルコはただじっと彼の言葉に耳を傾けていたようで静かに何度か瞬きを繰り返すと力なく微笑んだ。

「幸せなのかな」

「幸せだと思いますよ」

「どうして、言い切れるんだい?」

「そりゃあ悲しいことも辛いことも苦しいこともあるでしょう。それを昔の私も今の私もこれからの私も、何度も何度も繰り返すのだと思うと気持ちのやり場に困りますけどね。ただ忘れちゃいけないのが、私達は同じくらい、喜びを、幸せを、繰り返すことが出来るんですよ」

フリードリヒはカップを置いて目を細める。ね、そうしたら幸せでしょう。そう言う彼に言葉を失ったマルコはただじっとカップに視線を落としていた。

「歴史は…世界はこうしてずっと続いてきたしこれからも続いていくでしょう。その中で時は違えど、私達は何度も生きて、そして何度も死ぬでしょう。それでも今まで私達がかみ締めてきた幸せを、喜びを、また胸に抱くことが出来るなら、悪くないなと」

「それはどうして?」

「なぜなら、前世の私も幸せだった。そう思えるからです」

静かに言い終えたフリードリヒは再びカップを手にして静かに飲み始めた。視線は既にマルコから通りの方へ移されている。マルコはただ机に肘を突いて組んだ手の上に額を載せただただ黙っていた。

通りは何人かの人が行き交って、自転車が何台か店の前を横切っていった。煩くもなく静かでもない、ほどほどに他のテーブルの会話がなんとなく聞こえてくる、なんてことはないいつもの夕方だった。カプチーノを飲み終わったフリードリヒがソーサーにカップを戻す。それからまた暫くして、飲まないんですかとマルコに催促した。

「……同じ幸せは、あるのだろうか」

「もしも無いなら、こんな人生割に合いませんよ」

鼻で笑ったフリードリヒにマルコは漸く顔をあげる。あまりにも清々しいフリードリヒの顔に少しだけマルコは笑った。

「…なんだか君がニーチェと呼ばれているのが良く分かるな」

「はあ、そうですか?」

「うん、そうだね。君は、またフリードリヒとして人生を繰り返したいかい?」

カップの取っ手を親指の腹で撫でながらそう尋ねるとフリードリヒは肩を竦める。その真意が分からず首を傾げたマルコに彼は言った。

「もしも私が再びこの人生を繰り返さねばならないとしたら、私の過ごしてきた生活を再び過ごしたい。過去を悔まず、未来を怖れもしないから」

淀みなくそう言ってのけた彼にマルコはとうとう笑い出す。暫く笑い、呆れたようにあーあと呟いてからフリードリヒを見た。

「それは、もしかしてニーチェの言葉かい?」

「まさか。モンテーニュのものですよ」

「へえ、そうなのか…」

「ええ。皆は私をニーチェと呼びますが、彼以外からも拝借していますよ」

「だから君はくどいって、言われるんだなあ」

「マルコはもう少し気の利いた言い回しを覚えたほうがいいんじゃないですか?本をお貸ししましょう」

「やだよ、僕までニーチェだなんて呼ばれてしまう」

笑ってカップの中のカプチーノをゆっくりと飲み終えたマルコがそろそろ行こうかと腰を上げる。一度背を向け通りに出たマルコが、話を聞かせてくれてありがとうと笑って振り返ったとき、フリードリヒは思わず声を漏らして、それから少し笑った。どうかしたのかとマルコが首を傾げる。

「いやね、デジャヴュってやつですよ。昔の私もどうやら貴方にこうしてくどい話をして聞かせたらしい」

目を丸くしたマルコがそうか、と呟いて足元に視線を落としてから「それは嬉しいな」と言ったのだけれどその泣きそうな顔は伏せられていたせいでフリードリヒからは全く見えなかった。

(130810)



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