グランシャリオの憂鬱 [ 2/6 ]

随分とまわりくどい解説者と呼び声の高いフリードリヒは今日もかっちりとしたチョッキを身に纏ってプラネタリウムの扉を開いた。ネームタグを首にひっかけると、よお、と声がかけられる。「ニーチェ、今日も早いな」笑って彼の肩を叩いて男が去っていく。その背にフリードリヒは、館長おはようございます、と遅ればせながら返事をした。

ニーチェというのはフリードリヒの愛称だ。雑学好きで物知りの彼は名言と呼ばれるフレーズたちをちょっとばかり拝借して勿体つけながら話すのが好きなのである。そんなちょっと変わり者の彼の口癖が「なんて言うのはもっとも、ニーチェの言い分ですが」なものだから、ニーチェと同じフリードリヒという名を持つ彼がそう呼ばれるのは何ら不思議ではない。

さて、些か涼しすぎる館内に1回目の上映時間がやってきてフリードリヒはいつものように入り口でチケットを集め始めた。親子連れや老夫婦、そして常連の清掃員(恐らく眠りにきている)そしてそれから最近毎日2度ある上映のどちらにも必ず訪れている青年のチケットを集め終えてから、フリードリヒは静かに扉を閉めた。今日の解説は同僚の担当なので彼は壁に寄りかかって星がちりばめられた天井を見上げているだけでよかった。暫く天井を見上げていると睡魔がじわじわと瞼を重くしていくものだから、いくらなんでも仕事中にこれはまずいぞとフリードリヒは頭を軽く振った。出かけた欠伸も無理やり噛み殺す。いくら星が好きだと言っても酔狂ではない彼からしてみれば毎日2度の上映でお世話になっている天井はやはり少し物足りなかった。なんと言ってもやはり作り物は作り物だ、なんて館長に聞かれたら怒られるだろうと軽く居住まいを正しつつ気分転換にと言わんばかりに彼は椅子に座っている客を見始める。

ふと目に留まったのはあの、毎日きっちり2度やってくる青年だ。薄暗い館内ではっきりとは行かないが横顔は確認が出来た。どことなく物憂げにも見える表情にフリードリヒは自然と顎に手を当てて彼を見つめた。このプラネタリウムはそんなに大きいわけでも有名なわけでもない。地元にある、昔ながらのプラネタリウムだ。いくら星が好きだからって毎日2度も、よくもまあこんなところに来るものだとフリードリヒは内心呆れる。よっぽどの暇人かと結論付けようとしたとき、彼はその横顔に既視感を覚えた。暫く考えてみてから、ああ、と声を漏らす。彼はその表情をよく見たことがあった。あれは来ない人でも待っているかのような、そんな顔だ。なるほど納得したと言わんばかりにフリードリヒは首に手を当てて左右に1度ずつ捻ってから興味をなくしたように視線をまた天井に戻した。


***


「あの、すみません」

はい、と振り返ってフリードリヒは片眉を上げた。間違っても客にするような顔ではないがそんな些細なことを気にしない性質なのか彼に声をかけた青年が困ったような表情で視線を泳がせた。先ほど自分が見ていた青年だと気付いた彼は首を傾げる。

「何か、お探しで?」

ねじれてひっくり返っていたネームタグをくるりと戻してからフリードリヒは尋ねた。随分意地の悪い質問だと自分で思いつつも彼は返答を待つ。青年は少し驚いたような表情で歯切れ悪くえー、だとか、あー、だとか言いながらやはり視線をうろうろさせるばかりだ。

「その…僕と同じくらいか、もしかしたら下、かもしれないんですけど…女の子って来てませんか」

髪はこんな感じで、こんな色で、このくらいの背で、とご丁寧に身振りつきでその女性の特徴をひとしきり話終えた青年は最後にまた「もしかしたら違うかもしれないんですけど」と眉を下げながら言った。フリードリヒがその曖昧さに困惑しないわけがなく「と、いいますと」と説明を促す。逡巡するように口を薄く開けてはまた閉じてを繰り返してようやく青年はしっかり口を開いた。

「最期に会ってから、もう多分、長いこと経ってしまって」

「…多分ってあなたね…。ええと、その最後っていうのは?」

「……随分と昔に」

これじゃあ全く話にならないとフリードリヒは肩を竦める。彼の記憶力は館内一を誇っているし、もし客が居ればきちんと顔は覚えられるはずだ。けれどこのプラネタリウムに青年の言ったような女性が現れたことは1度もなかった。だいたい彼の年代の人がこんな寂れたところにやってくること自体が珍しいのだから、もし彼の言う女性が来ていたとしたら必ず覚えているはず。覚えていないということは来ていないのだろう、と考え終えるとフリードリヒは名前だけは聞いておこうとボールペンを取り出した。

「その女性の名前は?」

「セシリア、セシリア・アミュレット」

「…ここらじゃ聞かない名前ですね」

ボールペンのノック部分でこめかみを軽くつつきながらフリードリヒが唸る。青年はそうですかと残念そうに笑った。

「もし宜しければ、それらしい方がいらしたときにご連絡差し上げましょうか」

「ああ…えっと、毎日来ているし大丈夫です」

「不便じゃありません?毎日2度なんて骨が折れるでしょうし」

「……待ちたいんです」

青年が今度は優しく微笑んだのでフリードリヒは眉を寄せずに入られなかった。青年が待っているその女性は彼の想い人であろうし、その上かなり彼女に惚れ込んでいるのだろう、ということを勘の良いフリードリヒはなんとなく理解したものの、どことなく掴めない青年の雰囲気に戸惑いを隠せなかった。

「本当に女性はここへ?」

「……僕が気付いたらここに居たので」

そう不思議なことを言ってはやはり笑う青年にどうしてだか人懐っこさを覚えて、フリードリヒはネームタグをぴっと指でつまみ「フリードリヒです」と仕事用ではない声色でそう言った。

「まあ、ニーチェと呼ぶ人も居ますがね。何かあったらいつでもどうぞ。話し相手くらいにはなりますよ」

「ありがとうございます。ええっと…マルコ、です」

「失礼ですが…私より随分と若く見えるのに年上のようにも見えますね」

フリードリヒが言うとマルコと名乗った青年が頬を掻く。

「気付いたら、長いこと生きてきたのかもしれません」

「なるほど、まあ、そういうことでしたら私も長いこと生きてますので」

気が合いそうですねとフリードリヒがくつくつと笑う。彼はもちろん、自分の「フリードリヒ」という名前が「ニーチェ」として長いことこの世界で生きているという冗談のつもりで言ったのだけれどマルコの方はただ柔らかく、けれど少し寂しそうに笑うだけだった。


(130807)

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