※4巻/アニメ13話ネタバレ注意




すん、と息を吸うと雨の匂いが広がった。夕方まで降っていた雨のせいで地面はまだ濡れている。土の匂いがあたりに漂っていた。空を見上げる。雨こそ上がっていたものの、星はやはり見えなかった。目を凝らして手元の紙切れに小さく星を描いてみて、それを空に翳したけれど子供みたいだな、と思って手を下ろした。

「寝れないの?」

突然声をかけられたせいでびっくりして振り返る。そこにはマルコがいつものやわらかい笑顔のまま立っていて、私もつられて笑った。少し座っていたところから横にずれてスペースを空けると手で座るように促す。隣に座った彼に持っていた紙切れを渡した。彼も同じように目を凝らして紙を見る。

「ううん、星が見たかったの」

今日は生憎見えないのだけど、と口を尖らせると彼はそうだね、と残念そうに笑った。そして私が渡した落書きにすらなっていない紙切れをポケットにしまう。真面目で優しい彼らしい。ああマルコって雨が似合うなとそのとき唐突に思った。彼は優しくてこの世界の全ての嫌なことから包み込んで隠してくれるような、そんな落ち着いた雰囲気を持っているからだと思う。彼はいつだって私を守ってくれた。静かなあたたかい雨に似ている。

彼は何も言わずにそこに座っているだけだった。じっと見つめていると気づいたのかこちらを見て小さく首を傾げる。無性に悲しくなって彼にもたれかかるとマルコは何も言わずに静かに手を握ってくれた。あたたかい、やわらかい、やさしい、いいにおい。

私は何も言わないでいようと決めた。彼は憲兵団になるだろうし、私はきっとなれないだろう。寂しいなんて言って彼を困らせることだけはしたくない。

「マルコはさ、私のこと、好き?」

彼がそっと握っていないほうの手で私の髪を耳にかける。彼を見上げた。

「好きだよ」

穏やかに目を細めて笑う彼。重ねられた手を握り返して見つめたらちょっと困ったように眉尻を下げてマルコがほんの少しだけぎこちなく顔を近づけてきた。

「……セシリアはずるいね」

優しいキスが落ちてきて私は幸せな気持ちになる。まるで魔法みたいだった。唇が離れて私が彼の額に自分の額をくっつけたままにすると子供みたいだと笑われた。子供のままで居られたらどんなにいいだろうな、と思う。そばかすにキスを落とすとマルコは驚いたように目を丸くして、それからかなわないなと小さく笑った。

「星、見えなくて良かったと思わない?」

「どうして?」

マルコが首を傾げる。2人とも顔が真っ赤だからだよ、と悪戯に耳打ちすると彼は自由なほうの手で自分の顔を覆ってはあとため息をつく。きっと彼は本当に真っ赤だろう。月明かりもほとんどない、星も見えない、それでもあたたかくてどこか心地が良くて、このままゆっくりと幸せに沈んでいたい。もう一度彼に寄りかかる。あたたかい。そう思ったら彼があったかいね、と小さく呟いたので途方もなく幸せな気分になった。

いつかこの手は離れていくだろう。私達は別々の道を歩むだろう。そうしてすれ違ってそのうち会うこともなくなるだろう。それを思うと悲しくないわけではなかった。寂しくて悲しくて泣いてしまいそうだった。それでも彼はやわらかく笑うから、私も笑った。1日1日を大切にしようと思った。できるだけ彼と一緒にいたかった。私が笑えば彼が笑って、彼が笑えば私が笑う。手を握ると握り返され、見つめ合ってキスをする。たったそれだけのことが、この世界で1番のすばらしい宝物のようにさえ思えた。

ふと、考える。彼が将来憲兵団に入るとして、私は恐らく駐屯兵団を選ぶだろう。どれくらい会えるだろうか。きっと私が駄々を捏ねれば優しい彼は一緒に来てくれるかもしれない。でも彼の夢を奪うことだけはしたくなかった。だからいつか別れるときが来る、そう分かっていた。その最後はすれちがったその先で言葉を交わして別れるのか、それとも壁の中にやってきた巨人に食われて交わす言葉の無いまま私が死んでしまうのか、いつもそう考えていた。



マルコが死んだと私に告げに来たのはジャンだった。



私は変な気分だった。彼の死を受け入れられなかったというのも理由の1つだったように思う。涙は出てこなかった。彼の最期を見た人も誰も居なかった。もしかしたら本当は死んではいないのではないか、とさえ疑った。あんなに強くてあんなに優しい人が誰も知らないところで死んでしまうことなんてあるだろうか。だって私はどうしてか生きている。それなのに、誰も見ていないところで。いつもみんなに笑いかけていた彼が、誰にも見取られなかったなんて、そんなのあまりにも悲しすぎるではないか。

遺品だとジャンがこっそり渡してくれたのはロケットだった。こんなものを彼がつけていたなんて全く知らなかった。見覚えも無かったからもしかしたらやっぱり本当にジャンの見間違いだったのではないだろうかと思いつつ受け取った。そのくせ私はそのロケットを開けられなかった。あけるのが怖かった。もし彼の家族の写真なんかが出てきてしまったらマルコの死を認めてしまうことになってきっと絶望してしまうだろう。だから何年も何年もあけずに、かといって引き出しにしまうことも、首にかけることも出来ずに、ただポケットに無造作にしまっておいた。




真っ暗だった。一番高い木の枝に腰掛けて私は木々の間から空を見上げた。月明かりもほとんどなく、星は見えない、いつか見たような空だった。ただあの時とは違って重苦しくていまにも空が落ちてきそうだった。マルコが隣に居て手を握ってくれたらどんなに心強かっただろう。仲間は食われ、ガスは切れ、剣は欠けて折れたものしか残っていなかった。朝になれば私もきっと死ぬだろう。だというのに酷く落ち着いている自分に不思議な気持ちになった。

空を見上げるといつだって彼を思い出す。いつの間にか、マルコの死を告げられてから恐ろしいほどの時が経っていた。彼は帰ってこなかった。私はなぜ自分が調査兵団になったのか今更考えあぐねていた。きっとこの大きな空が、見たかったのだろうなと、思う。星1つない空に飲み込まれるようだった。そっとポケットから遺品だと手渡された古びれたロケットを取り出す。いつのまにかあの時よりずっと錆びていた。ざらざらとしていて、それでいて心許なかった。こんなに小さかっただろうかと手のひらに載せる。今までとんと開けようという気すら起きなかったのに突然開けなければならないような気がして私は手に力をこめた。

しばらくして、鈍い音を立ててロケットが開いた。少しかけてしまったけれど仕方ない。中から小さく折りたたまれた紙切れが出てきた。ぼろぼろで黄ばんでいて今にも破れてしまいそうな紙。興味本位でそれを破らないようにそっと開いた。

何も書かれていない紙。このロケットの持ち主はなんでこんなものを大切にしていたのだろうと納得がいかなかった。せめて明かりがあればもっとよく見えるのに。月明かりで見えはしないだろうかとその紙を翳して空を見上げたとき、涙がこぼれた。

「……さみしいなあ」

気づいたらそう声に出していて、そうしてそのときようやくロケットを持っていたこの彼はマルコだったのだと分かった。それからやはり彼は死んでしまったのだと知る。涙は止まらなかった。ジャケットで涙をぬぐいながら顔を近づけてよくよく目を凝らして見ると、やっぱりそこには長い年月を経て今にも消えそうな、へたくそな星があった。


130701


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