素敵だな、と思ったのはいつだったか彼を横目に見たときだった。鼻の形がひどく印象に残っている。ああ、好きだな、となんとなく思った。その一目惚れが食事のときたまたま隣の席になったときか、はたまた敬礼をしていたときに視界にはいったのだったか今となっては忘れてしまったがもうかれこれ2年彼のことを想いつづけている。

彼の困ったような笑顔が好きだ。可愛くてどうしようもなく切なくなる。眉は下がっているのに形の綺麗な薄い唇がゆるく弧を描く。短く切りそろえられた誠実そうな黒髪だって、のんびりとした目だって素敵な彼の要素だと思う。低くて落ち着く声。よく通るのに自信なさげなことも多い。背は驚くほどに高くて背中は広くて抱きつきたくなる。足は長いのに組んだりして偉そうにせずいつも行儀よく座っている。真面目で、でも消極的で、前に出たがらない、表情の少し固い人。それでも全部が好きなのだ。

そんなことを考えながら私は出来るだけ丁寧に薬を塗り続けた。

「ごめん、手間かけさせちゃって」

「気にしないで。顔は自分でやりづらいんだから」

彼がやっぱり困ったように笑った。その顔にはいつもはない擦り傷があちこちにある。当番どおり救護室を掃除していたら彼が情けないような笑顔で入ってきたのだ。「ごめん、アニに投げられちゃって」こんなに長身の彼を投げ飛ばせるアニはいったいどれだけ強いのだろうか。なんだか面白くてちょっと笑ってしまうと彼はさらに情けなさそうに後ろ頭に手を当てた。部屋を掃除していたからなにがどこにあるのか私はよく分かっていたので消毒液や塗り薬、絆創膏を取り出して椅子に座った。彼は不思議そうな顔をしている。やがて私が治療するつもりなのだと知ると居心地悪そうに向かいの椅子に座って自分でやるよ、と言った。座っても彼の方が背が高かった。それが、ついさっきのこと。

私は黙々と顔の擦り傷に薬を塗り続ける。この傷の多さを見る限り、どうやら投げ飛ばされて受身を取らないまま顔から落ちたのだろう。なんだか抜けてるなあと思いつつも仲がいいんだな、と少し寂しくも思った。彼はどこに視線をやったらいいのか分からないらしくその視線は忙しくさまよっていた。そんな顔も可愛くて愛おしいと、思う。

指に薬を取ってゆっくりと彼の傷をなぞる。時折痛いのか顔をしかめたりする。そのたびにごめんね、というといや、大丈夫。と返ってくる。私はできるだけ長く彼と居たかった。辺りは静かで、たまにお互いの呼吸音が聞こえるくらいだった。あたたかい日差しが部屋を包んで、その静寂の中、2人。叫びたくなるほどに嬉しかった。きっともう2度とこんなチャンスはないだろう。

思った以上に近いところに顔があった。整った眉も、穏やかな瞳も、薄い唇も、印象に残った鼻も、驚くほど近くにあって、その一つ一つをまるで愛撫するかのように薬を塗る。彼が笑った。

「ごめん、どうかした?」

「あ、いや、ごめん。くすぐったくて」

彼が眉を下げたまま、目を細めて笑った。ああ、こんなあどけない表情もするんだな、と思った。もっと彼のいろんな顔を見てみたい。そう思うのはいけないことだろうか。

「じゃあ目の端のところ塗るからちょっと目を閉じてね」

ありがとう、そう言って彼はすっと目を閉じる。薬を手にとって、私は息を飲んだ。あまりにも、綺麗だった。端正な顔が、大好きな顔が、何も言わずただそこにあるのだ。私はゆっくりと目の端に薬を塗る。目に入ってしまわないように丁寧に伸ばしてからそのまま親指の腹でそっと撫でた。わずかに彼の肩が動いた気がした。

「目、閉じててね」

気づいたらそういって、私は彼の頬骨をなぞる。鼻筋をつうと触る。そして形のいい薄い唇をそっと撫でた。どうしようもなく、好きだ。

「セシリア…?」

その声でハッとして手を離す。私はいったい何をしていた?いったい何をしようとしていた?

「……顔真っ赤だ」

彼がそういって手を伸ばしてきた。骨ばった、少し冷たいような大きな手が私の頬に添えられる。それだけでもう胸は煩くて混乱して、泣きそうになった。彼は困ったように笑ってはいなかったし情けなさそうに笑っているわけでもなかった。ただまっすぐ私を見るから視線をそらせなかった。彼の綺麗な指が私の目許をなぞる。頬骨に彼の親指の腹がすべる。つうと鼻筋をたどられて、そのまま唇に軽く指が添えられた。泣きたくなった、どうしようもなく。

彼の顔も赤いと気づいたのはそのときだった。真っ赤で、でも真剣な表情で、また新しい顔が見れたのだと胸が嬉しさで跳ねた。彼の顔がゆっくりと近づいてきて、息遣いさえ分かる距離に彼が居た。鼻がそっと触れ合う。彼の綺麗な瞳のなかに、私が居た。

「…ずっと、セシリアのことが好きだった」

息が止まるかと思った。何も聞こえなくなって世界が終わったのかと思った。必死で唇を動かして私も、と言おうとしたその前に涙がこぼれて、唇が触れ合った。哀しくて愛おしい、これを人は幸せと呼ぶのだろうか。


130526


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