バタンと音がしてジャンが帰ってきたことを知る。正直どこか友達の家にでも逃げようかと思ったけど迷惑をかけるのも気が引けて結局彼が帰ってくると知りながら私もここへ帰ってきてしまった。無言でベッドの上に座っていると彼もやっぱり無言でやってきた。
「ごめん」
「何に対して?」
すぐに言い返すと案の定彼は言い淀む。謝れば良いってもんでもない。睨みつけると彼も一瞬睨んできたけれどすぐ思い返したようにはっとして表情を緩めた。大方マルコにでも諭されたのだろう。
「誤解して悪かった。その、マルコと会うためだと思って」
「外に出てすることがなかったからマルコを呼んだの」
「なんで俺じゃないんだよ」
「だって雑誌読んでたでしょ。集中してたし」
「……なあ、俺らってなんなの?」
「……はぁ?」
それは私の台詞だろと出かかった台詞を飲み込む。大体興味も示さずにやることだけやってんのはそっちだろと手を上げたい気分だ。
「だって別にお前は休日過ごすのがマルコだって良いんだろ?」
さっき誤解して悪かったって言ったのはこの人なのに何を掘り返してるんだか。呆れてものも言えない。
「あのさあ、なんでそうなるの」
「すげー着飾ってただろ」
ああもうこの人最低だ。いっつも彼のためにお洒落したってなんにも言わないくせに、誰かのためだと誤解したら平気で褒め言葉くらい言えちゃうんだからいやな性格してる。馬鹿らしくなって立ち上がった。ジャンは馬鹿みたいにつったったままだ。
「今日はジャンのためにお洒落したの!マルコのためじゃない!」
「はぁ?じゃあなんで1人で出てったんだよ。言い訳下手だな」
「だから違うってば!」
「何が違うんだよ!」
全然伝わらなくて悲しくてほんのちょっとしたことがきっかけだったはずなのに2人とも怒鳴りあってなんだろう、なにやってんだろう。今までお互い我慢してたことが爆発したみたいな。思わず泣いてしまったら舌打ちをされてますます悲しくなった。
「泣いたら良いってもんじゃねーだろ…」
ぱんっ、と乾いた音がして気づいたらジャンの頬を打っていた。
「なんでわかんないの…」
頬を押さえて目を丸くしたままジャンが見つめ返してくる。何がと言いたげな表情だ。
「なんで…、なんで私はジャンが好きなのに、分かってくれないの」
ゆっくり手を下ろしてそっと自分で握る。打たれる方も痛いだろうけど打つほうも痛いなんて知らなかった。じんじんと痛みがひろがる。
「私はジャンのお母さんでもお姉ちゃんでも家政婦さんでもないの!好きだからご飯だって作るし、掃除だって洗濯だってするけど、なんで?飯炊き女とでも思ってんの!?」
一度叫んだら収まらなくて次から次へと我慢してた言葉が出る。言いながらもこれ以上は言っちゃいけないと思ったそばから言葉になっていく。ジャンは呆気にとられたままだった。
「それともなに!?やりたいようにやれるから一緒にいるの!?それ以外は用なし?私はジャンとデートだってしたいし普通に笑ってたいし、なんでそれを、なんでアンタがマルコだのなんだの否定するの!?」
ぶちまけた。完全にぶちまけた。ちょっと息が上がって涙も止まらなくてきっと今最高に残念な顔をしているに違いない。ジャンはやっぱり呆気にとられたままでその馬鹿みたいな顔がむかつく。
「何か言ったら?」
彼は黙ったままだ。
「そっか…そうだよね、どうせたいして大事な女じゃないもんね」
思わず笑ってしまう。彼にとってはたいして大事な女じゃないのだ、私は。自分で言って悲しくなってきた。
「ごめん」
何に対しての、とは聞けなかった。まるで別れようって言っているようにさえ聞こえた。ジャンが今までにないくらい悲しい顔をしていて、それが殊更傷ついた。
「ごめん…言い過ぎた……私……本当はジャンと居るだけでよかったのに、欲張りだから」
爪先に視線を落とす。こんなはずじゃなかった。不満だってこんなふうにぶちまけたりしないでそのうちゆっくり話し合えたらななんて思ってた。こんなの私の独りよがりだ。
「欲張りだから……」
あまりにも自分から一方的で、いつまでも片想いみたいな恋に疲れてしまった。彼はきっと私が彼を好きでいるのが、彼に尽くすのがどこか当たり前だと思っていて、それが心地いいと思う反面だんだん息がしづらくなっていた。だから多分、そういうことなんだろう。嫌いになったとかではなくて、なんだろうな、ただ自分のわがままだ。疲れた、なんて。
「……だからもうジャンとはやってけない」
そう言って涙を拭く。彼の顔を見れなかった。
「なんだよそれ」
顔をあげると驚いても怒ってもない、ただ悲しそうなジャンが居た。そんな顔は見たことがなかった。
「俺は……お前とじゃなきゃやってけない」
そういい終わった彼に抱きしめられて息が詰まった。今更そんなことを言うなんてずるすぎやしないか、なんて嬉しいのか悲しいのか怒りたいのか全く分からない気持ちがぐるぐるしていた。
「たいして大事じゃねえって言ったのは、あの時ムカついたんだ。お前がすげー楽しそうに笑ってマルコと居たから、悔しかった」
売り言葉に買い言葉、そんなつもりだったのだろうか、仕返ししたかったんだと彼が情けなさそうに笑った。
「あとお前だけみたいな言い方してたけど、俺だってお前とデートとかしたい」
「……全然そんなこと言わないじゃん……いっつも1人で雑誌読んだりしてさあ」
「正直に言うと誘って欲しかっただけ。今更デート行こうとか男からいいづらいし」
「……何それ……」
体が離されて、でも肩は掴まれたまま。なんでか真っ赤な顔で私を見た後眉を寄せて変な顔でそっぽを向く。
「今日もすげー可愛かった、けど、でもあんまそういうの他のやつに見せたくないし…だからデートしなくてもいいかなって思うっつーか」
なにそれ、もう1度言って彼を叩くと痛ぇと彼が笑った。なにそれなにそれ、意味分かんない。
「家事だって感謝してる。その、照れくさくて言えねーけど、ちゃんといつも感謝してるから。……飯も、美味いし、だから」
分かってくれ、と彼が頭を下げる。なにこれ。さっきまで怒鳴って頬ひっぱたいたのに何でこの人は。彼ばっかりが大人みたいでそれも腹がたつ。さっきまで怒ってた自分が空回りしてたみたいで馬鹿らしい。
「なんで言ってくれないの」
「俺の台詞」
「私の台詞」
「いーや俺の台詞だ。なんで溜め込むんだよ。いっつもすぐ言い返すくせに」
「私の台詞だよ!だって言ってくれたら、こんなことならなかったのに」
「そっか、そうだな」
「……そうだよ。……ううん、ごめん、私がちゃんと向き合えばよかった」
嫌われたくなくて、重い女だと思われたなくて、傷つきたくなくてだから先に、勝手に諦めてたんだ。それを突きつけられた気がしてまた泣いてしまった。よく泣くなあと彼が笑う。
「あんまり言わねーからよく聞けよ」
ぐっと肩を握る力が強くなって彼の顔をまっすぐ見返す。彼の真面目な顔を見たのはいつぶりだろうか。
「セシリア、好きだ。すっげー好きだ」
「……知らなかった」
「ばあか、そこは知ってるって言えよ」
もう1度抱きしめられる。あったかい。
「俺はあんまり器用じゃねぇし、言葉とかにしづらいっつーか、だけどこれからはもっと色々、いえるように頑張るから。だからお前もちゃんと言って」
「……わかった」
「ほんと……お前が我慢強いの忘れてたわ」
言いたい事言ってるようで全然言ってないもんな、と彼が言う。見上げると目が合った。なんとなく分かって、結局目を閉じる。唇が触れた。一度離れたときに好きだ、と彼が言う。嬉しいのに涙は止まらないままでちょっとしょっぱい。そのまま背中に手を添えたまま彼がベッドに膝をついた。その動きに流されてベッドに倒される。
「結局やりたいんじゃん」
「別にお前以外にはたたねーよ」
軽く頭を叩く。ジャンは悪戯っこみたいな顔でまたキスをしてくる。ちょっと意地悪をしたくなって手でさえぎった。
「今日はやだ」
「ん、わかった」
怖いくらい物聞きがよくてそのままそのさえぎった手のひらにキスをされる。手をとられて、彼は横に寝転ぶとそのまま抱きしめてきた。
「ジャン」
「ん?」
「これからは、もっと名前呼んで欲しい。好きって言って欲しい。あとデートしたい」
一気に言うと彼は困ったように笑う。なかなか見れない顔だ。
「今までごめんな」
「なんかジャンが大人でむかつく」
「言っとけ」
頭をなでられてやっぱり自分勝手だったなと悲しくなって彼の頬に手を添えてキスをした。ちょっとびっくりして、でもすぐ嬉しそうな顔になったジャンがまた唇を合わせてきて、いつもならそのまま流れてしまうけどゆっくりと手を握ってきた。
「今日はこのまま寝てようぜ」
「またぐーたらするの?」
「ん、来週はどっか行こう」
うん、と答えたら彼が面食らった顔になる。そんな嬉しそうな顔するんなら最初から素直になっときゃよかったな、と彼が言う。でもそれは私の台詞だ。ジャンがそんなに嬉しそうな顔をするならちゃんと最初から言えばよかったんだ。
きっと朝になったらまた彼に蹴られてベッドから落ちて目が覚める。そして朝ごはんを作る。そうやって1日が始まる。お互い文句を言って、でも今度からはちゃんと大切なことも言いあって、喧嘩もするだろうけど、きっとそれが不器用な私達の精一杯の恋愛なのだ。
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