9.愛を確かめるキス

 朝起きると、隣で眠っていたはずの恋人の姿はなく、ただ涙に濡れた蒲団の冷たさが、兵助がそこにいたことを物語っていた。こんなことになるだろうとは思っていたが、しかしいくらなんでも行動が早すぎやしないか?狭い部屋を見渡せば、必要最低限のものだけが消えていた。兵助らしい。一つ伸びをして欠伸を零し、やれやれと首を振った。今日は忙しくなる。まずは部屋を片付けて、大家に家を引き払う旨を伝えなければ。このまま出ていってもいいかと思ったが、それなりに思い出のある部屋だ。きちんとしたい。次に仕えている城へ暇乞いに行かなければならない。相当引き留められるだろうが居残る気は一切ない。追っ手を仕向けられたら面倒だな。そのときは南に逃げて撒いてから東へ向かおう。きっと兵助は東に向かったはずだ。そこまで済ませてからでも追うのは遅くない。
 先の戦で兵助は足をやった。出来る限りの治療は行ったが、どうしても左足が不自由になってしまった。日常生活には支障がないくらいの、しかし忍としては致命的な後遺症。医者のもとから帰ってきた兵助は昨日、私の腕の中で泣いた。もう忍としては生きていけないと、もうお前の横には立てないのだと言って、泣いた。馬鹿なことを言うな。という私の叱責は、兵助に届かず地に落ちた。そのときに確信した。兵助は私のもとを去るだろうと。そんなこと、私が許すわけがないのに。現にこうして、兵助を追いかける準備を着々と済ませている。見付け出したら何と言って聞かせよう。考えてやっと、陰鬱な気持ちが少し晴れた。




 兵助を見つけたのはそれから二週間後のことだった。東の少し開けた町で、えらく綺麗な若い男が代書を始めたという噂を追って、やっと辿り着いた。代書に計算に、暇なときには子供に読み書きを教えたり。素知らぬ顔をして狭い長屋の一室を訪ねれば、兵助は一瞬ばつの悪そうな顔になり、それから目元を頑なにした。

「三郎…」
「久しいな。兵助」

 しばらくじっと私を睨み付けていたが、こちらからは何も言う気がないのを悟って、どうして追ってきた。と言った。低く硬い声でどうして、と。分かりきったことを。

「お前と共に生きるためさ」

 言えば、更に硬くなった声がきっと告げた。

「お前は来るべきじゃなかった」
「どうして?」
「俺はもう忍じゃない。お前の足手まといになってしまう」
「構わないさ」
「構わなくない。俺のせいでお前まで忍の道を絶つなんて耐えきれない」

 愛しい兵助。目尻を朱に染めて、それでもひたとこちらを睨み付ける。可愛くて、少々物分かりの悪い兵助。根本的な勘違いをしている。

「私は忍でいたいんじゃない。そもそも忍びになりたかったわけじゃない。お前の側にいたかったんだ。お前が忍になると言うから私もなった。お前が仕える城に私も仕えた。お前が戦を終わらせたいと言うから私も尽力した。全て、私がお前の側にいたいがための行動だ。分かるか兵助」

 兵助は答えない。睨み付ける目も緩めない。

「だから、お前が忍を辞めるのならば私も辞める。お前の側にいるためならばなんだってするさ。私はお前を愛しているんだ。兵助。どうかお前と生きることを許してくれ」

 たっぷりとした沈黙のあと、ぼそりと、いいのか?と問われた。当たり前だと頷くと、そこでやっと兵助の顔が伏せられた。震える肩が、兵助が泣いていることを物語る。途切れ途切れの息の中から、微かに、俺だって愛している。と聞こえた。その愛らしさに、嫌がるのも構わず頤を持ち上げて口付けた。互いの思いを確かめ合うように。長く、ゆっくりと口付けた。

「兵助」

 唇を離してから、しっかりと黒い眼を見据えて言う。

「お前を愛している。ずっとずっと。今生だけじゃ足りない。生まれ変わってもずっと、その生を私にくれないか?」

 この先永遠に渡る求婚は、兵助からの口付けによって受け入れられた。




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