8.全てを奪うようなキス

 俺を飼うと決めてすぐに、奴はこのマンションの一室を借りたらしい。決め手は風呂場の広さ。男二人が入ってもなお余裕がある。そこで俺は毎晩の日課を務めていた。大したことじゃない。風呂へ入るだけ。全裸で湯船に浸かる俺の後ろには、ジーンズとシャツを身に付けた三郎が服が濡れるのも構わずぴったりと密着していて、柔らかいスポンジで俺の身体を洗っていた。毎日のことながら三郎の手付きは丁寧だ。頭のてっぺんから足の先まで、余すところなく石鹸水を含んだスポンジが撫でてゆく。

「終わったぞ」

 手を引かれて立ち上がる。簡単にシャワーで流されて、それから脱衣場へ。広げられた真っ白なバスタオルに包み込まれ、そのまま抱き締めるように身体を拭かれた。拭かれながら首筋にキスを一つ。毎日繰り返されてそこには消えない跡が残る。それが終わって解放されて、次に髪の毛を持ち上げられる。首がやっと顕になったところで、手を伸ばして仰々しく置かれたそれを手に取った。
 それは首輪だった。極上の革をなめして作られた、硬すぎず柔らかすぎず首に馴染むそれ。厭らしくない程度にダイヤモンドがあしらわれた、俺を繋ぎ止めるもの。
 首に当てて、少しきつめに締め上げる。留め金を閉じる頃には髪も拭き上がり、三郎の手で服が着せられる。真っ白な長シャツ。三郎は俺に白い服を着せたがる。

「ほら」

 ぽんと背中を叩かれて日課の終了。三郎はこれからシャワーを浴びるので、先に脱衣場を出てベッドルームへ。こいつは情事以外で肌を俺に見せるのを好まない。




 白いシーツに埋もれて三郎を待つ。愛しい三郎。俺の飼い主。三郎は俺が求めていた全てを与えてくれた。新しい秩序とそれに伴う強制。絶対的な束縛。疑うことを許さない愛されている実感。優しさも思いやりも、もうそんなものは要らない。三郎がいて、俺を愛してくれていればそれでいい。そういう意味では、正しく俺は愛玩動物だ。三郎に捨てられたら、生きていくことなどできない。

「兵助」

 ドアを開ける小さな音と共に声がかけられる。黒いバスローブ姿の三郎は、身を起こし駆け寄る俺の首輪に指を引っ掛けてぐいと引き寄せた。息の詰まる感覚。それが首の圧迫によるものなのか、三郎の端正な顔に見詰められてのものなのか、もう俺には判断がつかない。求められるままに口付けに応じる。食らい付くようなキスは長い。このまま呼吸が止まってしまえばいいのにと思った。

「なぁ兵助」

 唾液の糸を垂らす俺の唇を舐めて、三郎がいつもと同じ台詞を吐く。

「私はお前の全てが欲しい」

 お前が持っているもの全て。そう言われるたびに、心臓がきゅっと啼く。三郎は俺を愛していて、俺に溺れていて、俺の全てを奪いたがっている。その欲望は止まるところを知らない。三郎の色素の薄い瞳に自分を映しながら、いつものようにゆっくりと言い聞かせる。

「俺の持っているものは全部お前にやった。やれないものは棄てた。もう俺は何も持っていない。これ以上、俺から奪えるものは何もない」

 今度はこちらから口付ける。控え目なそれは、すぐに苛烈なまでのものに塗り替えられる。先程以上に激しい愛撫をしながら、その合間に三郎がぽつりと言った。

「まだ奪えるものが残っているさ。お前の理性だ」

 広いベッドに組み敷かれながら、それは違うなと思った。俺の理性だって三郎の思うままだ。三郎が俺から奪えないのは一つだけ。俺が、三郎を愛している気持ち。心だってとっくの昔にやったけれど、これだけは渡すことができない。キスを強請りながら、俺はその気持ちを噛み締める。
 ただ溺れるほどに、愛していると。




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