7.身体を熱くするキス

 目を閉じれば未だにはっきりと浮かび上がる。兵助の眼を閉じた顔。睫が頬に影を落とし、夕日に照らされて産毛がキラキラと光っていた。少し上向けられた顔は、涙を誘うほど美しかった。

『三郎。キスして』

 兵助の言葉は切羽詰っていた。卒業を間近に控え、このぬるま湯のような日々も、関係ももうすぐ終わりを迎える。俺は兵助が好きだった。兵助は俺が好きだった。口に出さない思いはしかし、交わされる視線やらちょっとした仕草やら、或いは一度だけ重ねた手が語ってくれた。初めて触れ合ったのはやはりこの教室で、窓から外をぼんやりと眺めているとき。並んだ肩が妙に意識されて、窓辺に置かれた兵助の手に自分の手を重ねた。兵助は何も言わなかった。だから俺も何も言わなかった。言わなくったって、二人揃って耳まで真っ赤にしていたのだからばればれだ。日が完全に落ちるまで、ただそうしていた。
 心臓が跳ねる。こういうときはどうしたらいいんだったか。手の置き所に困って、結局は顔だけをそっと寄せた。兵助の唇から漏れる吐息が俺の唇にかかって、その熱さに誘われるように唇を重ねた。初めてのキスは柔らかくて、味なんてしないけれどとても甘くて。触れているのはたった一点だけなのにその熱さが全身に染み渡るようだった。抱き締めたいと思ったけれど、キスですらこんなに全身を焦がすのに、抱き締めてしまえばどうなるか分かったもんじゃない。だから、キスだけ。
 数秒間そうしていた後、どちらともなく顔を離した。兵助は目を伏せて、ありがとうとだけ言った。俺は、何も言えなかった。




「という初々しい過去があったのを覚えておいでですか兵助君」
「うっせ。思い出話とかすんなジジくさい」
「まぁ酷い。これならあのころの方がまだ可愛かったわ」
「はいはい」

 不思議なものだ。中学卒業と同時に音信不通になったのだが、大学は同じところで更に学部まで一緒だった。入学式で再会した瞬間の、あの喜びは筆舌に尽くしがたい。兵助はその頃より少し背が伸び、顔立ちが更にシャープになって口も悪くなっていた。綺麗になったなという俺の第一声は全くの本心だったのに、照れ隠しの右ストレートに遮られた。何でこんなに暴力的になったんだ。高校時代の友人の影響か。全く、俺の可愛い兵助に何してくれてんだ。でも、ツンデレっぽくて今の兵助もなかなか…。

「三郎の含み笑い、キモい」

 ほら、こういう可愛くないことを恋人に平気で言っちゃうあたりが可愛い。たまにちょっと傷付くけど。あれから違う高校に進んで、それなりに誰かと付き合ったり、キスをしてみたりしたのだが、長続きはしなかった。兵助も同じだったという。

「何だかんだ言って一途だよな。俺たち」

 ぽつりと零せば、全力で否定するだろうと思っていた兵助がこっくりと頷いた。ちょっとびっくりしすぎて言葉の出ない俺を見て、にやり笑って言う。

「三郎。キスして」

 請われるままに腕の中に閉じ込めて、ゆっくりとキスをする。ぞくぞくと背筋を下る何かに反して、身体がじんわり温かくなる。兵助とのキスだけ。それだけが、こんな風に全身を焦がしてゆく。

「なぁ三郎。一途なのは当たり前だろ。他の誰も駄目なんだよ。お前とするキスだけが、俺を掻き立てるんだ」

 笑ったまま、兵助は言う。こいつ男前になったよなぁ。と、痺れたような頭の奥でふと思った。俺たちは似た者同士だ。あのとき、教室で交わしたキスを、烙印のようにその身に刻んで、ただそれだけを求めている。
 笑う兵助が癪に障ったので、目を閉じさせるために顔を寄せた。いささか強引な口付けを、兵助は甘んじて受け入れた。




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