3.なんとなくキス

 かたん、かたん、

 夕方には少し早い時間のローカル線。がらがらを通り越して貸切状態の車内に、俺と兵助は並んで座っていた。ほとんど開いていない教科書と、落書きで埋められたノート、シャーペン二本に漫画が二冊、それから、残り三分の一くらいになった飴の袋。足元に投げ出したバッグの中にはそれだけ。同様に兵助の足元に置かれているそれよりもくたっとしている。制服だって、襟元まできちんとタイを締めた兵助と、だらしなくシャツのボタンを外している俺は全く違う。けれども、俺はそんな兵助が好きだし、兵助はそんな俺が好きだ。それは二人の間に置かれた互いの手が、甘やかに指を絡ませ合っていることが物語る。誰も見ていないから、二人だけの秘密だけれど。

「なぁ、三郎」

 兵助が小さく呟いた。ぶっきらぼうな調子に合わせ、何。とだけ言う。兵助はぼんやりと車窓を流れる景色を見詰めながら、小さな声で言った。

「なんか、世界中に俺ら二人しかいないみたいだな」

 そんな映画みたいな、素面ならば絶対に言えないような台詞は、しかしこの非現実的なシチュエーションによく似合っていた。揺れる電車。繋いだ手。柔らかくなった日射し。

「そうだな」

 肯定すると、兵助が少し距離を詰めた。肩が触れるか触れないかの距離。身近に感じる体温が、慈しみのような感情を呼び覚ます。絡めた指をゆっくりほどいて、代わりに肩を抱き寄せた。普段は公の場で触れ合うことをよしとしない兵助も、今日はされるがままに頭を胸にもたせかけた。

「このまま、どこかに行ってしまおうか」

 二人で、誰も知らないところへ。そう言うと兵助はこくんと一つ、頷いた。降りる予定だった二人の家の最寄り駅を過ぎる。やはり乗り込む人はいなくて、それが少し嬉しかった。二人だけの世界。青春映画のような、ノスタルジックでメロウな空気。

「三郎」
「どうした」
「…何でもない」

 兵助は目を閉じる。まるで、俺以外の全てを遮断するように。目を閉じて、更に体重をかけてきた。その頭に頬を寄せて、何も喋らず兵助に倣って目を閉じた。




 日が大分赤みを増した頃、二人で名前も知らない駅に降りた。制服をきっちりと着込んだ初老の駅員が一人いるだけの、見てくれは綺麗だがホームなんかはかなり古くなった駅。手を繋いで現れた俺たちに、駅員は少し目を開くだけで何も言わなかった。事務的に乗り越し精算を済ませ、知らない土地に足を踏み入れた。
 ぽつぽつと車が走り、見渡すと二、三人の人がいる。同じ日本なのに、知らない土地と言うだけでどこか外国のようだ。古ぼけたアパートも、開店休業状態の服屋も、遠くに聞こえる工場の騒音も。しばらく歩いて、この地域で一番大きいのであろうスーパーの前に出た。煌々と光るライティングに、日が落ちきってしまったことをやっと知った。
 不意に、兵助が空いている方の手を伸ばしてきた。手は頬に触れ、次いで顔が迫った。触れ合うだけのキス。明かりに照らされて、綺麗な兵助の顔。離れてゆく顔を追いかけて、今度はこちらから唇を合わせた。やはりそれは触れ合うだけだった。

「帰ろうか」

 どちらともなく言った。来たときと同じように、手を繋いだまま駅に向かう。きっと電車の中には人が大勢いるのだろう。来たときとは全く違う雰囲気なのだろう。それでも、きっと俺たちは手を繋いでいるという確信があった。
 駅員は、また俺たちを見て少し目を開いて、それでも何も言わなかった。駅員に見送られて俺たちは帰る。
 二人だけの世界を、胸に秘めたままで。




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