もうもくのじてんしゃのりのはなし



ある時代のある場所に、サーカスがやって来ました。全く興味のなかったある男が、暇潰しにとその興行を見に行きました。そこで男は、初めて彼を見ました。

彼は自転車乗りでした。
赤く派手に金の縁取りがなされた布で目隠しをし、大層子供っぽい笑顔を浮かべて自転車に乗っていました。彼は、ふわふわとした薄茶色の長い髪を翻し、少しでも間違えたら命を落とすような演目を、活き活きと演じました。至極楽しそうな彼に、男の目は釘付けでした。
サーカスが終わって、人混みの嫌いな男は皆が帰ってからひっそりとテントを出ました。そこで、彼に出会いました。彼は、舞台衣装から私服に着替えていて、夜だというのに濃い色のサングラスをかけていました。

「お前、どうしてあんなに楽しそうなんだ?」

男は彼に声を掛けました。

「楽しいからだよお客さん」

彼は答えました。

「死ぬかも知れないんだぞ」
「だから楽しいのさ。お客さんも楽しんだかい?」
「お前にひやひやさせられた」
「それは何よりだ」

彼は男に食事はまだかと訊き、男はまだだと答えました。

「なら、どこか連れていってくれよ。お客さんのいいところでいい」

男は頷きました。彼の表情が変わらないのを見て、重ねていいよ。と言いました。彼はそれを聞いて笑って、男に近付きました。
彼は手を伸ばして、まず男の肩に触れました。それからゆっくり腕をなぞって肘の辺りを掴み、そこへ自分の腕を絡めました。そこでやっと男は、彼の目が見えないことに気付きました。

二人は街へ出ました。男は彼を必要以上に気遣うことはありませんでしたが、必要最低限の声は掛けました。段差、とか右、とか。彼はそのたびにニヤリと笑って、男にギュッとしがみつきました。
そうして二人は、酒場とレストランの中間のような店に入りました。席に着くと、彼はサーカスでしていたものと同じ目隠しをしました。

「どうして目隠しをするんだ?」
「混んでいるようだからさ。俺のファンがいたら困るだろう?」
「目が見えないことを隠したいのか?」
「世界はそんなに優しくないからな」

彼は三郎。と言いました。俺は三郎。と。

「お客さんは?」
「久々知兵助」

兵助ね。と呟いて、彼は届いた料理に取りかかりました。目が見えないことを感じさせない、自然な動きでした。
そんな彼を見て、人が寄ってきました。端正な顔立ちのせいか女の人が多いです。そんな人達に彼は、こうして見えないことに馴れているんです。と笑って言いました。その笑顔は、彼がサーカスで見せた笑顔とも、男の腕にしがみつくときの笑顔とも違い、男はもやもやしました。
食事を終えて、二人は店を出ました。男が彼に送ろうか?と訊くと、彼は、道は覚えたから大丈夫。と答えました。二人は店の前で別れました。


翌日、仕事を終えた男はサーカスのテントに向かいました。それは遅い時間で、その日の興行は終わっていました。男は彼と会った場所で彼を待ちました。
彼はやはりサングラスをかけていて、声をかけると笑って近寄って来ました。

「食事は?」
「誘いに来てくれた?」
「ああ」

じゃあ昨日と同じところへ。言った彼の腕をとり、男は言います。

「今日は違うところ」

二人は昨日と同じように連れ立って歩きました。男は彼を自分の部屋に迎え入れました。

「ここ、兵助のうち?」
「そう」

ここなら周りを気にしないでいいだろう。ぶっきらぼうに男が言うと、彼は何とも言えない表情をしました。

「嫌か?」
「その気になりそう」
「安心しろ。飯食わせたら追い出す」
「酷っ」

彼をソファーに座らせて、男は夕御飯を作りました。普通のオムライス。彼はそれを美味しいと言って食べました。サングラスは外されて、けれども目はずっと閉じられていました。
食事を終えて、たっぷりとコーヒーの入ったマグカップを彼に渡して、男は彼に話し掛けました。

「お前、どうして自転車乗りなんかやってんだ?」
「実入りがいいからさ。盲目で働くのは大変だ」
「その目はどうして?」
「詮索するねぇ」
「食事代だ」
「事故だよ。これでも二十歳近くまでは見えてた」
「ふぅん」

追い出さないのか?と彼は訊き、男は帰れるのか?と訊き返しました。

「帰れるよ」

じゃあまた。と彼はマグカップを返して立ち上がりました。彼のためにドアを開けてやりながら、男は、またって何だ?と訊きました。彼はただ笑うだけで、二人は別れました。




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