そして今に至る。
 後輩に委員会の申し送りをして、先生方への挨拶も済ませて、部屋も片付けた。いつでも出れるように荷物はまとめてある。今日は卒業式。終わったらその足で実家に帰る。長かった六年間もこれで終わり。
 三郎は卒業式を待たずに行ってしまった。割のよい仕事を紹介して貰えたそうだ。それは急な話で、数日経った今でも実感が湧かない。こんな風に唐突に終わってしまうなんて思わなかった。がらんとした部屋の、押し上げられた明かり取りから柔らかい光が差し込んでいる。しかし、そこに花はもうない。あの花はいったい何だったんだろう。ぼんやりと考える。俺の片恋は何だったんだろう。分からないけれど、確かなのは俺が三郎に恋していたという事実。揺るがない、消してしまいたい事実。思い起こした記憶は悲しみと、それでも幸せを与えてくれた。三郎と共に、一番近いところにいたわけではないけれど共に過ごせた日々の記憶。誰にともなく、ありがとう。と呟いて、部屋を出ようとした。


 ぱさり


 振り返ると、薄紫色の花が。一抱えほどの花が、細く折った半紙でくくられて落ちていた。松虫草。かなわぬ恋。
 確信があった。花を抱え上げ、震える指で半紙を解いて、広げた。
 三郎の字。筆跡を真似るもの得意な三郎だったが、それは奴本来の、少し傾いだ文字で、

  皮肉なことだ
  どんなにお前が好きでも
  共に生きられないことは分かっていた
  これで最後だ
  こんな告げ方しか出来ない私を
  どうか、忘れてくれ

 開いた口からは何も。代わりに涙が零れた。滲んだ視界で何度も何度も文字を追った。脳内で何度も反芻して、やっと、三郎が俺を好きだったのだと、気付いた。
 腕の中の松虫草はぐっと小さかった。この花は春に咲くものではない。どうやって手に入れたのだろう。抱き締めると花弁が散った。三郎。腕の中にあるのは、ずっと抱き締めたかった身体ではなく、三郎が残した想いのかたち。三郎。忘れられるわけがないだろう。俺の気持ちはどうなるんだ。俺だって、お前のことがずっとずっと、

「好きだったのに…」

 顔を乱暴に拭う。忘れてたまるものか、このまま終わらせてたまるものか。まとめた荷物を引っ掴んで花を抱えて部屋を飛び出した。馬鹿三郎。俺の気持ちも知らないで、お前だけ終わらせるなんてずるいだろう。卒業式も、実家に帰らなければいけないことも無視した。ただ、三郎を追った。駆けて、駆けて。

 山を下って少し行ったところで、やっと追いついた。見慣れた背中が見えた。

「三郎!!」

 叫ぶように名前を呼ぶ。振り返った三郎の、驚いた顔が一瞬だけ見えた。一瞬だけ。駆ける勢いそのままに、振り返った三郎の胸に飛び込んだから。

「兵助」
「三郎。この馬鹿」
「お前、卒業式だろう」
「馬鹿。そんなの、知らない」
「馬鹿はどっちだ。どうして追ってきたりなんかしたんだ」

 困ったように俺を抱き返す三郎の腕、飛び込んだ胸の温もりが涙を誘う。けれどもここで泣くわけにはいかないと、きっと三郎を睨んだ。

「俺は、三郎が好きだ」
「兵助それは―」
「勘違いでも何でもない。ずっと前から、お前のことが好きだった」

 戸惑ったのか、背を撫ぜていた手が、止まる。

「お前は雷蔵と恋仲なんだと思っていた。だから口に出すことはしなかった」
「兵助」
「お前が俺を好きだというなら、俺だってもう、隠したりはしない。
 三郎。お前が好きだ」

 不意に腕がきつく締め付けてきた。負けないように首に縋り付く腕に力を込めた。抱き合って、とうとう堪えきれずに涙を零した。三郎も泣いていた。抱き合って泣いた。それは決して悲しい涙ではなかった。そうやって互いの体温を感じあうことが、何よりこの数年間の空洞を満たしていった。満たされて、いった。



「お前、今後はどうするんだ」

 赤い顔を照れくさそうに手拭でこすりながら三郎が言った。

「お前と共に生きたい。ってのは迷惑か?」
「迷惑じゃないが」

 口ごもって、小さく実家は?と言う。どうやらずっとそのことを気にしていたらしい。俺が忍にならないのなら、忍になる自分とは決して添い遂げることはできないと。それは最終的に互いを不幸にすると。自己完結も大概にしろと言いたいが、こちらだって三郎と雷蔵の仲を勝手に勘違いしていたのだからおあいこだ。

「大丈夫だ。どうにかするよ」
「そんな軽々しく」
「大丈夫だって。三郎と一緒なら何だって平気だ」

 全くの本心だったのだけれど、それを聞いた三郎は爆発的に顔を赤くして、冗談はよせと言った。こんなに照れ屋だったかとぼんやり考える。本当に、三郎と一緒に生きていけるのならば、俺はもう何も要らない。そう告げれば、赤い顔のままの三郎が、至極真面目な顔で口吸いしていいかと尋ねた。答える代わりに、顔を少し仰向けて、目を閉じる。
 初めての口付けは、長く、幸せを感じさせた。

 かなわぬ恋が、かなった瞬間。



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 正しくはセイヨウマツムシソウの花言葉が『かなわぬ恋』となります。花は初夏から夏にかけて。作中ではかなり無理のある使い方をしていますが、大目に見て頂けると幸いです。



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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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