くちなわとひとの悲恋
 薄く死を思わせます



 昔々、あるところに久々知兵助という男がおりました。色白で凛々しい顔立ちをした綺麗な男でした。
 兵助には秘密にしていることがありました。毎夜男が部屋に訪ねて来るのです。兵助はその男の名前を知りませんでした。しかし、身体は知っていました。初めて交わった日のことは忘れてしまいましたが、自分がろくに抵抗することなくそれを受け入れたことは覚えていました。それはきっと、男の目があまりにも寂しそうで、悲しそうだからだと兵助は思っていました。




「来たのか」
「朝には帰るさ」

 一言ずつの会話を交わして、小さな行灯の明かりを頼りに夜着を脱がし合い、手を取り合って蒲団に倒れこむ。いつもと全く同じことを繰り返します。男の体温は低く、冷たい指先が兵助の肌をなぞると一拍置いてそこがかっと熱くなります。じんじんと痺れたようになる肌を執拗になぞり、舐める男の表情が徐々に張り詰めていき、兵助はいつもその表情に見とれて呼吸を忘れてしまうのです。秘所を暴かれる頃には思考も止まり、ただただ、男により深く貫かれることだけを考えて足を開き腰を上げる。そうしてお互いに欲を吐き出す頃には、兵助は白む視界の向こうに男を見据えて、その名前を呼びたいと願いながら、意識を手放します。
 朝になれば男は消えていて、清められた身体に残る菖蒲の香りを嗅ぎながら、兵助は少しだけ感傷に浸ります。欲に溺れているだけだと思い込もうとして失敗します。何も知らないのに…。まぐわっているだけなのに。と。




 兵助には友人がいました。勘右衛門と言います。勘右衛門は兵助のことをよく見ていました。そして、兵助の浸る感傷が日常を侵食し出したことに気付き、とうとう兵助に言いました。

「なぁ兵助。もういいよ。認めていいよ。兵助はその男が好きなんだよ」
「でも、俺はその男のことを何も知らない」
「ならば今から知ればいいじゃないか」

 勘右衛門は糸を通した針を兵助に渡しました。

「これを男の着物の裾に刺せばいい」

 兵助は無理に知ろうとすることに罪悪感のようなものを覚えましたが、あんまりにも勘右衛門が真剣なので、自分のことを心配してくれているので、その針を受け取りました。




 その日の夜の交わりの中、兵助は言われた通りにそっと男の夜着を手繰り寄せ、裾に針を刺しました。男は短く悲鳴を上げました。そして出ていってしまいました。兵助は何の香りも残っていない自分の身体を抱いて、少しだけ泣きました。




 翌朝、勘右衛門が糸を辿ると、古井戸に出ました。糸はその底に続いているようです。耳を澄ませば会話が聞こえて来ました。

「お前は本当に馬鹿なことをしたね。針とはいえ鉄をその身に受けてしまったからには、もう長くないよ」
「ああ、分かっているさ」
「もう訪ねるのはおよしよ」
「そうだな。でもそういうわけにもいかないんだよ」
「どうしてだい?」
「身体を清めてきていないんだ。あいつの肌の上にはまだ私の毒が残っている。早く菖蒲酒で拭わなくては死んでしまう」
「放っておけばいいのに。きっともう、彼はお前が人じゃないと勘づいているよ。もしかすると殺されるかも知れない」
「構わない。元より結ばれないことなんて分かっている。それでもこんなことを続けてしまったのは私の身勝手だから、だからいいんだ」

 勘右衛門はそこまで聞くと、慌てて兵助のところに行き、聞いた話をそっくり伝えました。兵助はそれを聞いて少し目を細め、そうか。あいつは今夜も来るんだな。と呟きました。勘右衛門は何も言えなくなって、そっとその場を去りました。




「来たのか」
「すぐに帰るさ」

 お決まりの台詞が今夜に限って違いました。だからすんなりと兵助はそれを問うことができました。

「お前、名前は?」

 男は微笑みました。微笑んで、三郎。と言いました。

「三郎。今夜が最後なんだろう?」

 お前の名前を呼びながらしたい。と。兵助は三郎に手を伸ばしました。

「私はくちなわだ。いいのか?」
「いいんだ」

 次いで兵助は自分の名前を名乗りました。二人はひたすらに名前を呼び合いながら絡み合いました。夜着を脱がすのももどかしく、締め殺さんばかりに抱き合って。兵助が意識を失うことはありませんでした。触れ合う部分が少なかったせいだと理解して、少し悲しくなりました。




 行為を終えて夜が白み出す頃、三郎は菖蒲酒を取り出しました。兵助は、その酒の入った壺を床に叩きつけました。そして代わりに枕元に置いてあった短刀を差し出しました。二人は笑いました。どんな笑いともつかない笑いでした。夜が明けるまで、時間は少ししか残されていませんでした。



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