剣を下ろして立ち上がり、ついでに三郎をぐいと引き起こした青年に近寄る。ええと、何て呼ばれてたっけ?
「へいすけ…君?」
呼び掛けると彼はきょとんとした顔でこちらを見た。よかった。名前は間違ってないみたい。
「僕は雷蔵」
「ああ。よろしく」
この場に相応しくないやり取りだったが、彼は几帳面に応じて更に僕の顔をしかと見詰めた。熱く視線を向けられる僕に何を思ったのか、三郎が彼の斜め後ろで僅かに苦い顔をする。
「どうかした?」
「いや、本当に同じ顔だなと思って」
「仕方ないよ。双胎だもの」
「そうだな。でも、雷蔵の方が好い顔をしてる」
三郎の顔に滲み出る苦味が更に増して、少し笑いそうになってしまう。彼はそんな三郎に気付くことなく、自分の考えを確かめるかのように大きな目をくりくりと動かした。
「それは僕に角があるから?」
「違う。何て言うか…。本来その顔に似合うのは雷蔵みたいな柔らかい笑顔なんだと思う。三郎は皮肉じみた顔しかしないから」
その答は本当に素直なもので、ああ、三郎が惚れたのはこんなところなんだろうな。と思い、少し寂しく感じた。その寂しさは、三郎が僕とは違う別の人格を持つことを知らしめられた寂しさだった。
そんな呑気な会話を交わす僕たちの後ろから、先程まで僕に剣を突き付けていた男が歩み寄る。兵助はその男を八左ヱ門だと紹介した。僕は少々会話を交わしたから、八左ヱ門というこの男が決して悪い人柄をしているわけではないと知っているけれど、三郎は非常に敵意に満ちた目をしていた。何とも今日は様々な表情を見せてくれるものである。
「反逆児のリーダーが何の用だ」
「こら、三郎。言い方があるでしょう?」
ぶんむくれた子供の風情。八左ヱ門は構うことなくからからと笑った。
「いやぁ、いつぞやは悪かったな。ぶち壊しちまって」
「何の用かと訊いている」
「ん、お前に懐疑を唱えようかと思ったんだが」
ちらりと兵助に目をやって続ける。
「ほとんど兵助がぶつけてくれたみたいだし、もういいかと思って。後は、神に全て訊けばいい。だから、神の御所へ案内してくれないか」
「えらくぞんざいだな」
「細かいこと考えんの苦手なんだよ」
頭を掻く仕草には嫌味がない。兵助とはまた違った意味で大変素直な男なんだなぁと思った。兵助がそんな八左ヱ門に近付き並んで言った。
「俺も行く」
端的な台詞と固い意志に満ちた目。先程の剣楽の疲れも癒えていないだろうに。彼は僕とその後ろの三郎に向かって言い放つ。
「俺はハチの群に属してるし、それ以上に、俺を認めない神に真意を問い質したい」
三郎がその言葉に何と返すのかは分かっていたから振り返ることはなかった。それに何より、それが三郎自身の望みだと知っていた。きっと本人は気付いていなかっただろうけれど僕は、三郎がずっと、神という存在を疑っていたことを知っていた。。角のない金鬣族として生まれたことや、王になるべく定められていたこと。三郎はそれらの重圧に耐えようと、ひたすらに神を疑ってかかっていた。
「私も行く」
苦味もなく皮肉げでもない、こいつにしては珍しい素直で真面目な声音で、三郎は言った。続けて僕に、
「雷蔵。君は残ってくれ。君は私なき後正しく王になる人間なのだから」
と言った。全く、これだけ(数年の空白はあったにせよ)共に生きてきたくせに、僕のことを分かっていないんだから。
「何を言っているんだい?三郎。僕も行くに決まっているじゃないか
何せ、僕は僕であると同時に君の半身なんだから」
それは僕たちの合言葉。王になるものとして城の中で、たった二人だけ存在するその孤独感を埋めるための、魔法の言葉。
一拍置いて、後ろから三郎がひしと抱き付いてきた。
「雷蔵」
「うん?」
「君が僕の片割れでよかった」
「うん」
「ありがとう」
すがり付く腕をぽんぽんと叩いてやる。こうして三郎を宥めてやることも、これからはなくなるのだろうと思うと無性に寂しかった。この戦いが終われば、僕たちはばらばらになるのだろうという実感があった。凄く寂しくて、けれども決して悲しくはなかった。
王だけが知ることを許される神の御所に四人は駆け向かった。その先頭に立つ三郎は胸中で不安が膨れ上がるのを抑えきれなかった。その理由の一つが扉である。迷宮のように入り組んだ通路には様々な封印を施された扉があるのだが、その全てが破壊されていた。それも剣や演算によるものではない、扉自身が自ら壊れようとして壊れたかのような有り様なのだ。このようなことが出来るのはごく少数の高位の神官だけである。彼らが歌う破壊のための歌だけが、このような作用をもたらす。つまりこの先には、とてつもなく厄介な者がいるかもしれない。壊れた扉をくぐるたびに不安は募った。
もう一つの理由は単純な頭痛であった。謁見の間を出る頃はまだちりちりとした軽いものだったのだが、神の御所に近付くにつれ激しく締め付けるようなそれへと変わっていった。波があるのか激しく痛んでは収まっての繰り返しだが、やはり徐々に酷くなっていっているようだ。ちらりと後ろを振り返れば、雷蔵と八左ヱ門が同様に苦痛を浮かべているのが目に入る。対して兵助は平然としたもので、周囲の足取りが乱れがちになることに疑問を抱いているようだった。この頭痛が命取りにならなければよいのだが。そう半ば祈るように三郎は思った。
「ここだ」
やがて足を止めたのは巨大な地下洞窟の行き止まりであった。ごつごつとした岩肌が雷蔵の持つ灯りに照らされて浮かび上がる。そして、見上げるばかりの大きな石造りの扉が目前にそびえ立っていた。八左ヱ門が感に堪えぬように溜め息を漏らす。
「この先が、神の御所だ」
台詞と同時に一際大きな頭痛に襲われ、三郎は額に脂汗を浮かべた。雷蔵が後を引き取り続ける。
「扉の向こうに神がいる。兵助君と八左ヱ門君。君らがその剣で神に懐疑を唱えるなら僕たちは援護を惜しまないけれど、果たしてそれがどこまで続くかは分からない。もしかすると兵助君しか動けなくなるかもしれない。それでも、この扉を開けるかい?」
何かを堪えるように、眉間に皺を寄せて雷蔵は言った。一人涼しい顔をした兵助が言葉もなくただ頷く。対して八左ヱ門は、やはり苦痛に顔を歪めながらただ苛烈な意志のこもった瞳で雷蔵を見据えた。
一つ嘆息して三郎が扉に向き直る。開けるには王の名乗りと剣が必要である。扉に向かって名乗りを上げ、次いでその剣を突き立て鍵とせねばならない。まずはと苦痛の中で出来る限り気息を整え、そっと扉に手を触れた。
音すらなく、扉が開く
唖然とする二人の王の目の前で、ひとりでに扉が開いた。そして人影が一つ。
「待ってたよ」
長い黒髪を翻しながら振り返る、神官衣を身に着けた川鼬族の姿。勘右衛門だった。
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