何をやっていても格好いい男性なんてそうそういない。少なくとも私は今までこんな男性会ったことがなかった。


「…………はあ」

何度目かわからない溜息をつく。卓上テーブルの向かい側にはまだ会って一週間程度しかたっていない男性。ブックカバーをつけた文庫本を静かに読んでいるだけだが、誰かの言葉を借りれば、おそらくこの景色だけでご飯三杯はいける気がする。(……いや、決して変な意味ではなく)


「どうした」

ちら、と目線だけこちらへ向けてきた様子もやはり天性のもの。無意識にこんな表情ができたのならさぞかし女性にモテただろう。私は「何でもない」とだけ言って、テーブルに肘をつき、じっと彼を見つめた。

「………そんなに凝視されると居心地が悪いのだが」
「しょうがないでしょー、暇つぶしの対象が貴方しかいないんだもの。動けないし」
「やはり足は痛むか」
「んー、まあまあ。だけど走れないわね」

私は彼に手当てしてもらった右足に視線をうつす。実は彼と初対面のときから足を挫いていた。自分でも、どこで挫くようなことをしたのか覚えてない。だからたぶん足を挫いたというより、少し炎症を起こしてるんだと思う。エクスフィアを装着してからほとんど何年も体を動かしてなかったのに、逃走のときに全力疾走したので何処かを故障するのは当たり前だった。しかも予想以上にひどく彼によれば全治一ヶ月ほどらしい。


「……どうでもいい話、してもいい?」
「何だ」

あまりの暇さに耐え兼ねた私は、ふと思い出した話を彼にすることにした。

「私ってアンナって名前でしょう?」
「私が聞いたかぎりではな」
「これね、神様の名前が由来らしいのよ」
「………ほう」

どうやら知らなかったことらしく、彼の表情が驚いているように見えた。本当に少しだけ。


「でも私は正直この名前、嫌いね」
「何故」
「基本的に神様が嫌いなのよ。いるはずもない人にどうしてみんな縋るのかしら」
「随分現実的だな。人はみなマーテルを信仰しているものだろう」
「私はマーテルさんは信じてないわよ」
「…何故そう思うのだ」
「だって100人いれば100の世界の見え方があるのよ?幸せの形だって人それぞれなのに、それを一人の神様が叶えることは不可能でしょう」

彼が少し動揺したのがわかった。かすかに息を飲む気配がしたからだ。それがどういった意味での行動なのかはわからないけど、まあ要するに驚いているのである。

「……全員が同じように『平和』を幸せだと感じれば、古代戦争なんて起こらなかったはずよ。考え方が違うから争いが起こるの」

──結局、神様は矛盾した行為をするから、自分を幸せにできるのは自分自身だけ。

私はエクスフィアをはめ込まれた時にそれに気付いた。


「やはりお前は変わっているな」
「まあ、そんなこんなで私は自分の名前が嫌いなのよ。終わり。オチがなくてごめんなさいね」

彼が少し目を伏せたので、少しだけ私は今の話をしたことを後悔した。もしかしたら、何か思い当たる過去があるのかもしれない。彼の顔が酷く、泣きそうにも見えた。

「アンナ」

いきなり名前を呼ばれて私は思わずどきりとする。別に変な意味ではなくて、単純に初めて呼ばれたから。てっきりこのひとは私のことを「お前」としか言わない人だと思っていた。

「………と、呼んでもいいのか。私は」
「ああ…名前が嫌いってことはそこまで深刻に考えないでね。どちらかといえば、って話だから」

すると彼は私の瞳を見つめて、もう一度名前を呼んだ。

「呼びやすい名前だな」
「……私の渾身の力説を聞いておいてそんなこと言えるなら、十分貴方も変わってるわよ」


なんというか呆れを通り越して笑ってしまった。ひょっとしたら私が20年間嫌いだったのは名前ではなく──私を名前で呼んでいたあの人達なのかもしれない。「かわいらしい人」「理想の女性」、そんなお世辞をぽんぽんと発していたあの人達だ。


それから彼は私を頻繁に名前を呼ぶようになった。ちなみに私はまだ彼を名前で呼んでいない。別に照れているわけではないが、見たところ彼は私より年上のようだし、名前で呼ぶのはもう少し親しい間柄になってからの方がいい気がした。


何をしても格好いい男性なんてそうそういない。けれど名前を呼ばれて心地良いと思える人も──もしかしたら彼が初めてかもしれないと、何となく私はそう思った。


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【アンナ】
聖母マリアの母。聖書正典には現れず、外典に登場する。

10/12/4


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