「あ」



思わず出てしまった声に、クラトスは慌てて口をつぐんだ。ちらり、とまわりを伺うが特に変わったことはない。大丈夫。今の声は聞こえなかったようだ。幸いなことに朝の駅の改札には音が溢れているため、まわりに気付かれることはないのだが。


『まもなく2番線に電車が参ります。黄色い線までお下がりください』


聞き慣れた車掌のアナウンスに大きな声で携帯に向かって話すサラリーマン、そして楽しそうにけらけらと笑う女子高生たち。どれもクラトスにとっては『あって当たり前』の風景なのだが、改札の向こう側から普段は見掛けないものが走ってきた。




「クラトスさーん!」



金色の髪を揺らして、可愛らしく笑いながらこちらに手を降って駆けてくる少女こそ、まさにそれだ。白の生地に紺の襟がついたセーラー服がとてもよく似合っている。寒さで鼻を赤くした彼女があまりに一生懸命こちらに手を降るのだから、クラトスは思わず頬を緩めてしまった。それだけ可愛いのだ。彼が声を漏らしてしまうほど。


こういう時、彼はよく「女の子も、欲しかったな」と思う。もちろんロイドは彼にとって掛け替えのない存在であり、可愛いことに変りはないのだが、やはり父となれば娘は欲しいものだ。故に隣人であり、ロイドと仲がいい彼女だからこそ少しだけデレてしまう。顔には、出してない(はず)。

「コレットか………おはよう」
「おはようございます!」
「珍しいな、駅であうなんて」
「えっとその、私寝坊しちゃったんです。だから一本遅い電車で」


えへへ、と照れくさそうに笑う彼女にクラトスは「相変わらずだな」と苦笑を浮かべる。彼の隣人であるコレットは多少抜けているので、しょっちゅう寝坊をするのだとロイドが言っていた。その「抜け具合」が彼女の魅力であるとも。


「あ、そうだ」


そのときコレットが何かを思い出したように声をあげ、手にもっていた鞄から何かを取り出した。桃色のリボンでラッピングされたそれをコレットは両手でクラトスへと差し出す。


「あ………あの、これ………」
「…………?何だ?」
「えっ………あう……う」

コレットは困ったように目を逸らし、頬を朱に染める。そのもじもじとした様子にクラトスは首を傾げ、彼女が持っている小さな袋を見つめた。


2月14日。




「………………あ」
「はっはい……………!?」
「すまない…そういうことか」


クラトスは小さく逡巡したあと、そっと彼女の頭に触れた。なるべく髪の毛が乱れないように、ゆっくりと優しく撫でる。女の子である以上ロイドにするようなくしゃくしゃとした撫で方はできなかった。


「あの………クラトスさん?」
「今日はバレンタインだったな。………ありがとう」


クラトスがそう言えば彼女はぽかん………と口を開けたあと頬を桃色に染めて笑ってくれた。太陽が弾けたような満面の笑みを浮かべ、くすくすとクラトスを見上げる。


「えへへ、アンナさんに作り方教えて貰ったんです」
「そうだったのか…………」
「そしたら言われましたよ。さっさと本命に絞れって」


コレットの言う本命が誰なのか、クラトスには簡単にわかった。苦笑にも近い表情を浮かべる彼女を見て、クラトスは目を伏せ溜息をつく。寒いからだろう、白い息がでたのでマフラーを口まであげた。




「すまないな…………あいつは究極の鈍感なのだ」
「いえ、私も意気地なしなんです。中学生のときからずっと言えなくって。で、たぶん今年も友チョコって思われちゃうんですけどね……」
「まあ…その気持ちはわからんでもない」
「え?」


きょとん、とコレットに見つめられクラトスは一瞬目を逸らす。この場で言うべきか迷う内容だったからだ。第一恥ずかしい。しかしもしかしたら、本当にもしかしたら将来娘になるかもわからない少女が困っているのだ。


「…………誰にも言わないと約束できるか」
「あ、はい。よくわからないですけど」


にこ、と可愛らしく微笑んだ彼女に嘘や偽りは見当たらない。…コレットなら大丈夫か。そう思いクラトスは彼女の口の硬さを信じることにした。

「……まだ恋人だったときからそうなのだが……アンナは『そういう空気』とか『雰囲気』が感じとれない性格だった」
「え、アンナさん?あとそういう雰囲気って…」
「ロイドとアンナはよく似ているから参考になるかと思ったのだが。そういう雰囲気というのは…………まあ、その、あれだ」

語尾を濁している彼は珍しくあたふたと目を泳がせ、わざとらしく咳こんだ。今までぼけっとしていたコレットだったが、異様に照れている彼を見て何かに気付いたらしく吹き出すように笑う。


「もしかして、チューのタイミングですか?」
「ばっ………そ、そんなにダイレクトに言うものじゃないだろう……」
「えへ、何か今日のクラトスさん可愛いですね」


にこにこと笑う少女に彼は言葉を詰まらせ、困ったような顔をした。と、そのとき電光掲示板が更新され、電車が行く方面と時刻がぱっと一番上に表示される。はっと腕時計を見て小さく声をあげた少女にクラトスは「時間か?」と問い掛けた。


「はい……あと5分、ですね」
「そうか。ならホームにいた方がいい」
「それもそうなんですけど。………結局、クラトスさんは何が言いたかったんですか?」


小首を傾げた彼女の瞳をじっと見つめクラトスは唇を開く。小さく、まるで子供に内緒話をする親のように囁いて。


「ちゃんと口にだして言わなくては伝わらないということだ。ただでさえ鈍感なのに、雰囲気どころかアンナは私の気持ちにさえ言うまで気付かなかったからな。たぶんロイドもそうだ。気付いてほしいと思うなら言葉で言いなさい」
「…………そうですよね。やっぱ言わなきゃ伝わらないかあ…」


頑張ってみます、と彼女は笑うがその表情は明らかに何かを面白がっているようで。クラトスが訝しげな目をすれば、彼女はさらに笑ってこう言った。


「ロイドってクラトスさんにも似てますよね」
「……?」
「ロイドも本当に大切な人のことを話すとき、照れて目泳がすんですよ」


人差し指をくいくいと自分の瞳の前で動かす彼女。おそらく『目を泳がす』行為をあらわしているのだろう。しかしクラトスにはそれより気になることがあった。


「…………大切な人?」
「はい。クラトスさんが照れた顔と、ロイドが―――お父様の話をするときの顔、すっごく一緒なんです」
「な」
「ロイドって本当にクラトスさんが大好きなんですね」


それは嫌味でもなく純粋に言われた言葉。彼女は最後に向日葵のような笑顔を浮かべ、「それじゃあ、いってきます!」とホームへと走っていった。ぱたぱたとローファーの音が響き、最後にはまわりの雑音に紛れ混む。桃色のマフラーの結び目が、首の後ろでふわふわと揺れていた。同じリズムで跳ねる金髪を、呆然と眺めていたクラトスだったが彼女の背中の凛々しさに呆れたように微笑む。


(私とは、違うな)


彼女が一枚上手だ。


そう心で呟き、コレットとは逆方向のホームへと彼は歩きだした。今日もまたいつもどおりの一日が始まる。ただバレンタインというだけで。さっきは自然とコートのポケットに入れたコレットのお菓子の袋を手の平で確認し、こっそり微笑む。淡々と一定のリズムで聞こえる自分の革靴の音が、どこか遠くに感じた。



(……ロイド)



彼女が「似ている」といった息子の名前を呼び、クラトスはホームへの階段を上る。かすかに見えた空は曇り空。太陽が好きな彼はそれに若干溜息をついた。変りに脳裏に愛しい「太陽」の笑顔が霞む。


(早く、親離れしなさい)





私は子離れできないが。

お前はしなさい。
コレットのために。








…………何て自分勝手な言葉はロイドに届くわけでもなく。コレットに同情してみたり、それでいてまだロイドの「一番」であることに安心してみたり。




心揺れる年頃の父であった。








求めるのが恋
それを我慢できるのが愛



と、いうことにしておこう。



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