★クラトス視点










手紙にはただこう書いてあった。




『すべてにケリをつけてきます』




テーブルの端に置かれた小さなメモは、鉛筆で重しにしてあり、はみ出した部分が窓からの風でひらひらと揺れていた。私はその一文しか書いていない手紙を何度も何度も繰り返し読み返す。目で追うそのくせのある丸文字は、その字体とは裏腹に残酷な内容を綴っていた。静かにそっと彼女の筆跡に指を這わせても彼女の思いは到底見えない。一体、あいつはどんな思いでこれを書いたのだろう。あまりにも字数が少ないこの手紙からは、わかるわけがなかったが。


「何処に行ったか、覚えはあるか」



凜とした声が室内に響き、私は顔を上げる。机の向かい側にはかつての同志、青髪を横下でゆるく結った男が私をじっと見つめた。彼の髪も目の前のメモと同じリズムで微かにゆるゆると揺れる。私はその原因を追うように窓へと視線を動かし、そのあと部屋中をぐるりと見つめた。がらんとした部屋の窓の側にはソファがあり、そういえばよくあの位置であいつは昼寝をしていたなと、思考の端で思い出す。


一人減るだけでこの部屋は、こんなにも広かったのか。


「………行くとしたら人間牧場だろうな」


長い沈黙のあと私がぽつりと呟けば、ユアンが顔をしかめる。いや、しかめたと思う。その時私は僅かに開いた窓の隙間から、部屋の向こう側にある青空を見ていた。だからユアンの表情の変化は見ていない。ひゅうっ、と少しだけ強い風がふいても私達はただ黙り、ある一点を見つめていた。


アンナが消失したのは今朝からだ。

昨日、あんなことがあったせいか彼女は無言で部屋に閉じ込もり、夕飯になっても出てこなかった。だから私も無理に呼び出したりはしなかった。何故、と問われれば答えは一つしかない。


大切だから、だ。


…しかしあの時、あいつは私の腕の中で震えながらこう呟いたのだ。『ずるい』と。たしかに私はずるいかもしれない。死を受け入れようと努力している彼女に、愛を囁くなどただ彼女を苦しめるだけだ。


「……本当にお前はそれでいいのか」
「いいわけがない。しかし………彼女の人生だ。私があいつを引き止める権利は、ない」


すべてにケリをつける。
おそらくこれは今生にピリオドを打つ、ということだろう。しかし彼女は自殺はできない、と言っていた。もちろん私は彼女を殺したりなどしていない。だとすれば、エンジェルス計画――――すなわちクヴァルのもとへと帰ったと考えるのが自然だった。


「だとしたらお前は相当な、大馬鹿者だな!」


急にユアンが語調を変えたので驚いて顔を上げると、いつの間にか彼はイスに腰掛ける私の側で突っ立っていた。見下ろすその冷たい瞳からは、想像もできぬ怒りを感じ僅かに身構える。ゆっくり彼の両手は私の首下まであがり、襟を強くつかまれ強引に引き寄せられた。

「ユアン、よせ」
「まだわからないのか!女の置き手紙は『迎えにこい』と言っているようなものだぞ!」


ユアンの意外な言葉に私は目を見開く。至近距離にある同志の瞳は相変わらず怒りに震えているが、ただ怒っているだけではなくすがっているようにも見えた。


「本当に彼女がお前を嫌いだったらどうする。…もし私なら、こんな置き手紙などせず黙って出て行くがな」
「…それは」
「いいか、よく聞け」


語調を強めたユアンに私は息を飲み、黙って彼を見つめる。いや、見つめざるをえない。彼は襟元をさらに手前にひいて、私の逃げ道をなくしたからだ。本当に彼は逃げやすい私の性格をよく理解していると思う。


「お前は昔から究極のマイペースで私達を散々振り回していたが、マーテルやミトスも私も文句を言わなかった。何故だかわかるか?」
「……………」
「お前が選んだ道なら間違いなどないと信じていたからだ」


掴まれた襟元に力がこもった。布が悲鳴をあげるのにも知れずさらに指を食い込ませるユアンに今度は私が顔をしかめる。何を必死になっているのかわからないが、この男はよほどアンナに思い入れがあるようだ。


…………いや。違う。


彼はアンナの向こう側に『彼女』を――


「しかしマイペースとは言え、お前は戦力と気遣いにだけはずばぬけて長けていた。それが仇になったことだってあるだろう。どうでもいいことで真剣に悩んだり、私達が知らないところでいつも、いつも…」
「それが私の性に合って、」
「ふざけるな!こっちの身にもなってみろ!たまったものではないぞ!」


ユアンがここまで怒るのは久し振りだった。


怒鳴りつけたあとは彼の荒い息しか聞こえない、事実上の沈黙が訪れる。いや、そんなことを気にしている場合ではない。こんなユアンの表情を、マーテルが亡くなった時以来、見たことがなかったからだ。

「…4000年前、孤独な存在である私達を導いたクラトス・アウリオンはその程度なのか。お前の行動力は、女一人で乱されるものだったのか」
「…………」
「だとしたら私も大馬鹿だな。人間であるお前を、同志として認めた私は愚か者だ」
「………ふ」


思わず小さく笑う私にユアンは拗ねたような顔をした。それをきっかけに張り詰めていた空気が一気に緩み、私は肩を揺らしながら笑いに絶える。

たしかに、私はただの馬鹿だ。


自分が『正しい』と思うことを真っ当していたあの頃の自分は、迷わずミトスの希望に共鳴していたというのに。王家に烙印を押されても平気だったはずなのに。…マーテルを殺されてから、自分が正しかったのかわからなくなった。結果、周りの調子に合わせることを選び、暴走するミトスを止めることもせず、ただ黙って己の志を有耶無耶にした。

それが、汚点。



「クラトス。お前は、昔と同じように自分勝手であるべきだ。最初から…周りなど気にするタチではなかっただろう。アンナが選んだ道が間違っていると思うなら取り戻しにいけばいい。自己満足で動いた方が案外上手くいくのだと、私はお前のマイペースな行動から教えられたからな」

ふう、と面倒くさそうに溜息をつく彼は心底私の迷いに呆れているようだ。もしかして、気にするほどでもないのだろうか。彼女も…単純に私を嫌っていないからこそこんな行動をおこしたのかもしれない。よくよく考えて見れば彼女が私を『ずるい』と言う理由は、私の告白を聞いて少しでも生きたい、と願ってしまったからだ。私の言葉がすべてに諦めた彼女を引き止める、枷になったからだ。


だからこそ。ずるいなんて言わせなければいい。素直に『死ぬな』と、言えばいい。それで彼女がどれだけ迷おうと、それは私の問題ではない。私は自分勝手に彼女を死の淵から引き止めればいいだけの話だった。


「ユアン」
「何だ」
「………大切なもののために、少々強引で、目茶苦茶なことをするのは許されると思うか」


そう言えば彼は目をぱちりと丸くし、数秒後吹き出すように笑った。そして楽しそうな声色でこう呟く。


「女神マーテルなら、許すだろうな」


+ + +

アンナ。

馬鹿なお前のために一応言っておくが。

包丁は、料理をするために使う道具だ。


「全く本当にあいつは世話がやけるな」


溜息をつきながらも口許の笑みは消えないまま。何年かぶりに着るであろう白の騎士団服の最後のボタンをはめて、私は台所の包丁を見つめる。昨夜、彼女が首に当てたものだ。

あの情景を見て私は柄にもなく本気で焦った。

このままでは失ってしまう、と確信した瞬間自然と手が伸びて、ずっと言えなかった言葉も勢いで転がりおちて。我ながらかなりストレートであったと思う。


「懐かしいな」


ふと声がして振り返えれば、ユアンは腕を組み壁にもたれながらこちらを眺めていた。

「何がだ」
「その格好」
「……ああ」


かつて戦うことを本業としていた時代は毎日のように同じデザインのものを着ていた。 剣を振るい騎士団の部下へ怒号をはなっていたあの頃とは、着る意味が全く変わってしまったが。


「私服でも戦えるモンスター程度なら街に行くとき相手をしているが、人間…いや、ハーフエルフ相手に剣を使うのは久し振りだ。まともに戦えるかわからん」
「問題ない。輝石が限界まで力を引き出してくれるだろう」


輝石とは無駄に便利だな、とユアンは目を伏せながら呟く。それが人の命である以上、何とも言えないのだから。


「ところでクラトス。お前が無茶をするというから、私も無茶をしておいたぞ」
「……?」
「ディザイアンにはレネゲードの内通者がいる。そいつに…アスカード人間牧場の裏口の施錠をすべて解除させた」
「……ユアン」
「勘違いするな。お前はオリジン解放の鍵なのだから、いずれ必要とするときまで簡単に死なれては困る。それだけだ」


ふん、と顔をそらした彼に私は何と言えばいいのか。本当に有り難いのだが。少しだけ逡巡したあと、思いきって私はことの真実を聞いてみることにした。


「お前がアンナにそこまでこだわる理由は……マーテルに似ているからか?」
「はあ??」


素頓狂な声をあげ、意味がわからないとでも言うようにユアンは私を見た。何だ、違うのか。…と、無駄に安心している自分が恨めしい。

「貴様、何を言っている。あれの何処がどういうふうにマーテルと似ているのだ」
「……まあそうだが」
「私があいつを気に入っているのは単にお前と似、」

はっと息をとめ、ユアンは口許を覆い隠す。私が不思議そうに彼を見ていると、彼の顔がみるみると朱に染まっていったので、ますます私は訝しげに目の前の男を見つめた。

「…何故、そこで照れる」
「う、うるさいっ!!!!そんなこと今はどうでもいいだろう!!さっさと行け、この阿呆が!!」

(そんなことを言われるとさらに気になるのだが………)


心の隅でそう思うが、口には出さずにそのまま思考の奥へとしまった。またいつか聞けばいい。とりあえず今は、ユアンの気が変らないうちにさっさとアンナを連れ出したほうがよさそうだ。


壁に立て掛けておいた剣を手にとり、鞘へ納める。カチ、と心地よい金属の音が響き、私はさらに懐かしい気持ちでいっぱいになった。


ふ、と脳裏に金髪の少年の笑顔が浮かび、やがて消えていく。


「………もう、失うのは懲り懲りだ」


間違いなどさせやしない。己が正しいと思うことをすればいい。無理矢理あいつを、正しい道へと引きずりだしてやる。



がむしゃらに生き抜く楽しさを、彼女はまだ知らないだろうから。



20110129
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