死ぬ前日にしては案外冷静でいられたな、と私は思った。髪を撫でる風の存在も肌で感じれなくなった己の体。自分の前髪が揺れているのを見て「ああ風が強いのか」と初めてわかる。風は好きだ。好きだった。髪をなびかせて歌をうたいながら彼と芝生に寝転ぶのが大好きだった。
「なあコレット」
隣りでずっと黙っていたロイドが口を開いたので私は首を傾げながら彼を見た。彼の瞳は相変わらず自分ではなく遥か前方を見ていた。何を見ているのかはとっくに気付いているはずなのに、わざとらしく私も前を見ると、やはり遠くに大きくそびえる救いの塔がある。私を不幸にするそれは、何日たっても消えてくれるわけがない。私が天使にならないかぎりそれは、確かにそこに存在しつづける。
「俺さ、正直寂しいんだ」
『私が天使になることが?』
彼の手のひらを指でなぞれば彼は首をふった。毎度思うがよく彼は、こんな伝達方法で理解できるな、と思う。普通の人間なら結構難しいはずだ。
…違う。
難しくても、私の話を聞いてくれようとしてる。
「お前が俺が知らないところで無理してたことだよ」
やっと、その瞳がこちらを向いた。じっと見つめられて私は少しだけたじろく。彼の目はいつも純粋すぎた。透き通りすぎて彼なら私のすべてを見透かしてしまうのではないかと、いつも不安だった。
最終的な天使化は辛い。その真相をしって彼が悲しむことが一番辛い。
「俺はさ、お前が無理するなら俺だって同じくらい無理したかったよ」
『…どういうこと?』
「俺はお前の変わりにはなれない。天使になれるのはお前だけだろ?だけど辛いのもお前だけなのはやっぱ嫌なんだよ」
彼の発言はいつも私の心を揺らして決意した思いを済し崩しにしてみせる。だからロイドはいつもずるいんだよ。優しすぎて貴方が怖いの。うっかり「辛い」と口にしてしまいそうだから。
『無理なんてしてないよ。私、ロイドには新しい世界で幸せになってほしいもの』
「…お前も、幸せになるんだろ?」
『ああ、うん』
ボロがではじめた自分に叱咤する。正直な気持ちを隠すことくらい、今まで簡単に出来たでしょう?ましてや今私は涙もでないはずだから、笑顔だってつくりやすい。とにかく気付かれてはいけない。本当は全部彼に気付かれて、強引に引き止められたいなんて思っちゃいけない。「そんなの違うだろ」と怒ってほしいなんて――
「じゃあ何でさっきからそんな泣きそうになってるんだよ」
胸に突き刺さった彼の言葉に、私は体を硬直させる。私はもう感覚がないはずなのに、痛みも感じないはずなのに。
どうしてこんなに心が痛いんだろう。
『…私、笑ってるよ?』
「笑ってないよ。辛いんだろ?」
『ロイドにはわからないよ……』
「わからないから、わかりたいんだよ。というかお前が辛いなら俺だって辛いよ」
少しだけ目を伏せた彼に私は戸惑う。私が辛ければロイドも辛い?そんなわけない。私が天使化すれば世界が幸せになる。ロイドも幸せになるから、頑張ってこれたのに。
今更、そんなこと言われたら。
『ロイドは、優しいね』
「優しくないよ。弱いだけだ」
首をふった彼が別人に見えた。いつもの太陽の笑顔はそこにはない。あるのは辛そうに歪む、その顔だけ。何でそんな辛そうなの?もしかして私のせい?
だったら私も言うけれど。ロイドが辛いなら私だって辛いよ。ロイドが幸せなら私も幸せだよ。天使化は、辛いけど。
ああやっぱり私達似たもの同士だね。
幸せなんかじゃなかった
彼も、私も。