そして本来見送るべき母親というのは。
「もう、何で起こしてくれなかったのよぉお!!!」
…朝からドタバタと家の中を走り回っていた。ちなみにロイドが朝に弱いのは母親似なので、当然アンナも月曜日だけはいつも寝坊する。クラトスはそんな大慌てで弁当を作っている彼女をオープンキッチンのカウンターごしに見ながら、のんびりコーヒーを飲んでいた。
「私は6時に声をかけたぞ」
「声かけるだけじゃなくて叩き起こしてよ!」
「『あと5分』と言ったのは誰だ」
「うっ……そりゃあそうだけど……」
語尾が小さくなったのは、自分の否を認めているから。相変わらず素直なのか素直じゃないのかわからない彼女に、クラトスは思わず頬を緩めながらテレビに視線を映す。するとクラトスの向かい側でパンを頬張っていたロイドはそんな父親の様子を見て小さく笑った。
「父さん、顔ニヤけてるぞ」
「……」
「え。ちょっとロイドそれ本当!?」
「うん。母さんが、わたわた慌ててるの見てニヤけてる」
「ぎゃああ!!この性悪男!!!馬鹿にしないでよ!」
赤いナフキンで小さく結んだ弁当箱を持ったアンナは、すれ違うときにクラトスの頬を強く抓った。痛い、とクラトスが低く呟けば彼女は鈴のように可愛らしい笑い声をたてる。もちろんその弁当箱はロイドのものだ。クラトスは抓られた頬を擦りながらそれをじっとみつめ、そのあとアンナへと視線を上げた。
「…よくこの短時間でできたな」
「だてに寝坊してないのよ〜お弁当くらい15分あればつくれます」
得意げに胸をはったアンナは褒めていいのかいけないのか。要するに寝坊になれているということではないのか、とクラトスが言おうとすればロイドがすっくとイスから立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行くから」
「忘れ物ないよね」
「うん。大丈夫」
「お腹へったら、購買でパン買っていいから。お金ある?」
そうアンナが問い掛ければロイドはスポーツバックのショルダーを肩にかけながら、「あー…」と目線を浮かせ思い出すそぶりを見せた。
「…ねえかも。この前ゼロスとゲーセン行ったから」
「お金の使いすぎは駄目よ。まあ今回はサービスでお小遣いあげるけど」
「さんきゅー母さん!」
相変わらずいくつになっても仲がいいこの母子は、ほのぼのと会話をしながら廊下を歩き玄関で笑い合っていた。クラトスはイスを前足だけうかせ傾かせながら首を大きくのばし、リビングからロイドへ声をかける。
「ロイド、いってらっしゃい」
「あ!うん、行って来ます」
へらりと笑って手をふった愛息子にクラトスは小さく微笑む。そして自分も席をたち、台所へ空になったコーヒーをおいて大きく伸びをした。ガタン、と玄関を閉める音が聞こえる。ロイドが出かけたのだろう。パタパタとアンナがリビングへ走ってくる音も聞こえた。
「あー疲れた。とりあえず一休みね。あ、クラトス、貴方のお弁当机の上にあるから」
「ああ……って…おい、アンナ」
「ん?」
「……その弁当」
「へ?」
クラトスがアンナの手元をじっとみつめるので彼女もそれを追って下を向いた。そこには先程急いで作った――赤いナフキンで包んだロイドのお弁当が。
「あ」
「………馬鹿か、お前は……」
「ば、馬鹿とはなによ!!いやあぁどうしよう、今から渡しに行っても間に合うかしら」
「無理だ。あの子は自転車で駅まで行くからな。もうきっと離れている」
「ふえぇ……」
しゅん、となる彼女に溜息をついたクラトスはネクタイを軽くしめてその赤い弁当を彼女の手から奪いとった。そしてそれを自分の鞄へと詰め込み、玄関へと向かう。
「く、クラトス?」
「早めに駅へ行って渡してくる」
「でも貴方の電車がくるまで、あと40分ぐらいあるじゃない」
「問題ない。ロイドはたしか反対側のホームだったな?」
「そうだけど……」
本当にいいのか、と心配そうに伺うアンナも玄関までついてきた。クラトスは一度ドアの取手に手をつけたあと、何かを思い出したように振り返りアンナの髪をわしゃわしゃと撫でる。
「いってきます」
「い……いってらっしゃい…」
ふわふわと髪を跳ねさせながらきょとんとクラトスを見つめるアンナに、彼は小さく笑ってから玄関の扉を開けた。
「?……変なひと」
パタン、としまったドアをアンナは首を傾げたまましばらくみつめた。よくわからないが、出掛け間際クラトスはものすごいおかしそうに笑っていた。今日は多分機嫌がいいのだろう。
踵をかえし、一度リビングへ戻る。台所に彼のコーヒーカップを見つけて、「まずは洗い物から」と机の上の食器も片付けはじめた。
しかし、彼女はそこで重大なことを忘れていたのだ。
「あ………」
机のはしにある青色のソレ。ロイドと色違いのナフキンで包んだソレ見た瞬間、アンナはがっくりとその場にうなだれた。
(やることなすこと全部一緒じゃない………)
確かにきちんと手渡さなかった彼女も悪い。しかし二人とも少しくらい違和感に気付いてほしい。何もかもアンナに任せようとする彼らはいつもこうやって似たような(というか全く同じ)間違いを犯すのだ。
とりあえず彼を呼び戻そうと携帯をエプロンのポケットから取り出す。カチカチとボタンを押して発信履歴から彼の名前を呼び出し、耳に画面を当てた。
…電話コールが5回鳴ったが彼は出ない。おかしい。彼は携帯をポケットに入れているはずなのに。何だかさらに嫌な予感がして寝室を探してみると、案の定着信音を発しながらランプを光らせている携帯がベッドの上に置き去りにされていた。
「馬鹿はどっちよ………」
はあぁ、とアンナはへたりこみ呆れたように溜息をついた。だめだ、やっぱりうちの家族は(いろんな意味で)もう駄目かもしれないとひっそり心で思いながら。
馬鹿は馬鹿でも家族全員ですね
ちなみに次の日は、父子はそろって財布を忘れてました。