※大人向けの表現が一瞬あります

「………っ!?」
迫り来る何かに怯え、はっと目を覚ます。激しい息切れと動悸、冷や汗が止まらないまま私はしばらく硬直していた。瞬きを何回か繰り返せば霞んでいた視界がなんとなくクリアになっていく。3秒間深呼吸したあと、ゆっくり体を起こし当たりを見回せば窓からは夕日が差し込み、風で窓がカタカタと揺れていた。


「随分とうなされていたな」

低く聞き慣れた声がして振り返ると、向かいのソファで読書をしていたクラトスが目線だけこちらへ映す。どうやらまた私はソファで寝ていたらしい。同時に「ああ、今のは夢だったのか」と安堵して、私は一気に脱力した。

「はあ………びっくりした」
「何故」
「ちょっと変な夢みちゃって」

しかも嫌な思い出の──と私が言えばクラトスは不思議そうな顔をした。無理もない。私は夢見が悪かったことなど今までなかったからだ。

「…外の風あびてくる」

先程の夢ですっかり気分は最悪になってしまった私は、重い腰を上げて大きく伸びをした。

+ + + +


なんで今頃になって、と思う。

『やだ……お父さんやめて……!!』


それは思い出したくもない幼い日の記憶。目の前の狂った男は私の体をものすごい強い力で掴んで──

やめて、と言っても
やめてもらえない恐怖。

優しかったあの瞳は
狂喜に歪んでいて、人間のものだとは思えなかった。


「…本当、何で今更夢に出てくるのかしら……」

苦笑を零しながら私は一人呟いた。冷たい風が吹いて髪を揺らす。当たりはだいぶ暗くなっていて、西の方角では日が沈もうとしていた。

別に、引きずっているわけではない。あれは過去であり、もう解決してしまったことだ。『あの出来事』で私の人生が想像以上に転落していったのは確かだけれど、今は父を恨んでなんかない。…だけど、お願いだからこんなふとした時に出てこないでほしい。

やっと私は変われそうなのに。


「クウ〜ン…」

ノイシュが心配そうに私にすり寄ってきたので、軽く撫でてやった。どんなに気温が低くても、この動物はもふもふしていて温かい。肌触りのよい毛を楽しみながら、私は溜息をついた。

「お前は……優しいね。こんな私を心配してくれてるの?」

──5年前のあの出来事は酷く鮮明に悪夢となって蘇った。私は夢の中の幼い自分を…父の肩越しにただ茫然と見つめていたのだ。

『ひあっ……ああ…!』

心では拒否しているのに体は面白いぐらいに正直で、体を揺さぶられると極端に反応する。体に熱いものが注がれた瞬間、茫然とした私に「彼」は泣きながらこう囁いたのだ。

『ごめん』

愛してしまったんだ、と。


「反則よね…あんな謝り方されたら怒れないじゃない」

禁忌を犯してしまっても私は彼が好きだったから。もちろんそれは「父」としてだけど。


「アンナ」

ふ、と名前を呼ばれたので振り返ればクラトスが立っていた。そして何故か私を見た途端に、心底驚いた顔をする。

「……クラトス?」
「…何故…泣いているのだ」
「え?」

手の甲で頬に触れれば、温かいものを感じて自分でもびっくりした。泣いている自覚など本当になかったからだ。

「やだ……何、泣いてるの私」
「…………」

私が笑いながら涙をふけばクラトスはこちらへ歩む寄ってくる。さくさく、と草を踏む音が妙に優しく聞こえた。

「……アンナ」
「何でもないのよ。ちょっと昔のこと思い出しただけで…」
「いいから」

腕を優しく掴まれて私が体を震わせれば、クラトスは囁くように言葉を紡いだ。

「…そろそろ目を合わせてくれないか」
「…………」

さっきからずっと逸らしていた目を、おずおずと彼に向ける。

彼の瞳は相変わらず鋭くて深くて、優しかった。

「何故泣いているのかは言わなくていい。ただお前が泣いているのは嫌だ」
「…どうして?」
「それは…」

クラトスは少し逡巡して口を開くけれど、結局また口を噤む。何かを言おうとして、また困ったような顔をするのだ。

「私は──」


びゅう、と強い風が吹いた。


クラトスの言葉は、風にかき消されて沈黙へと変わる。そのあともゆるやかな冷たい風は吹き続けて、彼と私の髪をさらさらと揺らした。

「………そろそろ中へ入れ。風が冷たくなってきた」

掴まれていた腕がゆっくりとはなされ、彼は背を向け歩きだす。玄関のドアがパタン、と鳴り彼が家の中へ入っていったのを確認して私は少しだけ笑った。

(…優しいひと)

もちろん、もっと前から気付いていたけれど。


+ + +

覚悟はしていたが、やはりその晩は寝付けなかった。何処(例えば枕が変わったとか、旅行中だとか)でも簡単に寝れてしまう私には初めての経験だ。故に対処法がさっぱりわからない。

「…あのひとは、まだ起きてるのかしら」

ふ、と思い出す。そういえば私は今まで彼が寝ている姿を見たことがない。ほんのちょっとの悪戯心と興味で、私はもそもそとベッドを抜け出し、自室を出て彼の寝室(であろう場所)へと向かった。寝ていたら寝顔を観察すればいいし、起きていたのなら話し相手になってもらえばいい。…何だか子供のころ怖い夢を見たとき、父の部屋へ逃げ込んでいたのを思い出した。

彼の部屋のドアノブを軽く捻れば、簡単にドアは開いた。

「…アンナ?」

ぽかん、とイスに座っているクラトスが私を見つめる。右手にはもはや彼のアイテムと化したブックカバー付きの本、腰には護身用の剣を携えていた。

「何だ…起きてたの………」

べつに起きてようと寝ていようと彼の勝手なのだが少なからず「寝顔はヤケにかわいかったりして」なんて期待していた私にとって少しがっかりする結果だった。

「…こんな時間まで起きていたのか」
「昼間嫌な夢見たせいかしらね。なんかトラウマになっちゃって」

彼のベッドにぼふん、と腰掛けて私はふうと溜息をついた。

「理由、聞かないのね」
「ああ…昼間のか?聞いて欲しくないようだったからな」
「別にいいのよ。だけど…まあ話すと長くなるからやめておくわ」

あの悪夢は言葉じゃ表せないくらい深く、大きな罪だ。原因もいろいろあったし、それが生み出した人生のほつれで──エクスフィアをつけられた。基本的に他人に愛想良かった私だが、心の奥底では人間に対して恐怖や拒絶を感じていたから、エクスフィアは急速に育ったらしい。クヴァルがそう言っていた。

今でも無自覚にエクスフィアは成長しているのだろうか。クラトスとこうして手を伸ばせば届く距離にいて──私は恐怖している?


「そういえば、お前がこの前言っていた欠点と関係あるのか」
「…鋭いわね〜。そうよ、ビンゴ。関係しまくり」

大好きだった人に「愛されること」で裏切られた私は、他人を愛することを拒絶した。まわりの人達は私に優しくしてくれていたけれど、いつかまた──父のように豹変するのではないか、と怯えてばかりだった。

(その点、クラトスは安心できるものね)

見るからに禁欲的な彼だからこそ、私はこんなにも安心して人付き合いができるのかもしれない。ユアンも同様だ。

「まあ…どちらも対したことじゃないわよ。気にしないで」
「そうか」
「いつか、話す日が来たら話すわ」

まあそれまでに私が生きているかわからないけど──と、呟けば彼は苦虫を潰したような顔をする。私はほうっておいてもジワジワと体をエクスフィアに取り込まれて、いつかは死んでしまうのだ。これは避けられない運命だった。

「…そんな顔しないでよ。せっかくの美人が台無し…でもないわね。貴方何やっても綺麗よ本当」
「お前は死を目前にしていて、それでいいのか?」
「まあ…いいとか悪いとかじゃなくて、しょうがないでしょう」

それに関しての覚悟はできている。できているからこそ、怖いのだ。変化を求めてしまっている私に。

多分私は………


ちらり、とクラトスを伺えばその瞳と目があう。私が少し微笑みかければ、クラトスは苦笑した。

正直、今日悪夢を見たのも彼が関係していると思う。ひょんなことから出会った彼と、こうして知り合って一緒に生活して、彼を知って。優しさに触れたとき、私はきっと願ってしまったのだ。


もう少しだけ
生きていたい、と。


今まで死に対する恐怖がなかったのは、この世に未練がなかったからだ。だからこそ、これだけは願ってはいけなかった。死ぬために脱出してきたのに、いつのまにか私は格好よく生きることを目標にしていた。

だから無意識に自制したのではないか、と思う。そもそも自分が何でこんな目にあっているのか、それを認識するために。

どうせ何やっても私は死ぬのだから意味はない。そう悪魔に囁かれた気がした。

「何か…眠くなってきたわ」
「そうか。良かったな」
「ええ、じゃあおやすみ」
「おやすみ」


優しさをもったその声に私の心は悲鳴を上げる。
変化を求めるな。
「生きたい」と思うな。

──側にいたいと思うな。



この世に未練が残るほど、死に対する恐怖が強くなって『終わり』が辛くなるから。


いっそ禁忌をおかしたあの日からエクスフィアをはめ込まれ死を余儀なくされているこの状況まで、すべて長い長い悪夢だったら良かったのに、と私は本気で思った。


2011/01/01



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -