昨日のリベンジであろう。昨日のクラトスは私とユアンが勝手にお菓子を食べまくっていた風景を見て、何かを原因に機嫌を悪くしユアンを追い返した。(理由を聞いたが何故か彼はだんまりだった。しかも気まずそうに目を逸らされた。わけがわからない)
今日はクラトスもとくに反抗することなくすんなりとユアンを招いた──ようだが、顔はあきらかに嫌そうに歪んでいた。
「そういえば今までユアンを家に上げたことがないそうね」
小さい声で問い掛ければ鋭い彼の瞳に僅かに困惑の色が浮かぶ。そして彼も小さな声で「奴を家に招くと大変なことになるからだ」と言った。言っている意味がわからなくて首を捻れば彼はふうと盛大に溜息をつく。
「そのうちお前にもわかる」
その言葉をどういった意味でとらえたら良いのか私が考えているうちに、彼はリビングのソファへ腰掛けて、ユアンと何やら難しい話をしていた。一人蚊帳の外の私は窓際のイスに座り彼らの話に何となく耳を傾けつつ読書をしていたのだが、どうやらいつものクセで温い太陽に眠気が襲ってきた。遠のく意識に身をまかせ、うとうとと夢の世界へ旅立とうとした時、遠くに感じていた彼らの会話で、ある単語だけ鮮明に聞こえた。
『ユグドラシル』
どこかで、聞いたことのある名前だった。
* * *
「時にクラトス、お前は女の好みが変わったのか」
私が目を覚ましたとき、彼らの話題は突拍子のないものに変化していた。私は思わず息を潜め、ちらりと窓の外を伺えば、とっくに日は暮れていた。こんな時間まで二人は話していたのか。しかもよくよく聞いてみると…ユアンの呂律が怪しい。
「お前は何が言いたい…」
クラトスがうんざりしたように言った。こちらはいつもと変わらず正常だ。ただ声色がやけに疲労していているのを差し引けば。
「アンナのことだ」
「…ユアン、話がよめないのだが」
「ごまかすな。何年私がお前を見てきたと思っている。それくらいのお前の感情、私にだってわかる」
何やら私には程遠い男同士の話が繰り広げられていて、絶え切れずに私は寝たふりをやめることにした。このまま盗み聞きを続ければ──聞かない方がいいことまで、耳に入ってくる気がしたからだ。
「何だ、起きていたのか」
私が大きく伸びをすればユアンが意外そうな顔をして私を見つめる。その顔が若干上気しているのを見て、不思議に思えば…あまり彼の家には見慣れないソレがテーブルに置いてあった。
「…………何でユアンがお酒飲んでるの」
「言っただろう。こいつを家に入れるとこうなるんだ」
鷲色がさらに盛大に溜息をつき、疲れ切った目で私を見た。その瞳を見て何だか哀れみのようなものを感じてしまった。要するにユアンは酒癖が悪いのだ。普段より饒舌になった彼の相手をするのは誰だって悲鳴をあげたくなるほど精神にダメージを受けそうだ。
「おいクラトス。話はまだ終わっていないぞ。だいたいソレイユは…」
「ユアン。個人名を出すな」
「え、ちょっと誰よその人。もしかして…」
私がユアンに小指を立てて首を傾げて見せればユアンはにやりと口角を上げた。
「さすが、鋭いな。ちなみに厳密に言うと''元''だ」
「えー!!何か意外。クラトスがねえ……ふうん………」
「やめないか、二人共………」
呆れを通り越して何だか疲れ果てたようにクラトスは言葉を吐いた。彼には悪いが私とユアンは、初対面の時から何故か波長があうのだ。理由はわからない。しかしハーフエルフは人間を嫌っていると聞いたが、ユアンは(最初こそ警戒していたものの)すぐに心を開いてくれた。
「お前はどうなんだ、アンナ」
「……親が勝手に選んだ婚約者ならいたけど。というか私、ルックスは凡人なんだから普通の恋愛しかできないわよ」
「…普通の恋愛、か」
ユアンが何だか感傷に浸り始めたので、私がクラトスを見れば彼は相変わらず、眉間に皺を寄せながら黙っていた。だめだ、完全にイラついている。
「ゆ、ユアンはどうなの?貴方、美形さんなんだから恋人の一人や二人、」
空気が、固まった。
「え?な、どうしたの二人共…」
「アンナ」
「な、何よクラトス」
「……それは禁句だ」
「え?」
「ま……マーテル……」
消え入りそうな声が聞こえて思わずユアンを見れば──泣き崩れていた。リアルに。
「え、何よ。マーテルさんって誰!?」
「こうなるとユアンはここから動かん」
「な、何か私悪いことしちゃったかしら」
「………ああ。こいつにとってはな。これがこいつの欠点だ」
そう言えばクラトスは前髪をかきあげながら、今日の中で一番大きく深い溜息をついた。
* * *
そのあとは地獄だった。
ただでさえよく喋るユアンは酒を飲むと、口を動かすスピードが数倍になる。その速さで永遠と愚痴を聞かされつづければさすがに私も気が滅入った。というかその前から聞いていたクラトスは──可哀相だ。素直に、可哀相だと思った。
「それにしてもユアンって何で、あんなに喋るのかしら」
なんとかユアンを家から追い出した後、私はクラトスにお酒を注ぎながら言った。普段全くと言っていいほどお酒を飲まない彼だが、どうやら飲むときは飲むらしい。
彼は一言礼を呟いて、コップに口をつけた。
「………先に言っておくが、ユアンは人間には簡単に心を開かないぞ。私も奴とそれなりに分かりあうためには、長い時間かかった」
「え?じゃあ、ああやってベラベラ喋ってるユアンは……余所行きの顔、みたいなものってこと?」
「違う。その逆だ」
クラトスは一度言葉を区切ると、私を見ながらすっと目を細めた。
「奴が知り合ったばかりのお前に、心を許しているということだ。それは奴にとっては…私が見るかぎり、初めてであると思う」
「ふうん。何かしたかしらね、私」
「……お前は思わず縋りたくなるような雰囲気がある。まわりの者たちを心を、簡単に掴んでしまうような雰囲気を持っているのだ」
彼の意外な発言に驚くと同時に、私は顔をしかめた。今までの人生でそんなこと、言われたことはない。自分がまだ人間牧場に連れていかれる前には確かに知り合いはたくさんいたが──全部上辺だけの付き合いだった。まわりの人達は私の微笑みの仮面しか見ていなかった。
「そんなわけないだろう」
私が自分の意見を言えば今度はクラトスが顔をしかめる。酒を飲んでいるせいだろうか、今夜はいつもより感情表現がわかりやすかった。
「そもそも、何故上辺だけで付き合う必要があった。そのままのお前で十分じゃなかったのか?」
「……私が、臆病者だったからよ」
嫌われたくない。
自分の欠点を見てほしくない。
核心に触れてほしくない。
「まわりの陰口が…全部自分に向けられてるかも、って思っちゃうくらいなのよ。被害妄想も激しいし、とにかく相手に否定されるのを恐れた、そんな臆病者なの」
目を閉じれば思い出せるあの頃の自分。
嫌われるのを恐れた。疎外されるのが嫌だった。
本質にさえ気付かれなかったら欠点もわからない。だから相手と心から分かち合うことを放棄した。ある程度距離を持って付き合えば、お互いの欠点を隠すことができる。失言をすることも、無意識に相手を傷付けることもない。私はそれに気付いてしまったから。
「…人間牧場を出てきた時に決めたの。今までのやり方は全部忘れようって。好き勝手に余生を過したいから脱走したの」
「…死ぬために脱走したのではなかったのか?」
「それもあるけれど。──もしかしたら私は、格好よく死ぬためじゃなくて、格好よく生きるために逃げてきたのかもね」
相変わらず自分を見失っている自分に苦笑する。結局、あのころとは何も変わっていないのだ。
格好よく生きる。
その意味さえ分かっていないのに。
「……お前がまわりに笑顔を振りまいている景色は、想像できんな」
「失礼ねーこれでも昔は『気立てのいいお嬢さん』とか言われてたのよ?」
「お前は、そのままでいい」
どきり、とした。
冗談めかしく言う私とは反対に、見つめられたその瞳はえらく真剣だったからだ。
たぶんこの人は私の中に眠る『私』に気付いている。まだ彼には見せていない、ありとあらゆる私の欠点──核心に触れようとしている。
言葉で、そっと。
「欠点がないものなど、人間ではない。もはや欠点がない『完璧』を求めれば……それはいつか崩壊する」
クラトスがそっとエクスフィアを撫でた。生き物をより『完璧』に近付けるために生み出されたそれは、人の命を吸い取って作られる。『完璧』を目指したが故につくってしまった犠牲は…もはやディザイアンの罪ではなく、『ハーフエルフ差別』というシステムを造った世界の罪。
汚点。
この人は「完璧をもとめた世界」を敵にまわしている気がした。
「はあ……難しいわね……」
何だか考えれば考えるだけ、いろいろと疑問が浮かんでくるのでやめることにした。人間、いざとなったらなんとかなるだろう。目的さえ、見失ってなければ。
(その目的を見失っているから問題なんだけどね……)
クラトスやユアンにもあるのだろうか。目的──「こうでありたい」という自分の想像図があるからこそ、こんなにも強い瞳を持っているのだろうか。
そうすればきっと彼らは格好いい生き方をしてきたんだろうな、と思った。理由はわからない。だが、目を伏せ自分に言い聞かせるように語るクラトスはとにかく格好いい。外面的な意味ではなく、もっと違う…彼の何かが私の心に反応しているというか。
………あれ?
もしかして今、私は…………
「ところで、お前は何歳だ」
場違いな質問に私は思わず、かくんと頬杖をついていた膝の力を抜かした。よりにもよって、何故このタイミングなのか。今、何かに気付けそうだったのに。
「………今年で二十歳、だけど」
「成人してるな。では、酒でも飲んだらどうだ」
彼がもう一つのコップにお酒を注ぎながら言った。
「忘れることも、人間の欠点だ。むろん、よいことでもあるが」
「…私、成人する前に人間牧場にいれられたから、飲んだことないのよ」
「じゃあ、初めてだな」
差し出されたコップを手にとり、恐る恐る私はコップに口をつけてこくり、と一口飲んでみた。
「………にが」
「…まだまだ、子供だな」
フ、と笑った彼は私を馬鹿にしたような嘲笑ではなく、もっと優しくおかしそうに笑っていた。自分だって私と対して変わらない年のくせに……と、とりあえず私は彼を睨んでおく。もう一口、お酒を飲んでみたがいくら飲んでもそれは苦いだけで、どうしようもなく大人の味だった。
変化を求めている『私』と同じように。
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10/10/18