最初は奴が一目惚れでもしたのかと思った。
…しかし、アンナは美人というわけではない。人並みに外見は整っているが、一目惚れするほどでもないし、よくよく考えてみればどれだけ絶世の美女であろうとクラトスが一目惚れなどするわけがない。外見だけでどうこう考える奴ではないことは私が一番知っていた。
だからこそ、首を捻るばかりだった。
──奴は彼女の何に惹かれたのだろう、と。
* * *
「お前も随分物騒なことをするものだ。初対面の男を家に上げるなど…」
「しょうがないじゃない。だってあの人どっか行っちゃったんだもの」
今日会ったばかりのその女は、台所でコーヒーのボトルの蓋を懸命に捻っていた。その後ろ姿を見ながら私は万が一のために武器は体から離さずにイスに座る。女であろうと油断はできない。相手は丸腰だが──人間だ。何を企んでいるかわからない。
「よく私が信用できるな」
「だってあの人のお友達なんでしょう?」
「…嘘の可能性だってある。お前をここで殺すことだってできるんだぞ」
低めの声で馬鹿にしたように言えば、女は動きを止めゆっくりと振り返る。しかし意外にも、振り返ったそのあどけない表情に恐怖や緊張は一切感じられなかった。
変りに感じたものは…
「別に私はそれでもいいわよ」
あえて言うなら──妖艶。
理由はよくわからない。しかしゆるやかに微笑む彼女は、ほんの数秒前とは明らかに違う面を見せた。そして不思議なのはそこから敵意が全く感じられないこと。
この表情に、何の意味がある?
「…お前、正気か?」
「正気よ。十分正常」
くす、と笑った目は繰り広げられている会話とは裏腹に、どこまでも優しかった。
「それよりも」と女はコーヒーのボトルを私にずい、っと突き出す。
「客人にすごく申し訳ないんだけど、この蓋開けてくれる?あの人、またキツく閉めちゃったのよ」
少し呆れたように言った「あの人」とはクラトスのことだろう。奴はエクスフィアをつけているから力の加減を知らない。今まで一人暮らし(…まあノイシュがいるが)をしていたのだから、他人に気を使ったことなど──マーテルが生きていたあの頃以来だろう。私はそのボトルを受け取り、蓋を軽く捻った。
「……ほら、開いたぞ」
「わー、ありがとう。やっぱ男の人って、力持ちね」
いやそれはエクスフィアの力じゃないのか、と言おうとした口を思わずつぐむ。どういった経緯でこの女がクラトスと接触したのかわからないため、彼女が何を知っていて何を知らないのか全くわからない。見たところただの人間だが、念には念のためクラトスや私がエクスフィアを装備していることは伏せておくことにした。さすがに…どれだけこの女を気に入っていても、クラトスは簡単に口にしないだろう。天使のこと、クルシスのこと──古代大戦のこと。
「…クラトスとはいつ出会ったのだ」
「えーっと、一か月くらい前かしらね。家出したところを拾われた、みたいな」
「い、家出?」
「正確に言えば、脱走かしら。人間牧場からの」
意外な発言に思わず私は息を飲んだ。人間牧場──ユグドラシルの配下、ディザイアンが支配している領域。その脱走者を、よりにもよって四大天使であるクラトスがかくまっているというのか。
「なあに、その顔」
「…は?」
「何でそんなびっくりした顔するの。──あの人もそうだったけど、人間牧場ってそんなに珍しい?逃げてきた、って言ったらあの人、仰天してたのよ」
それはそうだろう、と思う。なんせこの女は、エンジェルス計画のための貴重な人材であるのだ。(今は反抗しているとはいえ)クルシスに所属するクラトスなら戸惑うのは当たり前だった。
しかし何故あえて奴は危険を犯してまでこの女をかくまったのだろうか。今奴がしていることは紛れもなく──千年王国の成立を臨むミトス・ユグドラシルへの裏切りだ。
「…人間牧場に捕まっていたのなら、ハーフエルフを憎んでいただろう。だったら尚更、ハーフエルフである私を家に上げるべきではなかったな」
「あれ、貴方ハーフエルフだったの?」
少し驚いた顔をして女は私を見つめた。その瞳に映ったのは幻滅でも嫌悪でもなく、──純粋な驚きだった。
「へえ…どうりで、べっぴんさんなわけね。あの人とは雰囲気の違う美青年さんだとは思ったけど」
「…クラトスは人間だからな」
「そう考えると神様って罪よね。ハーフエルフってみんな外見がいいと思っていたけど、ディザイアンはそうでもなかったわ」
笑いながらさり気なく失礼なことを言っている女に私はたじろく。自分がハーフエルフだと名乗ってこのような反応をされたのは生まれて初めてだったからだ。
(クラトスも変わり者を好いたものだな…)
「…名前」
「ん、なあに?」
「お前の名前は」
「アンナ」
へらり、と笑う向日葵から発せられた3文字に私はやっと合点がついた。それこそ、今日私がクラトスの家を訪れた理由だったからだ。
少し前にユグドラシルから告げられた真実を、個人的にクラトスへと伝えようとしていた。
『…エンジェルス計画の成功品が脱走した。女の足では、そう遠くまで逃げられないだろうが──クヴァルによると少々その培養体は変わり者だったらしい。何か突飛なことをする前に捕らえるべきだな』
培養体の名はA012
人間名──アンナ、とユグドラシルは言った。
クラトスは知っているのだろうか。この女がエンジェルス計画、唯一の成功作品であると。
…どちらにせよ、変わったことではないが。
もともと私だって千年王国には反対だ。レネゲードでの活動も着々と進めている。むしろ、この女がクラトスのところでかくまわれているのは実に好都合だ。この女がディザイアンに再び捕まれば、きっと千年王国への準備が始ってしまう。そうすればオリジンの開放はおろか、神子の再生の旅が始まる前にすべてが水の泡となってしまうのだ。
「ユアン?」
顔を覗き込んできたアンナに、「何でもない」と返事をして私は溜息をついた。しかし、ふと小さな違和感に気付く。
(…はて。エクスフィアは怒りや恐怖によって輝石へと進化するのではなかったか…?)
少なくとも目の前の脳天気女に、そんな感情が盛んだとは思えない。では何千もの培養体の中から何故アンナだけ、進化が成功したのだろうか。
(…不思議なこともあるものだな)
この状況では、首を傾げるしかなかった。
* * *
翌日、クラトスの家に再び訪れさっそく例の話をした。幸いなことにアンナは居眠りをし始めていたから、心起きなくエクスフィアの話ができたのだ。
「そうか…ついに輝石が………」
「知っていたのか。アンナが成功品であると」
「いや、初耳だ」
クラトスはちらり、と窓際で眠るアンナを見た。自分の話をされているとは露知れず、すうすうと眠るその寝顔はまるで子供のようだった。
「どうするのだクラトス。これがユグドラシルにバレたら──ただではまないと思うが」
「問題ない。もはや私はあれと対抗すると決めた」
その時私は少し驚いた。この男がここまではっきりと「裏切り」を認めるのは初めてだったからだ。
それよりも驚くべきことは。
「…千年王国阻止のために、アンナをかくまったわけではなかったのか」
奴が、利益もないのに見知らぬ女をかくまったこと。てっきりすべてを知った上で、アンナを自宅へ入れたと思っていたのだ。
「…単にアンナに対する興味だ」
「らしくないな。お前が個人的な感情で行動するなど」
「私とて人間だ。誰かに興味を持つことも、依存することもある」
クラトスは少し目を伏せ、思い出すように言葉を紡いだ。
「…初めてアンナを見つけたとき、彼女は『自分らしく生きれない世界に生きる価値などない』と、簡単に言ってみせた。そして自分が満足のいく人生の終え方をしたいと。そんなことが言える人間など──なかなかいないだろう?」
苦笑しながらアンナに目をやるクラトスを、私はじっと見つめる。酷く懐かしい気分になったからだ。眠るアンナを見るその瞳が、4000年前のあの時と似ていたから。
ただ、ミトスを見る優しい視線とは微妙に違うそれ。
(…まさか……こいつは)
惚れたのではないか、咄嗟に思った。
しかし、ほんの一か月程度でアンナが奴をここまで引き寄せられるとは信じがたい。マーテルほどの美人が近くにいた頃でも、奴は一線を超えたりしなかったのだ。
だとすれば。
(…やはり一目惚れ、か)
彼女の生き方に一目惚れ。
恋慕とは少し違うかもしれないその感情を説明するには、それしか思いつかなかった。
「クラトス」
「何だ」
「酒はないか」
「…まて。ユアン、お前はまたそんなことを…」
「酒をださなければ、アンナに言ってやろう。『クラトスはお前をやけに気に入っている』とな」
「……」
久し振りに困ったような顔をするクラトスに、思わず私は吹き出した。完全にこの時、私はオリジンの開放のこともクルシスのことも忘れていた。目の前の男があまりも、昔の自分とそっくりだったからだ。未知の感情にどうしたらよいのかわからなくて、調子を狂わせるあの苦労。しかも大抵の場合狂ってるのは自分だけで、相手の女はけろりとしている。そう思うと男にとって恋愛や愛情とは厄介なものだ。
人に優しくなると同時に、その分自分を弱くするから。
(いや…違うな)
クラトスをこんな風にしたのは恋ではなく、アンナか。
そう思えば何だかまた笑いが込み上げてきて、くつくつと喉で笑う。相変わらずとうのアンナは呑気に寝ていて、クラトスの苦労には気付きもしない。正直、目の前の男に対してざまあみろと思った。
(思い知るがいい)
『恋患い』という、対応のしようがない病気を一度味わえば、私の気持ちもわかるだろう。
そう心で呟いて私は口角を上げた。
* * *
ところで、どうして自分が会ってまもない人間であるアンナを難なく受け入れられるのか、そろそろ気付きはじめていた。
単にクラトスに似ているからだ。
もちろん外見ではない。似ているのはマナで、そのせいか何となく内面や雰囲気がクラトスと重なる。やり方は真逆でもやってることは全く同じだ。
クラトスは無表情で偽り、アンナは笑顔で偽る。
それだけのこと。
アンナがただの脳天気女ではないことは、何となく感づいていた。一瞬見せたあの妖艶な表情には、おそらく裏に何かがある。
だからこそ、クラトスは惹かれたのだ。彼女の生き方に。一目で惚れてしまうほどアンナが魅力的だったのだ。
いや…魅力的…というより
眩しかった。
己を隠し守りながらも、必死に「満足のいく死に方」を探す、まさに前向きで後ろ向きな彼女に憧れた。そんなところだろう。
…ここから先は余談だが、初対面のときアンナはこう言った。
『私、クラトスみたいな変わった人大好きなの。まさに動物奇想天外、って感じじゃない?』
けらけらと笑いながら言うアンナは表か裏か。よくわからないが、違う結論はあっさりでてしまった。
(……バカップルか、こいつらは)
+++++++
10/12/26
修正 20110216
結局似たもの同士