「妊娠、してたの」




静寂な空気の中、放たれたその言葉は世界を鮮やかに染めていく。


私のお腹に添えさせた彼の手に、自分の手を重ねた。
指の先からクラトスの鼓動と温度が伝わってくるようだった。



きょとん。

可愛い効果音がつきそうな表情で彼は動きを止める。
私の顔を無言でじーっと見たあと、ゆっくりと視線をずらしてまだ膨らんでもいないお腹をただ見つめていた。その間も、やはり無言。たださっきと同じ静寂でも違うのは、私の顔が始終にやにやしていることだろうか。


彼の綺麗な睫毛がゆらゆらと揺れて、再び私を見つめた。
未だに状況が飲み込めていないのだろう、その瞳の奥から沢山の「?」マークが見えた気がした。


「…………子供………が」


「うん。ここに貴方の赤ちゃんがいるのよ」



あまりのクラトスの仰天ぶりに、たまらず私は顔を緩める。
したり顔、というやつだ。


しばらくクラトスは私を呆然と見ていたが、みるみるうちにその顔がそれはもう本当に本当に本当に可愛い表情になった。
らしくもなく淡く頬を染めて、何かを言いたそうに口元を動かしながら、でも言えずに私から体を離す。少し後退して壁に背をつけた。
目元をゆっくりとした仕草で隠し、盛大なため息をつく。





「…………それを早く言いなさい……」


彼の呆れた声がやけに泣きそうだった。
震える声音とその息がどれだけ本気で心配したのかがわかる。
一気に脱力したのだろう、ずるずるとそのまま床に腰を下ろしてしまった。
そんな彼を見下ろしていると、何だか心配をかけて申し訳なくなったが敢えて笑うことにした。


「私も最初は、エクスフィアの侵食が進んだせいだと思ったの。だから、ただの風邪だって証明がほしくて……いてもたってもいられず……」
「そのことはもういい……」
「…ありがとう」
「それよりも………」

隠されていた目元が、ちらりと露になった。余程恥ずかしいのか、まだ頬が赤くなっている。(子供ができる過程を考えるとわからなくもないけど。)
クラトスの手が何かを求めてゆっくり持ち上がった。私がそれを掴んでやれば、優しく指が絡まって暖かい温度に包まれる。
上目遣いこちらを見るクラトスの表情が少し真剣になったので、私は息を飲んだ。


「……何故、泣いたのだ」



空気を震わす低い声。


静かな声音と「奥」を見るような視線に対して、私は微かに笑うしかできなかった。
ごまかしたいわけではない。
だけど、それでも私は彼を頼っているようで頼ってなかったわけで。


それはクラトスが弱いからではなく私が弱かったから。


「…………本当に、嬉しかった。それはもう、死にそうなほど嬉しかったわ」
「……………」
「だけど、ごめんなさい。手放しで喜べない。正直不安でどうにかなりそう………。だってもし私のエクフィアがもうすぐ、」


続きを言おうとして、言葉を飲み込んだ。クラトスもわかっているのだろう、言及はしなかった。続きの言葉がわかってしまうからこそ、彼も目蓋を震わせた。


「すまない」
「え……何が?」


きゅ、と握る指に力がこもる。子供のような仕草とは裏腹に、私の小さな指を包む温かくて大きな手。それをなんとなく見たあと、向き直った彼の表情に私は息を詰まらせた。



目元が、別の目的で隠された。



「なんで、泣くの?」


そう問う私の声も震える。
どうしてこんなに不安なのだろう。
幸せなことに変わりはないのに。後悔もしてないのに。


膝を折り畳んで正座し、そっと彼の顔を覗いた。
至近距離でも見えはしない彼の涙。
でも心の色は透き通ったように見えた。
綺麗な綺麗な淡い色。
何の穢れもない無垢な愛情だからこそ、触れてしまえば一瞬で消えそうだったから。
無償の愛なんて今まで私は知らなかったから。
だからなくしそうで怖い。
こんな私が、こんなに幸せになっていいのか、よくわからなくて怖いのだ。

そのとき、クラトスが少々強引に私の腕をひきよせて、力強く抱き締めた。先程の包み込むような腕ではない。相手を欲情的に求める抱き締め方だった。
微かに息を飲んで黙りクラトスを伺う。静寂とは裏腹に私の鼓動は空気を読んでくれない。ああ、恥ずかしいからこの人に伝わってませんように……。



「わからない……」


耳元で囁かれた低くて擦れた声。
何かに戸惑い震えていた。
喜びと不安が交互に頭の中で浮上する感覚。
不安定で、不均衡で、不釣り合い。
それでも私のお腹に宿る命は、たとえ小さな芽だとしても命の息吹をふきかえす。


………ああ、そうか。
私は、何を迷ってたんだろう。



「ありがとう、クラトス」
「………え?」
「泣いてくれて、ありがとう」


こうやっていつだって手を伸ばせば彼がいるから、ずっとわからなかった。
迷惑かけたくなくて勝手に我慢ばかりしていたけど、そんなの無意味だった。
どんなに変化を恐れたって
未来を恐れたって
指先から伝わる愛情だけは
ずっとずっと変わらないのに。




「私、今までみたいにもう無茶しないから。貴方に心配かけないようにする。……もう私だけの体じゃないもんね」
「ああ」
「……だからもっと貴方に、甘えてもいい?」


その問いにクラトスは少し驚いたようで、一瞬黙った。
しかしすぐに笑いを込めたため息をつく。
私が顔を上げると、呆れたようなそれでも嬉しそうな顔があった。

大事そうに私を抱えるその腕が少し強くなる。すがるようだった彼が、私を守る正義のヒーローになる瞬間。
私だけの優しい天使様。
天使なのに全然天使なんかじゃなくて、私のために平気で泣いちゃったりできる人間臭い天使様。


「当たり前だ」


その声がやけに上機嫌だったので、私は思わず吹いてしまった。





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