***



「…………で。お前はさっきから何を隠している」


その瞬間、派手にコップを落とした。


洗い物をしている最中、背後から聞こえた声に、びくりと体を揺らしてしまったせいだ。
幸い割れてはなかったが、リビングにいるクラトスにもその動揺の音が聞こえたらしい。こちらにくる足音と共に、背後に気配がした。

「………だから、今日は私がやると言っただろう」
「ね、熱下がったしもう終わるから大丈夫。それより貴方明日も早いんでしょ?寝なくていいの?」


落としたコップを拾う指が震えた。なんとかそれを流し台の端において、一呼吸つく。
返答がないままの沈黙が続いた。

おそらく私が質問に答えてからじゃないと、彼も返事をしてくれないだろう。
というかその前に。

(バレたか……やっぱり……)


あまり顔には出していなかったけれど、まあクラトスのことだし私の態度ですぐ気付いたんだろう。今思えば帰宅した時点で彼の不思議そうな視線を感じた。
隠しごとをしている私は、たしかに少しだけ挙動不審だ。
だけどほとんどわからない程度のそれにクラトスが気付くのは、普段からちゃんと私を見てくれている証だろう。

静寂の中、少しだけ息を吸った。
大丈夫。何を隠すことがある。
そのまま、ありのままを話せばいいだけじゃないか。なのに。

なんで私はこんなに口を開くことに抵抗があって
口に出すことを怖がっているんだろう。


「あの、ね」

大事な話は彼の目を見て話したかったので、私はゆっくり振り返った。
だがその震える声音がすでにもう、すべてを物語っていたのだ。

頬に、場違いな涙がつたったせいで。



「……あ…」
「………」

呆然と立ち尽くすクラトスの姿が、歪んだ視界で見えた。
咄嗟に逃げ腰になった私は、背後に下がって流し台の縁に腰をぶつける。何で逃げようとしたのかは、よくわからない。多分突然のことで混乱したのだろう。事実そのとき私はパニック状態になっていた。
泣きたいわけではないのに、何故か涙が溢れた。止めようとすれば、さらにこぼれた。
彼はこんな私を見て何を感じているのだろう。目をみる勇気がない。

「ち、違うの……泣きたいんじゃないの……」
「………」
「ご、めんなさい。びっくりするわよね、……っ」
「………アンナ」
「うん、ちゃんと泣き止むから、まっ………」


その時、いきなり彼が私の手首を掴んだ。

びっくりして嗚咽さえ止まった私は、涙が溜まった瞳を見開いてクラトスをみつめる。
相変わらず、吸い込まれそうなほど綺麗なクラトスの瞳。
妖艶なんだけれどそれでも男の人らしさがあって…。
見とれているうちに優しく手首が引かれて、足元がよろよろとそれについていった。

「ちょ、ちょっと……」


震える体全体が暖かな感触に包まれて、私はまごついた。
何も言えずただその体温を感じるしかない。
頬に当たる柔らかな赤みのかかった鷲色の毛と、優しい人の香り。
慎重差のせいで口元にあたる、彼の大きな肩。


「クラトス…」
「………わかってる」


天使の優しい声が耳元で言葉を紡いだ。


愛情に不器用な指の1本1本が、おずおずと髪に触れる。
壊れ物を扱うような仕草と感触が、私に「大丈夫だ」と囁いてくれた気がした。



「泣きたくないのはわかってる。だから、落ち着け」


ため息まじりに吐かれるわりには言葉が優しい。


また泣きそうになるのをこらえて、私は深呼吸をした。
何か言わなきゃ、と思うのに上手く言葉が出てこない。
しょうがないので彼の腰のあたりの服の裾をきゅっとつまんでおいた。
クラトスが軽く笑う気配がした。

(………待ってくれてるんだ。)


すぐにそれに気付いた。
本当に私が言いたくないことは、彼も聞いてこない。
だけど何も言わずに黙って待っているということは、ちゃんと私が口に出して言いたい気持ちを汲んでくれている。
本当に優しい人だなあ、とつくづく思った。



「く、クラトス」
「ん?」
「………聞いても怒らない?」
「怒らない」
「本当………?」
「………ああ」
「嘘でしょ」
「すまん……努力はする」


やっぱ嘘なのかよ!と叩きたくなったが、まあここは一つ借りを作ってしまったのでスルーしておいた。
絶対怒るだろうなあ、と思いつつ私は口を開いた。


「か、勝手に一人で病院に行きました………」




「……………」




うわあぁ、怒ってる…と冷や汗をかきながらも、私は返答を待つ。
はたからみたらイチャイチャしてるような状況で、こんな嫌な空気にしてしまったのが唯一笑えた。いや、実際には笑えないけど。

なんでクラトスが怒るのかっていうと、外出時は絶対に彼を連れていくという約束をしていたからだ。面倒なことに私はディザイアンに追われている身なので、いつどう襲われるかわからない。
買い物に行くときはもちろん、とりあえず家を出るときは必ず二人で出掛けていた。
普段は寡黙なクラトスだが、そういうことになると過剰に心配性で、たまに本気で怒られる。多分昔のことがトラウマになってるんじゃないかと思う。
マーテルさんを殺されたときの喪失感が今もまだ彼に残っているのかもしれない。
そうかんがえると少しだけ、彼が可哀想にも見えた。



「………それだけか」



それでも約束は守ってくれたようで、怒鳴るようなことは一切しなかった。正直に白状した分、説教は免れるだろう。
とりあえずほっと一息つき、私は本題に入ることにした。


「それが………この先も、定期的に病院に行かなくちゃならなくって。だから貴方にちょくちょく、お仕事休んでもらわなくちゃいけな…」
「ちょっと待て。まさかお前、単なる風邪ではなかったのか…?」


突然肩を掴まれたかと思うと、真正面からクラトスに覗き込まれた。すごく心配そうに私をみる瞳は、行き場をなくした子供のようだった。彼のこんな顔を見るのは久方ぶりだろう。

「……うん。風邪じゃなかった」

「一体何の病気だったのだ。まさか……………エクスフィアの侵食が…………」


語尾をしぼませてしまったクラトスをなだめるように私はできるだけ彼の手を優しくとった。
泣きそうなカオをする彼に、なるべく柔らかな笑顔で応えてやる。
視線が至近距離で絡んだ。
何度も経験した、優しい気持ちになった。




彼の腕を、私の体のある場所に添えた。
その位置がエクスフィアでないことにクラトスは意表をつかれたらしく、暗かったその瞳がぱちぱちと瞬く。私と、添えられた自分の腕を見比べていた。

リアクションとしては満点な彼に私は苦笑して、静かに口を開いた。





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