温かな木漏れ日のなか、少年は静かに息を吸った。


懐かしい春の匂いがする。
ふさふさと音をたてる木々の葉や花は、新しい命の芽生えを祝福するかのように風に乗って舞っていた。柔らかな植物の緑色や淡いピンクの花びらや、あるいは透き通ったその先がきらきらと光を紡いだように煌めく小川は、母親のような優しさを持ってロイドを見つめている。もう何度かわからない、この庭での春。その中でも今年の春は一番美しく、そしてどこか寂しげにロイドは感じた。微かに吹いた風が、誰かを求めて誰かの名前を呼んでいるような、そんな音をたてる。



「………………」

夢でも見てんのかな、とロイドはぼんやり考えながら墓石をじっと見つめてみた。それだけ現実離れしたような、綺麗な景色の世界だったのだ。しかし今さっきあの人がくれたロケットペンダントが、ロイドの手の中で現実を主張する。ほんの数分前の出来事だから、それにはまだあの人の体温がかすかに残っていた。親指でそれを大事に撫でてみたが、それだけであの人の名残が消えていくようでロイドは唇を噛み締めた。


「……………ただいま、母さん」



やっとの思いで苦しげに、言葉を絞りだした。当たり前だが返事はない。だがロイドは小さなころから事あるごとに、この母親にしゃべりかけていた。返事がないと知りつつ、何かを尋ねたりもした。これもまた不思議な効果で、どんなに義父に怒られて沈んでいても、どんなにジーニアスと大喧嘩して腹を立てていても、母親と喋っていれば落ち着くのだ。そして前をむく勇気が出るのだ。
何も言わないから、というよりも、地に眠っているのが母だから、という理由だろう。
あの人が愛した、優しくて強い人なのだから。



「父さんと、お別れしてきたよ」


――――そうなの。


なんとなく返事をしてくれた気がした。実際には備えてあった花が風に揺れただけだ。
ロイドは少し無理に笑ってみたが、どうやら無理だったようで顔が不自然にひきつった。
そんな彼に母親は呆れているかもしれない。今まで彼の「本心」を聞き続けていた墓石は、ロイドにとって唯一の存在だ。だからこそ、ごまかしも偽りもできなかった。

「結局、なんも言えなかった。馬鹿だよなあ……昨日まで、必死にここで練習してたのに……」


膝をついて呟いたあと、ロイドはグローブをゆっくりはずした。墓石を撫でるときは、絶対に直接触りたかった。
そっと人差し指で、彫られた名前をなぞる。そこにはざらりとした石の表面しかなかったが、不思議と無機質な感じはなく、むしろ太陽をいっぱいに浴びて気持ちよさそうに見えた。


ふとあの人の記憶が脳裏を霞む。
世界を統合してからあの人は、よくこうやって墓石を撫でていた。
跪いて何度も何度も、武骨な優しい指で、ゆっくり何かを辿るように。
彼の想いの先はいつだって、この場所に眠る人にあった。
じっと墓石を見つめる瞳は、心底愛しげだった。



「本当、に……俺は………」

いなくなってからわかる、彼の存在の大きさ。
意地をはって、素直になんかなれなかったが、それでも憧れていた。


言いたかったことも
言えなかったことも
ありすぎて困るくらいに。


「大馬鹿者だ……………」





伝えれなくてもどかしかった言葉が、涙になって頬をつたった。

震える唇をちからいっぱい噛み締めて、嗚咽をこらえる。
落ちた滴が地面のコンクリートを点々と濡らして、ロイドは手の甲で涙を拭った。





「ありがとう」と
ちゃんと言えばよかった。






「っ………………!?」



その時、背中に感じた温もり。
後ろから首を優しく拘束する細い腕に、ロイドは目をまんまるにした。
数秒瞬きをしたあと、さらりと頬に金色の髪が触れて、自分を抱きしめている人物が誰かわかる。
じわり、と視界が涙で滲んだ。
どうして彼女はいつも、いて欲しいときに、傍に来てくれるのだろう。


「な………んで…お前…いんの…」

「泣き虫ロイドを、助けにきました」

鈴のように笑うコレットの声は、ロイドの心を優しく溶かしていく。
そういえばコレットはクラトスがデリス・カーラーンへ出立するのが今日だと、知っていた。
ロイドがこうなるとわかって、慰めにきてくれたのだろう。
彼女は小さな声で、ロイドに内緒話をするように囁いた。


「ロイドは、優しいね」
「どこがだよ…」


ロイドが静かに俯いた。


「だって父さんは、いつだって……俺のためにずっと戦ってくれたんだ。なのに俺………何もしてやれなかったんだぜ?」


彼から貰ったものは大きい。
それは剣術など実用的なものだけではなく、もっと違う、ロイドには足りなかったいろんな複雑な感情さえも含まれていた。
だからこそ、どうしていいかわからず、受け取ったものをそのまま飲み込むことでしかロイドは表現できなかった。
どうしたら伝わるのか、必死に考えて、母の墓石の前で何度も練習した。


なのに。


「父さんは、ずるいよ」
「クラトスさん?」
「うん。………あいつ、最後になんて言ったと思う?」


ロイドは顔を上げてコレットの方を向く。涙に濡れた瞳で、見せたこともない痛々しい笑顔を顔にはりつけた。



「生まれてきてくれて、ありがとう――――――って」


うわずった声が再び濡れる頃には、大粒の雫が瞳から溢れ出ていた。
声が擦れてしまうくらいに声を上げた。
肩を揺らしていれば優しいコレットの手の平が、茶色の髪を撫でた。それは迷子になってしまった少年の心をそっと、壊れもののように抱いていく。母親に似たその愛情で。


「俺は………クラトスが、地上に降りてなければ、ここにいなかった」
「うん」
「あの時マーテルさんが人間に殺されて…ミトスが壊れて………生まれてきた命だ」
「…うん」






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