「……………かは、」

やっと解放されたころは、もう互いに息も絶え絶え、名残惜しそうに銀の糸が二人を繋いでいた。
クラトスはそれを親指の腹で拭い、そして少し赤くなった顔で呼吸を乱しながら私を見つめる。酷く泣きそうで子犬みたいだった。
対する私も相当官能的な表情をしていただろうが、 まあそれは知らない。とりあえずクラトスがずっと溜めていた欲望を目の当たりにして、呆然としていた。そっち方面は疎いと思っていたのだ。見るからに禁欲的な顔をしているから、私の体の方には興味ないかな――――なんて。



「アンナ」



いつか私が嫌いだと言った名前を、彼は求めるように呼ぶ。

何故か涙がこぼれた。
私は、何度彼の前で泣くのだろう。
ふえっ、と子供のような声を出せば彼が苦笑しながら頭を撫でてくれた。涙で滲んだ視界でも見える、彼の呆れたように笑う顔。そして優しい仕草と視線。


いつまでもぐずる私の前髪をかきあげて、おでこにちゅ、っと口付けた彼。
その口元は笑っている。
何が可笑しいんだろう。
そう思って、じっと彼を見上げればクラトスは額をあわせてきた。ごちん、と音がする。この野郎、石頭め。


「生きてくれ……………」



それは彼の一番の願いだった。
包丁を抱えた私の腕を掴んで、強引に抱き締められたあの日から。道を踏み外した私のペースを見事にぐちゃぐちゃにした彼は、ただ純粋にそれを願ってくれていただけなのだろう。
気がつけば彼も涙声だった。
天使は涙を忘れたんじゃなかったのか。


―――もしかしたら。
私が彼を限りなく人間臭くさせたのかもしれない。


私が彼に巻き込まれたように、彼も私の人生に巻き込まれて。
最初は、あくまで自分の懐を隠した状態での付き合いだった。
なのに、貴方はいつだって私を見抜いてて。
私が欲しい言葉を誰よりも最初にくれた。
私が求めていた居場所も、生きる意味も―――すべて貴方からもらった。

受けた傷を笑ってごまかす私に、「そんなことを言うな」と怒鳴り。
「お前は、お前でいい」と
笑ってしまうくらい真剣な顔をして貴方は言った。
そんな貴方も、本当は全然平気じゃなかったのにね。
涙を忘れたふりをして、本当はずっとこうやって泣きたかったんでしょう?
ただ、貴方は泣き方がわからなくなってしまっただけで。
いつだってポーカーフェイスな貴方だけど、中身は全然そんなんじゃない。
どちらかと言えば情緒不安定なほう。
勝手に悩んで抱え込んで、ごちゃごちゃごちゃごちゃと自問自答しながら自分を責めるんでしょう。
まあたしかにそういう時間も必要だと思うけど。けどね。



受けた傷も、後悔も、罪も
背負うには貴方の肩はあまりにも華奢すぎた。



そんなこと、できるわけないじゃない。
だって貴方、こんなに弱っちいのに。
だから考え込む前に私に言ってね。
言葉にしなければ、伝わらないから。
そしたら私は貴方を無条件に抱き締めてあげる。
だからもう、一人でも平気な貴方にならないでね。



「一緒に生きよう、アンナ」



そうやって貴方は私の頬をその不器用な手で包み込んで、額をあわせて泣きながら笑うから。
私はまたどんどん貴方を好きになる。



不思議ね。
もう死にたいと思ってたのよ?
本当は死ぬために脱走したのに、いつのまにか私は貴方との未来を夢見てる。
でもしょうがないよね。私の一番星になる、といったあの人が貴方の方へ光を差すんだもの。
夢の中で「幸せになってもいいんだよ」って、ものすごい笑顔で言うんだもの。




もう格好よく死ぬことも生きることも、どうだっていい。
この命が尽きるまで、私はこの人を守ろう。
父と母がくれたこの命に誇りをもって。
前を向いて。
凛として。
強く、強く。
地に足をついて、生きるのだ。




いつか一緒に



差別なき世界で。








***




「で?クラトスさん」
「…………な、なんだ」
「貴方…………さっきのアレは、一体どういうつもりかしら…?」
「さっきのアレ…とは?もしかしてディープキ」
「それじゃない!!その前!!!!」
「…………その前……?」
「〜〜〜〜〜っあれよ!!!ゆゆゆゆ、指くわえたり、な、なな舐めたりしたやつ!」
「ああ………あれか………」
「そこで何故目を逸らす」
「……先を越されたんでな。少し焦っていたのだ」
「先…………?ああ、婚約者?」
「それもある」
「それ"も"?」
「………………」
「……………」
「……………」
「……………ユアン?」
「………………」


彼が黙って瞳を伏せた。


まあたしかにユアンがあんな行動をしたのはびっくりした。クラトスには悪いけど、少しときめいた。でもアレはあくまでも敬愛の証で。私に感謝も込めた紳士的な行為だ。断じてクラトスがしたような、欲情まみれのそれとは違う。そう考えるとクラトスはやはり、そっち方面に疎くないのだ。むしろお盛んな気がしてならない。タラタラと先程から流れる冷や汗は、気のせいじゃないだろう。ああ、私これからどんな目にあうんだろう、お父さん、私心が挫けそうだわ……と思わず天国に近況報告をした。



「…………しょうがないわよね。愛の試練よ。安心してねクラトス、いつか貴方に全部あげるから。いつかね、いつか」
「…………別に私はお前がすべてをくれなくても、気持ちは変わらん…………だが」
「だが?」
「くれると言うのならば、もらう」
「………………」
「…………何か、問題でも?」
「………ないです」



彼の横で正座をして縮こまっていれば、彼がふ、と笑って見つめてきた。
その無骨な指が私の頬に触れる。
さり気なく4本の指が耳の下あたりにさしこまれて、親指の腹がまるで感触を楽しむかのように、唇をなぞった。
わずかに身を震わせた私が彼を横目に見れば、その表情は見事に「覚悟しておけ」とでも言うようにほくそ笑んでいて。開き直りやがったな、とため息をつく。


ふいにできた黒い影。
彼が覆い被さるように、私に近付いたからだ。
ああ、何度目だ、と私は半分呆れながらも瞳を閉じる。
その息遣いが聞こえるくらい、つまり多分唇が触れ合う直前の2センチ間の距離で彼は甘く囁いた。


「…………愛してる、アンナ」





「…知ってます…………」



そうやって素直に返さない私にも、彼は溢れんばかりの愛情を注いでくれるだろう。案の定、彼は小さく楽しそうに笑って、距離をゼロにした。


今まで私は。
周囲の愛を無意識のうちに拒んでしまう、という意味で自分を「ひねくれ者」と呼んでいた。
だがクラトスの愛を受け入れて、「ひねくれ者」は卒業したか?と問われれば――――決してそうではない。たぶんもっと単純な理由で、私はいつまでもひねくれているのだろう。対クラトスだと、特に。

本当は嬉しいのだ。あまり物事に興味を示さない彼が、よりにもよって長年(しかも単位が千)の付き合いがあるユアンに、私に関することで嫉妬したことに。
だけどそれを口にすれば、いつ喰われるかわからない。というか勢いで丸呑みされそうだ。
だから絶対に言葉にはしない。素直になんか、なってやらない。
そうやって、アメとムチを上手に使って、クラトスをメロメロにするのだ。いつまでも、こっちだけ向いていてくれるように。


生憎、左手の薬指は予約済みなので。













ひねくれ者の恋愛事情




最初で最後の大恋愛でした。








第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -