二人が息を飲んだ気配がした。




私は視線を彼らへと戻し、そして苦笑する。「どうして」と訴えてくる二人の瞳には僅かに懇願の色が見えた。許してほしい、とは思ってないだろう。むしろ逆だ。きっと彼らは私に責められたいのだ。貴方たちが間違っていた。そう大声で罵られたいのだろう。
彼らの心に、十字架が残るように。決して自分を許さないように。

だからといってそれでは何も変わらない。彼らが楽になるわけではない。彼らのためにならないのなら絶対怒ってなんか、やらない。



あいにく私は―――ひねくれ者だから。


「私は姉が殺された経験もないし、迫害された傷もしらない。ミトスが浴びさせられた人間の言葉も、一人で泣いた夜も………わからない。だから私が彼が間違いだと決める権利は、ない」
「な……………」
「うーん普通に考えてそうでしょ」


そうきっぱり言って私は笑った。呆然とこちらを見る男二人を、思い切り笑い飛ばしてやった。
無責任に。かつてクラトスが私を道に正したように。

素直に正直にまっすぐ、と。



「ユグちゃんは何も失いたくないだけ。あとちょっと頭が固いのかな。なのに二人でよってたかって『お前が間違ってる』なんて虐めるんでしょ?だから可哀想、って言ってるの」
「しかし………ユグドラシルをこのまま放置しておけばいずれ、」

何かを言おうとしたユアンの口元に、私の人差し指を当てる。瞬間彼がはっとしたように口をつぐんだ。お静かに、の合図だ。
じっと目の前の私の指を凝視し、そして私の表情へと視線をずらす。その瞳は困惑していた。同時に、答えを求めていた。


「………逆に言えば私達はユグちゃんに同情できる立場でもない。だからそこでユグちゃんに同情して許すのは偽善者。本物のヒーローはね、そーゆーのじゃないと思うの」


くすり、と小さく笑ってクラトスを見れば彼に困ったような顔をされた。だが口元は僅かに綻んでいる。ああ多分気付いたのだろう。私らしい、決断を。



「本物のヒーローは、相手の痛みを忘れないのよ」
「痛み…………」
「そう、痛み。ユアンやクラトスにも、あるでしょ」



「選択」に正解も間違いもない。
だからユグドラシルは間違い何かじゃないと、私は思う。もちろんクラトスとユアンがしたことだって。
正しい道を知るには私達の考えはあまりにも浅はかだ。
だから判断なんて最初からできないのだ。
だからといってユグドラシルを憎むな、ということではない。
嫌いなものは嫌いでいいのだ。
ただ彼の痛みを知れ、と言っているのだ。



私達が知らなくてはいけないのは、そういうことだ。



「彼が人間から受けたたくさんの迫害、彼が何度も泣いた涙の数、そしてどこにも居場所がなかった孤独がどういうことか」
「………………」
「ユグちゃんは悪者なんかじゃない。きっと彼も十分苦しんで出した答えなんでしょう。この世界はどうすれば差別がなくなるか」


きっとユグドラシルは、心の底では今でもこの世界の幸せを願ってる。
姉の言葉を信じて、このせかいのすべてが差別なく暮らせる幸せを。
ただその幸せの形が微妙に私達と違っただけ。
ユグドラシルが皆が同じになればいい、と言っているのは確かに的を射た答えなのだ。
考えが違うから、戦争はおこる。
差別がおこる。
だがみんなが同じになってしまえば?そうなれば人は―――――エルフは、ハーフエルフは。



誰かを愛する意味を、失う。


自分には無いものを求めようと、生命は相手を愛するのだ。





「やはり…………お前は…………変わっているな…」
「あら、お褒めの言葉ありがとう」
「そして……………強いな」


ユアンが下を向いた。


膝の上に置かれた拳が微かに震えている。下を向いていたから表情は見えなかった。だけど声は笑っているような、泣いているような中途半端な声だった。
世界の孤独な支配者を思っているのだろうか。
ハーフエルフの悲痛なSOSから逃げることなくただ前を向いていた彼の――――可愛い可愛い弟を。
ゆるく結ってある艶やかな長い髪が、するりと肩から落ちる。細い綺麗な髪が彼の頬に触れるのを見た。


まるで懺悔するような、そんな、彼の。


「クラトスが…………お前に惚れた理由が、なんとなくわかった」
「え?」


そう言われて私が驚いてクラトスを見れば、彼もびっくりした顔をしていた。しかしその直後、クラトスは小さくため息をついて苦笑した。その呆れたように笑う表情は、どこまでも優しかった。
その表情から想像するに、クラトスは多分ユアンをずっとずっと気がかりに思っていたのだろう。
ユアンはとても、優しい人だから。
一人で勝手に罪を背負ってないか、心配だったのかもしれない。
今までユアンは、心の裏で弟を想っていたのだと思う。
だけどそれを素直に口にすることができなかった。
ミトスの闇に気付けなかった罪の意識がまだあるのだ。
なけなしの贖罪として、せめて、間違いから目を覚まさせようとしていた。
しかしそれをマーテルが望んでいるのかわからなくて。世界の平和のためにミトスを傷付けることが、本当に正しいのかわからなくて。
ずっと、ずっと悶々としながらここまできたのかもしれない。
そして不器用なクラトスはそんなユアンに何の言葉もかけられず、彼は彼で苦しんでいたのかもしれない。


「………私は貴方達と違ってただの人間だから、当たり前のことしか言えないけど」
「それでいい。私達はあまりにも生きすぎて、無駄なことを考えることが多いのだ。だから気がつけばいつも当たり前のことを、忘れてる」
「それに気がついたからいいじゃないユアン。」


大丈夫。
貴方達は間違えてない――――





そう言えばクラトスは私を見つめ、ユアンが顔を上げた。その表情には、何千年も背負ってきた十字架を―――やっと下ろせた顔をしていた。


彼らは、辛いときに貸してもらえる肩がなかった。黙って胸の内を語れる、存在がなかった。

一人で――罪を背負うことしかできなかったのだ。



「アンナ」



短くユアンに呼ばれた声に私がはい、と返事をする。



そして彼は座ったまま私の手をとった。綺麗な長い指が私の指へと触れて、優雅な動きでそれを持ち上げる。そしてユアンは瞳を閉じて。



「………………」


手の甲に伝わった柔らかな感触とまるで紳士的なそれに、私と見ていたクラトスさえもびっくりして目をまんまるにした。ユアンが唇を離し、同時に長い睫毛を震わしながらこちらを見上げる。窓から入ってきた日光が彼の頬を照らし、彼は愛しい誰かを懐かしむような表情をした。



「………………ありがとう。お前に出会えて、よかった」



女神マーテルが愛した、優しい微笑みだった。









第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -