「あ……………」
「?どしたのおかーさま」
「あの音か………一体何かできるのかしらね」
指差す方向を見上げると大きなクレーン車が、大きな鉄の棒を吊り上げて、ゆっくりと運んでいた。そういえば先週から行われているらしいこの工事は騒音などの地域の問題になっていると聞いたが、なるほどたしかにクレーン車がうるさい。クレーン車ってこんなうるさいもんだったか?こりゃ住民も迷惑だな…………
「年内に終わるのかしらね」
「さあ……………何か変な音してるわりに、動きがノロいっつーか………あのクレーン車古いんじゃないか?要領悪すぎだろ…………」
馬鹿な俺はそのとき、その騒音がある意味で警告音なのだと気付いたのだった。
「っ!!アンナ、伏せろ!」
「え」
手にもっていたスーパーの袋を投げ出し、きょとんとしている彼女を力ずくで押し倒した。
俺がかした白いマフラーが視界の端でふわりと舞う。思考の端で誰かの悲鳴が聞こえる。そんなことはどうでもいい。俺はそんなこと、どうでもいいんだ。
彼女の背中が冷たくて堅いコンクリートに鈍い音をたてて叩きつけられたとき、同時に彼女に覆い被った俺の背中にも何かが強い音をたてて上から落ちてきて、カランカランといくつもの鉄の棒が地上に跳ねた。
「……………ゼ、ロス…………くん?」
俺を見上げるその瞳には、驚愕も恐怖の色もなかった。おそらく何が起きたのかいまいち理解できていないのだろう。
救急車!と誰かが叫ぶ声が薄れていく意識の中で聞こえた。
他にもざわざわといろんな人の声が聞こえる。
「はは…………よかった、間に合ったわ………」
無機質なコンクリートに赤い雫がぽたぽたと落ちる。俺の下で横たわる彼女のきめ細かい頬にも、残酷なほど鮮やかな血が俺の口の端からおちた。
「う………………うそっ…………まさか……………ゼロスくん、いやよっ…………やっ……!」
柔らかいその両手が俺の顔を挟むように頬に触れる。ああ、俺は何度彼女にこうされることを願っただろう。
彼女の震えが指先から伝わる。目の前で大粒の涙をぽろぽろ流しながらすべてを否定するように首を降り続ける彼女を、俺は優しく抱き締めた。
夢にまでみた瞬間だった。
「大丈夫だ、大丈夫…………だから泣くなって……な?」
「いやっ…………いやっ………ゼロスくん、死なないでっ…………!」
ふえっ、と泣き出す彼女の髪をとかしてあやしても、効果がない。
完全にパニック状態になっているようだ。
ひゅっとまた冷たい北風がふく。
彼女の首にまかれている白いマフラーは、もう泥と血にまみれてぐしゃぐしゃになっていたが
優しく波打つその布が何故だか美しく見えた。
「………おかーさま」
唇をそっと彼女の目尻によせて、涙を優しく舐める。ひくん、と跳ねた彼女はまるで小動物のように俺を見上げていたから、思わず俺は力なく笑ってしまった。
たぶんその時、一瞬だけ俺は理性を失ったんだ。
ごめんな。
許してくれよ、クラトス。
「ゼロ…………スく……」
わずかな彼女の困惑した瞳を、ずるい俺は見なかったフリをして、ゆっくりと顔を下ろしていく。
互いの唇が触れるか触れないかぐらいで意識が朦朧としてきた。
頬にあたる冷たい風が、無性に心地よかった。
これで最後にします。
だから一瞬だけ。
一度だけでいいから。
「……………ずっと、ずっとすきだったんだ」
貴女を
俺にください。