「12月って何でこんなに寒いの!」


「そりゃ12月だからでしょうねえ………うーさむ」


白い息を吐いて震えている隣の女性を見て、俺はため息をつきながら苦笑した。ぴゅうっと北風がふくたびになびく髪はいささか短いので、首元が丸見えである。そのたびに女性は目をつむり、ものすごく泣きそうな顔をした。俺にはそれが楽しくてしょうがなかった。



「おかーさま、めちゃめちゃ面白い顔してる。かーわーいーいー!」

「う………うるさいわね………ゼロスくんだって鼻真っ赤よ?」

「おかーさまのが真っ赤だぜ」

「いやいやゼロスくんの方が」






この人妻と俺が一緒にスーパーの袋をもって、仲良く肩を並べて帰るのも珍しくはない。近所のご婦人方もアンナの性格を知っているから、俺たちを見ても誰もやましい関係だなんて思ったりはしなかった。それどころか「相変わらず仲良しなのね、兄弟みたい」なんて話し掛けられたことだってある。そのたびにアンナは照れて、俺は嬉しいような切ないような笑みを浮かべた。




「おかーサマ」



俺専用の呼び方で声をかけると、アンナは寒そうにしながらも「なーに」と可愛らしく返事をした。俺が一旦立ち止まり首に巻いていた真っ白のマフラーをほどきはじめると、その様子をぽかん、と眺めていたが、その意図を知ったとたんわかりやすくぱあっと表情に花が咲く。



「はい、どーぞ」

「わあ、ありがとう!…でも」

「でも?」

「ゼロスくんが寒くなっちゃうわよ」

「俺はいーの。こうするから」



そう言って俺は長い林檎色の髪を一つにまとめて、ぐるぐると首のまわりに巻いた。冬は本当にこの髪が役に立つ。普段は手入れが面倒なものだが、なかなか有効に活用できるのだ。



「わあ!懐かしいわー私も高校のころよくそうやって髪巻いてから、マフラーしてたもの。風が入らなくなるわよね」


「そうやってって……………おかーさま、学生のころロングだったの!?」


「あれ、教えてなかった?」


これくらいまであったかな、と自分の肘のあたりを軽く叩いて示すアンナに、俺は激しく動揺した。


(うわ………ロン毛おかーさま超見てえ…………)



今の年齢でもこんな幼い顔立ちをしているのだから、若いころは(まあ今も十分若いが)もっと童顔だったにちがいない。そんなあどけない少女が長い髪と制服のスカートをふわふわ揺らしながら登校していたと思うと――――



「……おかーさま、制服どんなんだった?」

「へ?普通のセーラーだったけど…………」



期待通りの答えに俺は心の中でガッツポーズをした。
たしか私立の中高一環女子校育ちと聞いていたから、汚れることなく世間知らずのお嬢様として育ってきたのだろう。たぶん当時もドジで、数学が苦手で…………ああ、数学がダメなのはロイドだった。

我慢しきれなくなった俺は思わず彼女に畳み掛けた。



「おかーさま!」

「な、なに」

「卒業アルバム見せ「ヤダ。」



…………………。

まだ何も言ってないのに…………。



(ヤダってことは……………もしや家にはあるってことか……?)



めげることなく想像力をふくらます俺には気付くことなく、彼女は昔を思い出すように瞳を細めた。

「懐かしいなあ…………あの頃はまさか、私があの人と結婚するなんて思ってなかったわ……」

「……………そーいや、おとーさまと出会ったのは、大学のときか」

「まあね。でも存在は、なんとなーく中学のときから知ってたかなあ。」

「え、なんで」

「電車の車両が一緒だったの。友達が彼に一目惚れしちゃってね〜何故か私まで毎朝同じ車両に乗らされたわあ。いっつも窓の外ぼーっと一人で眺めててさ」


きりりとした表情で窓の外をみつめる若かりし日のクラトス少年を想像して、俺は苦笑した。かなりの美少年だと予想される彼には、さぞかしファンも多かったのだろう。ため息がでるほど魅力的な彼を、毎朝遠くから頬を染めてみつめてみる女生徒……(もしかしたら大人も混じっていたかもしれないが)ただでさえ夢見るお年頃なのだから彼女達にとってクラトスは王子様的存在だったに違いないのだ。


「………………そのときから、すきだったの?お母様は、お父様のコト」

「全然。だって私、そのとき別に好きな人いたし」

「えっ……………でも、女子校じゃ…………まさかおかーさま………」

「もちろんそういう子もいたけれど、私は普通に男性が好きよ」


くすくす笑う彼女にちょっと俺は安心する。別にそういう類の女性に偏見はないが、なんとなくアンナが女性の方が好きだと言いだしたら、もはや彼女の中に俺の入る隙間などなくなるからだ。


………まあ。


男性に恋している今でも俺の入る隙間は無いのも同然なのだが。





「まー…そのへんの事情はいろいろあって、私は違う人を愛してたの。だからクラトスは初恋じゃないのよ。まあ彼も私は初めてじゃないだろうけど」

「……………その現場に俺も居合わせてみたかったよ」





彼女の思い出話を聞くたびに毎回思うのはこのことだ。
俺はこの年齢で彼女に出会ったことが悔しかった。
俺もクラトスのように、当時の彼女の話を聞き、彼女の声を聴き、そして彼女の描くものをこの目で見たかった。

そうしたら。

(俺にもチャンスあったのになあ…………)




「年月」というハンデは俺にはいささか不公平だ、と勝手に神様怒ったこともある。





「………………に………ね」

「え?何、聞こえなかった」

「そうだったらおもしろいね、って言ったの。てゆか、何この変な音?」


ちなみに今のは、何かの雑音でアンナの声がかき消されたのだ。ふと音の根源を探し、きょろきょろしていると彼女が一つの方向を指差す。





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