遥か宇宙の彼方を長い年月をかけて旅する、デリスカーラーン。
その月日は気が遠くなるほど長く、終わりの見えない旅路を彼の前へ示していた。

窓から外を覗くとすべてを飲み込んでしまうような漆黒の空に、無数に散らばる星達が瞬く。彼はそれを沈黙の部屋から見つめ、そして踵をかえして歩きだした。


彼に残されたものは
永遠の孤独。


だがしかし、それを彼は自らが望み、また自らの戒めへとして旅立ちを決意した。今を生きるたった一人の血縁者―――すなわち愛息子はそれを黙って受け入れ、何も言うこともなく彼を宇宙へ送り出した。今生の別れだとは分かっていた。もう会えないのだともわかっていた。

だからこそ、何も言わなかった。


(いや…………言えなかったのだろうな)




青年は一度立ち止まり、その瞳を静かに伏せて、思い出を辿る。長い睫毛が頬に影を落とし、前髪から覗く綺麗な顔からはわずかに自虐的な笑みが見えた。

振り返ると、当たり前だが大きな窓から先程の夜空が見える。それを見て、やはり彼は過去を想う。その瞳はもう、いくつもの激闘乗り越えてきた傭兵の目でも、王家に烙印をおされた騎士の目でもない。
一人の、父親の目だった。
彼はたしかに夜空を見ると、向日葵のような笑顔で自分に小さな手を伸ばしてきた、ロイドを思いだしていた。
また、照れながらも自分を父と呼び、はにかんで笑っていたロイドも思い出していた。



淋しくない、わけがなかったのだ。







****




無機質な床は、彼が歩くたびにもう何年と聞きなれた堅い音を返してくる。かつてユグドラシルがここのすべての天使を統括していたときには何度も通ることになった孤高の街、ウィルガイア。今でも光のない瞳をもつ天使が、すれ違うたびにクラトスを会釈する姿を見て、心がちくりといたんだ。天使達の背中は、あきらかに昔の力を失っていた。

彼らは自分達が見捨てられたと思っている。

すべてを操り、そして永遠の王国を手に入れようとした、創造の神―――ユグドラシルに。



彼らの脳内にはまだ、ユグドラシルが夢見た未来の地図がインプットされたままなのだ。


「…………哀れなことだ」


だが、自分にはどうすることもできない。

自らも天使と変わり果てた自分には、彼らに光を与えるほどの生命力はないのだから。



クラトスはそう心で反芻し、そして逃げるように天使と天使をかいくぐった。 その瞳はもう、天使達からそらされていた。


それと同時に


クラトスはそのとき願ってはいけないことを願った。







***


ウィルガイアの中枢の大きな重いドアを開けると、実はそこには教会がある。


ずらり、とたくさんの長椅子が綺麗に並び、様々な美しい細工の施された壁が色とりどりに光を反射していた。ウィルガイアの中で一番、神々しい場所ともいえるこの場所は照明が少し暗めにしてあり、それによって優美で甘い空間をつくりあげていた。

精神が疲れたときに、この教会に来るようになったのは最近のことである。
民が崇める女神マーテルの神話の真相が悲劇だったこともあり、またマーテルが友人なこともあり、今まで偶像崇拝などしたことがなかった。



人気がない場所であるのも理由だが、なにより今まで気丈に振る舞っていた彼が、何かにすがっていたいと思うほど、彼の精神は弱りきっていた。




「…………………?」


いつものように祭壇にある女神マーテル像に歩んでいくと、誰かがその前でうつ伏せで倒れていた。



白いローブで身を包んでいるため赤いカーペットとの色の対比がやけに目立つ。フードをかぶっていることから顔が見えないため、性別は確認できなかったが、小柄な体躯からしておそらく子供だろう。ただ迷いこんで眠りこけるには―――いささか、不相応な年齢だ。



「おい」


クラトスが声をかけるが反応がない。


倒れている白いローブの人物に近寄り、彼はそこへ静かにしゃがみこんだ。ゆっくりと手を伸ばし、肩に手をかける。華奢なそれに少し驚きながらも、優しく体を揺すった。


「おい。…………起きなさい」





もう一度、声をかけてやると、若干その人物が唸り声をあげた。数秒クラトスが肩に手をおいたまま黙って見つめていると、白いローブがもそもそと動きだし、わずがだが体が起き上がる。それを助けるように、クラトスはそれを抱き止め跪いたままの自分の腕の中へと導いた。


「おい、大丈夫か」


フードが顔を覆っているため、様子を伺うことができない。
クラトスはその白い布に手をかけ、めくりあげた。










それは少女だった。


濃い茶色の癖毛をふわふわと揺らし、眠そうに欠伸をする。とろんとしていた彼女の瞳は、徐々にアーモンドのように丸く大きくなり長い睫毛が揺れた。薄い桃色の頬から若さを感じ、おそらくその年は16、17歳くらいだろう。大人というには幼すぎるし、子供というには体も成熟しすぎている―――そんな微妙な年齢の少女だった。

その瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返し、そして自分を抱きとめている彼をじっと見つめ声をあげた。





「………クラトス」





まるで知り合いのように少女はクラトスを呼ぶ。
未だ眠気が覚めていないようだが、確実に少女は彼を「クラトス」と名指しで呼んだのだ。

「……………………」



当のクラトスは、少女を一目見たその刹那、見覚えがありすぎるその笑顔に動きを止めていた。



そんな馬鹿な。

ここにはもう
人間はいないのに。


今さらだが羽のない彼女の背中に気付き、彼女が天使ではないことに改めて気付く。


クラトスが少女の手にゆっくり震える手を重ねると、彼女からぎゅ、と握ってきた。その手は何年かぶりに感じる生命の息吹と、優しくて暖かいヒトの体温があった。

忘れてなどいない。


この温もりと、光溢れるこの瞳を
忘れた日など、なかった。








「久しぶり。ちょっと老けた?まあ昔っから声は渋かったけど」





















「アンナ…………………」






彼のもとへ舞い降りた羽のない天使は、在りし日のアンナより若干幼い顔をしていた。












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