ぴちゃん、ぴちゃん
誰もいない静寂のなか、私は裸足で歩いている。
あたりは真っ白、上を見上げても空なんてなくて、前を向いても終わりが見えない。長い、長い道のりを、ただ何も考えずに歩いていく。床にはってある水が小さな音をたてて足元にはねた。
ぴちゃん、ぴちゃん
一体私は何を目指して歩いているのだろう。
一体何のためにこんなに歩いているのだろう。
どこからやってきて、
いつ歩き終わればいいの?
考えても考えてもわからない。
最近では考えすぎて、一体自分は何を疑問に思ってるのかも忘れていた。
もう、問も答も探すことをあきらめていた。
ぴちゃん
私は足をとめた。
ある人はこう言った。
後ろを振り返るのも
大事なことだ、と。
その人は蒼色の光を持っていて、
私とは違っていろんな終着点を過ぎていたのに
それでも彼は歩みを止めず
そして私を見つけてくれた。
「上ばかり見ては足元にある花を踏んでしまうし、前ばかり見ていては何も得ることはできない。」
その囁きに私は、はっとした。
そして気付いた。
大切なことは前にではなく
自分の後ろにあるのだ。
***
「クラトス」
後ろから彼の名前を呼べば、無言で彼は振り返った。彼越しにオレンジの空が見える。夕方の太陽の光は、彼の睫毛を彩るかのように優しく世界を照らしていた。
「ここにいたのね」
「今日は空が綺麗だからな」
裏庭のこの場所は夕日の絶景スポットだ。
彼の隣りへ並んで私も西日を見つめると、彼は少しだけ何かを言い足そうにしながらも、また夕日へ視線を戻した。
いくつかの黒い斑点が遠くの空に見える。夕日をバックにした鳥の群れのシルエットはそのまま遠くへ消えていき、そしてざあっと冷たい風が吹いた。木々や草たちが心地よい音を奏でている間、私は一つの決心をしていた。
彼に――クラトス・アウリオンにすべての真実を語る、決心を。
『ディザイアンの内通者にお前のことを少し調べさせた。すまないな、いくら知り合いであれ、仕事柄どうしても身元は把握しなければいけないのだ』
クラトスの家へと連れ戻された私に、先程ユアンが訪れてきたのだ。
そして彼はそう言った。同時に個人的に確認しなければいけないことがあると。だから、クラトスには席を外してもらって私はユアンの報告を受けた。
さすが、というかやはり、というか、だいたいは的を射た情報だった。私はそれをまるで他人事のように―――静かに聞いて過去を受け止めた。
「ユアンがね、私のことについて調べたときに私のお母さんとお父さんの情報もわかったらしいの」
ぽつりと呟けばクラトスは少しだけ瞼を伏せ、少し言葉を選んでいた。
「……そうか」
結局出てきたのはいつもの口癖。
その様子に吹いてしまった私をクラトスは訝しげに見つめ、黙って続きをただした。
しかしその直後、
彼の顔が驚愕の表情へと変わる。
「アンナ…」
「ん?」
私が不思議そうにクラトスを見上げれば、その細い指が私の目印をなぞったので心臓が飛び跳ねた。
「何故、そんな泣きそうな顔をしている………」
低く囁かれたのと同時に彼が私をのぞき込んできた。泣きそうな顔?そんな悲壮感、ないのに。悲しくも、不安でもないのだ。過去は過去なのだから。
もう終わったことなのだから。
「……私なんかおかしくなったのかな」
「………」
「本当よ。悲しくないの。不安でもない。もう…昔のことだし」
「………すまない」
「何で謝るのよ」
その問いに彼は答えなかった。
ただ、すがるように私を抱き締めてきた。
「クラ、」
「お前を長年苦しめていた世界のシステムは――私とユアン、そして同志がつくったものだ」
予想していなかった発言に私が目をまるくしていると、彼はさらに唇を動かした。
「私達の間違いが結果的にいろんな人間の間違いを引き起こした。お前のエクスフィアに関しても…な。本当にすまない。謝っても…謝りきれない…………」
まわされた腕に力がこもる。らしくなく弱々しいその声と、震える体に私は少しだけ戸惑った。
世界のシステム?エクスフィア?何のことだろう。薄々、彼とユアンはディザイアンの関係者だとは思っていたけれど、それにしても何なのだ。
――――ただ彼の胸からは、優しい鼓動が聞こえるだけなのに。
(あ…………)
そう、生き物。
この人が何であろうと
過去に何をしていようと。
彼は、私を闇の淵から無責任にひきずりあげた生き物なのだ。
だから、私は。
「…………何を言ってるかはよくわからないけれど……私は、私の過去を間違いだとは思わない」
「……………」
「だって貴方に、会えたもの」
風がふわりと彼と私の髪を揺らしたと同時に、彼の深い瞳が私を見た。視線が絡んだとき、私はまた新しい彼を知る。
この人は、こんなにも悲しい瞳をしていたのだ。
「普通の人生を送ってたら、確実に出会ってなかったわよ私達」
「………そうだな」
「それに、たとえこれが間違いだとしても、私は後悔してないから」
過去も今もすべて一人で受け止めるのは
とてもとても辛いことだけど。
「貴方が、受け止めてくれるんでしょ」
彼のおでこを軽くグーで小突いて、私はにやりと笑った。
とたんに彼は困ったような、それでいて嬉しそうな顔をする。
まったく、泣きそうなのはどっちだ。