さく、さく
足の裏から心地のいい草むらを踏む音が鳴る。
頬を撫でる夜の冷たい風が木々をも揺らし、ふいに静寂が訪れる。
すると
頭上に広がる紺の空に
眩いほどの光を放つ花が咲いて、
きらりと心がときめいた音と
どどん、と大きな花びらの音が
同時に脳天をつきぬけた。
そう、それはまるで
「おいクラトス見ろよ!すっげえ、花火だぜ!花火!」
「そうだな」
遠くで人々の笑い声や笛の音が聞こえるこの場所には、ロイドとクラトス以外誰もいない。
右手に水風船、左手に綿あめ、そして役目を果たしていないお面を首にぶらさげたロイドは無邪気に笑いながら空を見上げていた。後頭部にお面の正面がきているため、うしろからその様子を見ていたクラトスはその滑稽さにこっそり吹出す。
「俺、花火なんて初めて見たよ。本当、ミズホって面白いことやるんだな!」
「ミズホは独自の文化があるからな。祭も花火も浴衣も、ここだけのものだ」
さんざんロイドの出店まわりにつきあわされたクラトスは少々くたびれた様子で、浴衣の襟元をゆるめながら言った。
ひとしきりはしゃいだロイドはふと振り返り、そして無邪気にクラトスに笑いかける。
「クラトス、今日はさんきゅな。あんた人込みの中で、何度か俺の手ひいてくれてただろ」
「……………お前がすぐどこかにいくからだ」
拗ねたようにロイドを見つめる彼を、少年はけらけら笑いながら彼の方へと歩みよる。
今日の祭りはたしかに人が多かった。
最初こそはぐれないようにクラトスの浴衣の裾を掴んでいたロイドだが、視界に映る出店は今まで自分が見たことのないものばかりで、ついつい体がそちらへ向いてしまう。しかし、ふと指が浴衣から離れてしまっても、その手をクラトスは前を向きながら後ろ手で掴みなおしていた。
『勝手によそへ行くな』
そう飽きれ顔でいい、手を繋ぐ……というより指を微妙に絡めると、ロイドがとっさに赤くなり黙ってしまう。人に見られているからではない。普段は天真爛漫なロイドだが、同時に普段はおとなしいクラトスが何か少年にアクションをおこすと、咄嗟に何も喋れなくなるのだ。
目の前を歩くその背中は相変わらず大きい。
ただその背中は「仲間」のクラトスというよりも…
「何か今日のクラトス、クラトスじゃなかった」
「は?」
「クラトスっていうか…」
彼の隣りに並んだロイドは少しだけ俯いて、照れたように可愛らしく笑った。
そうあの背中から伝わってきた、独特の優しさと強さは、
「父さん、だった。」
言い終えた直後、
どん、と花火が上がる。
ロイドが見上げれば目を瞑ってしまいそうなほどの光と、クラトスの驚いた顔が重なってロイドはもう一度俯いた。
しばらく花火が連発している間、二人の空気に静寂が訪れる。
次の花火が上がろうとした瞬間、柔らかな感触がロイドの唇を覆って彼は目を見開いた。
端整な顔立ちと、長いまつげが間近にあるのだから、何をされているのかはわかる。
頬に優しく触れるクラトスが、微かにロイドの顎を上げたので彼も静かに瞳を閉じてクラトスの腰辺りの浴衣すそをきゅ、と掴んだ。
「…………っ…」
唇を離せば、ぷは、と微かにロイドが息をもらす。間近でロイドの瞳をのぞき込んで、クラトスは優しく囁いた。
「ロイド、私は、」
どん、 どどん
花火の音にかき消された言葉は、ロイドの耳にはちゃんと届いた。
「な、………!?」
「すまない、それだけ言いたかった」
「何で…………何でそんなこと……言う……んだよっ……」
「それは………」
クラトスは空を見上げ、遠くを見つめた。彼の瞳が何をうつしているのか、ロイドは知らない。花火かもしれないし、星空かもしれない。あるいは案外どこも見ていなくて、愛しい――――きっとロイドが一生勝てないあの女性を想っているのかもしれない。
クラトスがもう一度ロイドを見つめた。
彼は確かに、ロイドだけを見ていた。
「私がお前の父親だからだ」
「………なんだそれ」
泣き出しそうになるのこらえ、無理矢理笑顔をつくったロイドをクラトスは優しく、そして寂しげなまなざしを注ぎながら、癖のある髪を撫でた。
夏が終わるころにクラトスは、もうロイドの隣りにはいない。
空から花火が消えるころ
天は彼を連れ去ってしまうから。
「うん………」
一体少年は何を受け止め、
何を肯定して頷いたのだろう。
ただ彼を見つめる父の瞳は、どこまでも愛しげだった。
――どどん、と上がりつづける花火もいつかは、夏の終わりを告げる。
思い出と、長い長い夢の終わりを――――
『ロイド、私はお前を忘れない。絶対に』
夏の夢
だからこそ花火は
こんなにも美しい