「…………う、わ」
窓から朝日が差し込む中、リビングにやってきた私はその光景を見て目をまるくした。
二人用の赤いソファ。
私がいつも居眠りしてしまう窓際のヤツとは違うデザインのそれは、テーブルを挟んで対の白いソファと並んでいる。テーブルにはすっかり冷めて湯気が出ていないコーヒーが寂しくぽつんと置いてあった。
「………………」
クラトス・アウリオン。
起こさないように息を潜めて彼に近付く。赤いソファに横たわっている彼の胸は穏やかに上下していた。ずっとみたいと思っていたその寝顔はブックカバー付きの本によって完全に隠されている。読者中に居眠りでもしたのだろうか?…本の端から見える鷲色の髪に何故か心臓が跳ね上がった。
「クラトス?………寝てるの?」
小声でそっと問い掛けるが返事はない。
私は彼の枕元に立ち、じっと彼を見下ろした。静かに寝息を立てている彼は、顔が隠されてあの切れ長の瞳が見えないせいかいつもより可愛く見えた。あのクラトスが「可愛い」と思えるなら私は相当末期かもしれない。恋は盲目とは、このことだ。
(ちょっとくらいなら………いいか)
悪戯心と好奇心が私の心を浮かせ、ドキドキしながら私は彼の顔に乗っている本に触れた。震える指を必死に抑えて息を止める。ゆっくりと本の縁にそって撫でた人差し指を止めて、慎重に両手で本を持ち上げた。
温い朝の日の光に照らされた彼の頬に、長い睫毛の影が落ちる。思わず女性が一目で恋におちてしまいそうなその容姿は、今この瞬間私だけのもの。今、この寝顔を見ることができるのは世界でただ一人私だけ。
あまりの美しさに息を飲めば、体温が一気に30度くらい上がった。同時に心拍数もあがり、急に息がままらなくなる。
「綺麗、…………」
泣きそうになるほど、彼は『天使』だった。
静かに本を床に丁寧に置いて、私は彼をもう一度見つめる。静かに寝息をたてる彼は無防備で、子供のように幼くて、「ああ人間なんだな」と感じた。
思わず手が伸びて、彼の髪の毛を指先でなぞる。日の光で温くなった彼の髪は触り心地がよくて、私は目を細めた。今ここに彼がいてくれることが幸せで体が震える。ドキドキしながら必死に息を詰まらせていれば、不意に視界に彼の唇が映って慌てて顔を伏せた。
こんなに愛しいのに
好きなのに
大好きなのに
言葉には、まだできそうもない。
「ごめんね」
寝ている相手に言うのは卑怯だとわかっている。だけど言わずにはいれなかった。こんなに惨めで駄目な私を好きになってくれた彼へ。
私は貴方が好きです。
ずっと隣りにいてください。
そう、素直に言えたらどんなに楽だろう。
「ごめんね…………」
しぼんでしまった声で二度目の謝罪を呟く。だって本当に好きなんだもの。こんなに自分の中で素直に好きと認めれる相手は彼が初めてだった。だから何をすれば伝わるのかわからない。どうすれば彼に、あの告白の返事ができるのか―――
「…………何に対して謝っている」
「っ…………!?」
低い声が頭上からして私が顔をあげれば、優しい鷲色の瞳がこちらを見ていた。
「ク…………ラトス……」
「おはよう、アンナ」
朝の太陽に照らされた彼の微笑は、今まで見た笑顔の中で一番優しく、瞳はまるで愛しいものを見るかのように細められていた。その視線に胸の奥が甘くくすぐられて、緩く笑った彼から目を逸らす。照れ、でもあるがどちらかといえば意地から。拗ねた目で私は彼を見上げ小声でぼそりと呟いた。
「……………途中から起きてたわね」
「私は寝ているとは一言も言ってないからな」
何か矛盾したその発言に私は溜息をつく。いつも通りのズれた彼に何だか安心もした。お願いだ、誰か束の間の恋する乙女タイムをかえしてくれ………
「ね、ねえ」
「ん?」
「なによ、この手は…」
私がじとりと睨んだのは、いつのまにか彼につかまれていた自分の右手首。そんなに強くはないけれど、確かにしっかりと昨日の脱走と同じように彼の手の平が手首に触れていた。