『P.S その家に小物や写真があるが、お前の好きにしてくれて構わない。持ち出すのも、そのままにしておくのもお前の判断に任せる』
はっとロイドは顔をあげる。
「―――写真だっ!!!」
勢いよくソファから立ち上がり、棚の方へと早歩きで向かう。家族3人で撮った写真は小さな額縁に入っていたが、それは素通りした。単純すぎる。おそらくクラトスは、ロイドがまず動かそうとしないものに、何かを残している。彼の性格からそれくらいのことはお見通しだった。
そしてひとつの大きな写真の前でぴたりと足を止めた。
映っているのは一人の女性。クセのある短い髪と膝まである長いスカートを風に揺らし、こちらに笑いかけている。写真ごしに目があった彼女は作り笑いでもなく、ただごく自然体に笑っていた。笑顔の似合う、可愛らしい人だった。
「母さん……………?」
その最期――命尽きるまで彼を愛したひと。そして彼が愛したひと。
4000年の月日で廃れた彼を、力強く光へ導いたその瞳は今でもロイドを釘付けにした。
(ごめんな、母さん)
ロイドは目を伏せてそっと呟いた。
「アンタの大事なものを独り占めしている自覚はある。「生きてる」ことを特権に、アンタが惚れた人を奪っている罪の意識もある。
だけどごめん。
俺、アンタに似ちゃったからさ。
同じ人を、好きになっちまったんだ」
お願いだ、紡いでくれ。
アンタが恋した男の心を、ここに繋いでくれ―――!!!
息を止めてロイドは写真立ての裏から、
写真を引き抜いた。
「あ……!」
やっぱり。
彼は最後まで「父親」だったのだ。
まるでアンナの――愛を誓った女性の写真に隠れるように、小さく折り畳まれた便箋が裏に入っていた。申し訳なさそうに、肩身をせまくしながら。
今度は躊躇などいらない。ロイドは大急ぎで便箋を開いた。
――――ロイドへ
もしこれを見つけてしまったのなら、本当にお前は立派になったのだな。よくここまで辿りついたものだ。
時計は私が止めた。
手紙に書いたことは嘘だ。私は一度ここに来ている。それを正直に書かなかったのは、もちろんこの手紙を隠したことに気付かないほうが、お前のためだからだ。お前の性格からして、写真など持ち出さないだろうから完全に隠せると思った。……ただ心の端で「見つけてほしい」という自分には勝てず、思わず余計な追記を足してしまったがな。そのせいでお前は不運にもこれを見つけてしまった。
これを書いた理由がわかるか?
今から私は、親としてはとんでもなく我儘なことを言う。少しでも気分を害したりしたら、燃やしてしまってかまわない。
お前にずっと言いそびれていたことがあるのだ。それは親ではなく一人の人間として。禁忌をおかしてしまったあの日のことだ。
あれから私は、怖くて心を閉ざしてしまった。
お前は不安だっただろうな。急に私が生返事しかしなくなったのだから。別に私はお前がどうでもよくなったわけではない。むしろ大切だった。どうしようもないくらいに。
言葉にしてしまうことが怖かっただけなのだ。
わかってほしい。お前と会話するたびに禁忌の想いを自覚してしまうから、思わず目を逸らしていた。
本当に、すまなかった。
「ク、ラトス………」
カタカタと震えるロイドの指。膝が笑いはじめ、彼は勢いよくその場に崩れおちた。膝を床につき、ただ呆然と彼の想いを綴った文字を眺める。
『な、なあクラトス、今のキスって……っ!』
『何もなかった』
『え?』
『私達は普通に会話をしていた……それだけだ』
なかったことにしよう。
無言でかかるプレッシャーにロイドは押されてあの日は思わず「うん」と呟いた。
次の日からもクラトスとロイドは二人で普通に会話を交わした。何もなかったかのように。だけど。
向かいあって話をしているのに
背中合わせになっている感覚を覚えた。
目を合わしているのに
彼の瞳の行方がわからなくなった。
心が見えない。
そう感じ始めたころから会話も減り、目を合わせる回数も減った。「父さん」とも呼ばなくなった。それは嫌いだったからではなく、むしろ…
「あ、………ああ、っ」
小さく漏れ始める嗚咽。長年の戒めだった実父の拒絶が今解かれて――瞳から涙が溢れ出た。我慢していた涙が、解放されたように。
父さんなんて、呼べなかったのだ。
「クラトスッ……クラトス、クラトス……っ………!!」
ただ彼の名を呼び、子供のように泣きじゃくる。クラトスがデリス・カーラーンへ飛び立ったその日の夜以来、ロイドは涙を失っていた。否、泣くことを封印していた。どんなに寂しくても、どんなに辛くても。
「………っ……?」
ふと背中に温かな感触を感じてそろそろと瞳をあければ、辺りが蒼く輝いていた。残酷なほど美しくそして優しい彼の蒼色。母の命であるエクスフィアがゆらゆらと燃えるように光り、まるでロイドを慰めるかのように天使の羽が彼の体を包んでいた。
「あ…………」
世界統合の日、天使化したロイドはまだその行為に慣れていない。今でも激しい感情の変化があると、勢いで羽が勝手に出てしまうのだ。あまりにも泣いているから、出たのだろうか。それとも泣きじゃくるロイドに呆れた母が、意図的に出したのだろうか。
この22年間、ずっと共に生きてきた左手の命にロイドはすがるように呟く。
「……どうして………アンタはそんなに優しいんだ……………」
返事は当たり前だがない。ただそのエクスフィアはロイドを見守るように優しく輝いていた。
背中から生える自分の羽に守られている感覚すら覚える。温かな蒼色はただロイドを包みこみ、次第にロイドの精神を落ち着かせていった。
「大丈夫………大丈夫だ母さん。取り乱すなんて………やっぱ子供だな俺も」
ふ、と笑った拍子に瞳から雫が零れる。ポタリと便箋の上に落ちた様子をぼんやりと見つめていたが、手紙には2枚目があったことを思いだし、慌てて1枚目の便箋をどけた。
許してほしい、など傲慢なことは言わない。ただもしお前が、「禁忌」に少しでも後悔の念を感じていないのなら。
何の情けでもなく、心から私の気持ちを受け止めてくれるなら、
私を待っていてくれないだろうか。
その年月はあまりにも長く、そして孤独だ。4000年と生きた私にとっても辛く堪えがたい。
もちろん親としての私は、お前に人間として生きて普通の一生をおくってほしいと願っている。だから、なるべくお前には見つからないようこの手紙を隠した。
相当低い確率で
お前はこれを読んでいるだろう。
私自身の個人的な感情を見つけてしまったお前に、判断をまかせる。
あの日言えなかった言葉をちゃんとお前に口で伝えたい。聞きたいと思うのであれば、待っていてくれ。
本当にすまない。
でも、ありがとう。
100年たっても
お前を愛している。
――――クラトス・アウリオン
「ひっでえ父親…………」
なあ?とロイドは目を細めながらアンナの写真へ微笑みかけた。そこには先程と変わらない彼女の笑顔があるのみ。だけどきっと今、微笑んでいてくれている。
そっと息を吸い込み、ふうと深呼吸をした。大丈夫。もうあの頃みたいな子供ではない。泣きじゃくってばかりだった5年前の夜とは――違うのだ。
そう考えていれば彼の蒼い羽はまるで役目を終えたかのように静かに消えた。ゆらめいていたエクスフィアも、もとのようにただロイドを見つめている。いい子ね、と彼女が囁いた気がした。