いつから自分の顔を隠すようになったのか。

物理的な意味ではない。
精神的な問題で。









外は風が吹き荒れ、窓をカタカタと揺らす。その音を頭の端で聞きながら私は呆然と、ただ呆然と目の前の「それ」を見つめた。むせ返るような鉄の匂いと、当たりをうめ尽くす真っ赤な液体。それはまさにまだ酸化などしていない鮮やかなもので、残酷すぎるほど美しく輝いていた。



「お、…………」









続きの言葉は自分でも聞こえないほど小さくなる。喉がつっかえて出るはずもなく、中途半端に口がひくつく。結果、ひいひいと息の音だけが私の口から溢れ、痛む喉が悲鳴をあげた。頭がぐらぐらする。ここは上?それとも下?


「お……………」


もう一度挑戦してみたけれど、やはり続きの言葉は出てこなかった。いや、出したくなかった。認めたくない。目の前の現実と惨劇を。

「それ」のドレスにじわじわと血が広がり、白かった布が不気味に赤へと変色していく。その様子を見た私は、「それ」に歩みより驚愕の表情を向けた。膝がカタカタと揺れているのがわかる。たらり、と額からおちた冷や汗が足元に落ちるが、木造建築の床はすでに赤く濡れているのでシミ何てでるはずもなかった。



「アン、ナ、………」


「それ」がこちらを見て呟いたので私は「それ」と目があった。瞬間、美しく、悲しく笑った「それ」に私は目を見開き口がわなわなと震え出す。あ、ああ………と悲鳴にも似た声が溢れ涙より先に嗚咽がでた。笑っていた膝は限界値をこえカクンといとも簡単に床へと吸い寄せられる。私のワンピースも赤く汚れてしまったが気にしない。まだ(血とは別の意味で)赤い頬に触れ、確かに生きている命にまた苦しい思いが溢れた。どんなに死にそうでも、致命傷でもまだ「それ」は生きている。胸に刺さったナイフは随分と奥深くまで貫通し、痛いはずなのに「それ」は泣いてすらなかった。むしろ笑っていた。


「それ」は私の耳元で囁く。これが罪だと。きっとあんまりおイタがすぎるからマーテル様の罰があたったのだわ、と「それ」は苦笑いをした。こんな汚れた自分のことなど忘れて幸せになりなさい、ともいった。




にこりと笑ったあと、力が抜けパタンと倒れたその腕を私は握りなおし呟く。







ねえ。
どうしてなの、お母さん。




++++++


機械音がやむことがないこの場所は静寂さえ私に許してくれない。伏せていた瞳をあけて、人工的な光に一瞬顔をしかめながら私は顔をあげた。どうやら居眠りしてしまったらしい。


「……………」


牢屋の外の電灯を見つめる。太陽の光が全く届かないここにとって、明るさを保つのに必要不可欠なそれはあまりにも普通に光っていた。あえて形容詞で例えるのならば、淡々と。


それにしても小さいころからこの人間牧場にいて何とも思わなかったはずなのに、一度外へ出てしまえば見方が変わったものだ。過去の私は電球なんて注意深く見たことがあっただろうか?機械音なんてさらにどうでもよかった。否、こんなにやかましいものだと気付かなかった。あの頃は聞き慣れてしまっていたから。

しかし、私はたしかに昨日まで風の音を聞き、鳥の音を聞き、そして

彼の声を聞いた。


数ヶ月の間だったけれど私は確かに外の世界に存在して、彼の家に居候として過ごして久し振りに「自然」を体感した。だからこそ、何か月ぶりにこんな牢屋にほうりこまれれば僅かな不自由でさえ疎ましく思い、瞳の色が見えないディザイアンに嫌悪さえ覚える。こいつらとユアンを一緒にしてはいけない。同じハーフエルフでも、絶対に。


『アンナ』


優しい声音で囁く彼を思い出し、私は静かに瞳を伏せる。父に似ているけれど、たしかに私の中で違う存在だったあの人の背中。優しい声、深い瞳。抱き締められたときの熱い腕。何もかも怖いくらいに覚えている。これはもはや本能だとか、遺伝子レベルで。思いだすたびふるり、と(色欲とはまた別の意味で)踵が反応してしまうのだ。




後悔はしていない。
彼の微笑みから顔を背けたのは私。
彼の優しい声に耳をふさいだのも私。





理由は単純に巻き込みたくなかったからだ。私はどれだけ逃げたところで所詮は死ぬ運命だし、この世に未練は残したくなかった。同時にあんなに素敵な人を私なんかが独占してはいけない、とも思った。ほうっておいたら幸せを掴める人に疫病神はいらない―――そう結論を出した。


…………
疫病神、か。



何だか自嘲気味に笑ってしまう。もし、私が普通の女の子だったら彼と正面から向き合えたかもしれないけれど―――私は既に汚れている。笑顔も全部、醜く歪んでしまった。小さい頃の私は素直に嬉しいものは嬉しいと言えたし、楽しい時は心から笑っていた。お父さん、お母さん、大好き。そう何回も言っていた。


ではいつから、
こんなひねくれ者になってしまったのか。



「………お母さん」


ふ、と久し振りに彼女の名前を呼んでみる。無機質な部屋で軽く響いたその音は、何の感情もなくすぐに壁や天井が吸収してしまう。


返事をする人は、もうこの世には存在しない。
父とはまた、別の件で。





(浮気なんてするからいけないのよ…………)



はあ、と溜息をつくけれど顔は笑ったまま。だって私は母を恨んでいるわけではないから。彼女が別の男と付き合っていたことは、知っていた。知っていて許していた。だって本当に幸せそうだったから。彼を私に紹介してくれたりしたが誠実そうな人だった。


だけどいつしか母も罪の意識にさいなまれ、男と………別れることを選んだと言う。ただその男が見た感じより面倒だった。私がソファーで本を読んでいる前で二人が口論を始めた。男の声が徐々に大きくなる。母の方を掴んで怒鳴りはじめる。「どうして」と何回も言いはじめる。そろそろ止めるべきか、と私がソファから腰をあげた時



ナイフが彼の懐から出てきて、



「…………」


私は思わず口元を押さえた。今でも覚えている、その血なまぐさい情景。幸いなことに夢にはあまり出てこなかったが、その分はっきりと覚えている。あれは14歳のときの出来事だから。


父が精神的におかしくなって私を「母」と重ねてみるようになったのがその時。その後の結末は言うまでもない。私が汚れてしまった原因でもあるわけだし。罪の後は、私を置いて自殺してしまった。



みんな、愛情に振り回されていた。



恋をして、愛をして、みんな死んでしまった。



(たぶんそのあたりよね)


15歳から17歳の間、一人暮らしをし始めて、もう愛想笑いしかできなくなった私にディザイアンがきた。身元がいない私は簡単に連れ去ることができた。悲しみや怒りが人より多いせいでエクスフィアが異常な反応を見せて――――特別媒体者となった。


そんな感じだったっけ。


一人になって暇になるとやっぱり考えごとばかりしてしまう。こうやって今自分の人生を振り返ってみると見事に大事件ばかり。波瀾万丈とはこのことを言うのだろうか。






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