本編後 クラトスのぼやき
その小さな手の夢を幾度となくみた。
紅葉のような赤くて愛らしい5本の指を一生懸命私に伸ばして、その子は私ににっこりと笑ってみせる。したったらずな声で私を呼び、抱き上げることをねだる彼を私はいつも弱々しく抱き締めていた。否、弱々しくしか抱き締めることができなかったのだ。天使―――と言えば聞こえはいいが、人間とはかけ離れた、いわば化け物に値するような物体と化した私の手は、力加減を知らない。私の手は、生き物の儚さを知らない。その手で幾度となく命を奪い、血の色で染めた…この手は。
それに比べてこの子の両手は何て温かいのだろう。はしゃぐ彼の両腕が私の首に回るたび、また悪戯に私の膝の上にその子が飛び乗ってくるたびに、私はその命の温かさに気付いてしまう。同時に自分は彼のように温かい存在でないことを、嫌でも自覚してしまうのだ。
きらきらと光る両目で私を見上げて、おとうさん、と私を呼んでいたその子と過ごした日々はあまりにも少ない。そしてきっともうその子には息を吹き掛ければどこかへ飛び去ってしまうほどの記憶しかないだろう。目を閉じれば昨日のように思い出せる儚い幸せな日々は、彼に何かを与えれただろうか。そして私はあの子に何かを与えれただろうか。
………………。
いや、違う。
私はあの子からいつも何かを貰ってばかりだった。
きっと親として、してあげれたことなど片手で数えるほどしかないのに。それでも彼は最後に私を「父さん」と呼んだのだ。私をデリス・カーラーンへ連れていくとき、彼の瞳に一瞬の躊躇が見えた。なぜかその時、彼はすがるような目を私に向けたのだ。泣きそうな顔をして、剣を天に振り上げた。
「さよなら」
きっと互いに伝えたいことは山ほどあったのに、何一つとして言葉にできなかった。 最後に零れ落ちた言葉は、そっけない、ある意味としては重い一言だった。
それでも。
私は小さな手の夢を何度も見るのだ。無機質なベッドの上で瞳をあけるまで、甘い夢は私を侵し続けるから厄介なのである。
もう戻ることはない、眩しくて淡い記憶の中にちらばる幸せな日々―――
その中の私がはたして彼に、溢れんばかりの愛情を注げていたのかどうかはわからない。ただ。
私はたしかにその子を愛していた。
言葉では言い表わせれないほど、
愛していた。
それどころか、今でも――――
『知ってる?クラトス。温かいって温度じゃないのよ。相手が大好きって度合いなのよ』
だから私の手はすごい温かいのだ、と妻は笑いながら言っていた。ロイドの体が温かくてしょうがなかったのはそのせいだったのかもしれない。そう思うと自然と口元が綻んだ。もう今生では会うことはない息子は、今何をしているのだろう。彼もまた、誰かの体温を感じているだろうか。誰かの手を温かいと思っているだろうか。
もうあの小さな手が私に伸びることはない。
夢に小さな彼が出てくるのは未練故にではなく、
単に彼が大好きなだけなのだと、あの頃の妻が時を越えて私に囁いてくれた気がした。
2011/11/05 17:04
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