告白使(恋敵8)

保管庫(SB)


『告白使』 (ユダ+ゴウ)→ルカ〜恋敵シリーズ7

天界に住む天使は、皆が皆男性の形で生まれてくる。だから住人のほとんどを天使が占めている天界では、女性は極端に少なかった。
しかし少ないとは言っても、女性がいないわけでは決してない。天界に住まう神々の中には女性もいる。逆を返せば天界にいる女性は女神だけとなる。
数少ない女性はどうしても目立ってしまうため、天使の中で女神全員の顔を知らない者はいなかった。…そう、皆が皆、天界にいる女性の顔を把握していると思っていた。
だからこの日、多くの天使はとても驚いたのだ。聖霊祭というめでたい日に突然現れた、銀髪の美女に。


聖霊祭が始まった。天使達は騒ぎ、歌い、踊り、笑い、楽しそうにそれぞれで祭りを盛り上げている。
そんな中、ユダとゴウは肩を並べて微妙に硬い表情を浮かべていた。周囲にさり気なく視線を彷徨わせているその様子は、まるで誰かを探しているようでもある。
「…なあ、ユダ」
ぽつり、とゴウがユダを呼んだ。ユダは「なんだ」と簡潔に返事を返す。
「何故俺達は今一緒にいるんだろうな」
「さあ」
「…何故、二人でいるんだろうな」
「…さあ」
「……ルカはどこだろう」
「……さあ」
二人はここで一緒に溜息をついた。
事の起こりは今朝、六聖獣揃っての朝食時だ。…いや、訂正を加えればルカを除いた五人揃っての朝食時だ。
毎朝、六聖獣は皆で一緒に朝食を食べる。しかし今日に限ってルカの席は空いたままで、しかもそれにもかかわらず朝食の準備が着々と進められていた。
ルカがいないことに真っ先に反応したのは、勿論ユダとゴウだ。今日はルカと二人で一緒に聖霊祭を回ろうと思っていたため、ライバルに先を越されまいと意気込んでいたらしい。
しかしそんな二人には悲しい現実が待っていた。
「ルカならもう先に出てしまいましたよ」
あっさりそう告げたのは、おたまを持った恰好のままのレイだ。
何故!?と詰め寄る二人に彼は意味深な表情でふふっと笑いを零す。
「準備があるんですよ。今日の為の、ね」
どうせ向こうで会えるじゃないですか、と今朝の食事が乗ったお皿が二人に押し付けられる。美味しそうなそれらに、ユダとゴウが感じたのは空しさだけだったが。
そんなわけで、成り行きとお互いの監視の為、ユダとゴウは共に聖霊祭を回り、ルカの姿を探しているのだ。…が、ルカの姿は一向に見つからない。
あまりの切なさに二人は足を止めると、なんとなく空を仰いでみた。あの美しい翼を広げ、空を駆けているルカの姿が見られたら、との淡い期待があったのかもしれない。勿論、そこにはルカの影も形もなかったが。
眩しい青空にすっかり心を飛ばしていた二人は、徐々に近づいてくる騒ぎに全く気付かなかった。二人が現実に立ち戻ったのは、不意に背中に軽い衝撃、丁度誰かがぶつかったかのような衝撃を受けたからである。
振り返れば、鼻を押さえている天使が一人いた。
「す、すまない。ちょっと急いでいて…」
慌てて謝る相手に、ユダもゴウも表情を緩めた。ぶつかられたとはいえ、謝られたら悪い気はしない。すぐに「いや、気にするな」「俺達も悪かったな」と言うつもりで口を開いた二人だが、ふと目を見開くと素早い動きで目の前にいる天使の腕を捕らえる。
それぞれに片腕を捕まれ、驚きで顔を上げた相手は、ユダとゴウの姿を確認して「げ」と唸った。
「ルカ!」
思わず声を荒げる二人に、目の前の天使、ルカは顔を顰める。
「二人とも、五月蝿い…」
「お前、一体何をしているんだ?しかもその恰好…」
改めてルカの姿を見て、問いかけを口にしたユダは勿論、ゴウも唖然とする。
ルカはいつもの服ではなく、美しいドレスを身に纏っていた。上から下までのびる藍色の生地は、首元から腕から全てを覆って、ルカの肌という肌を全て隠している。ただし唯一例外の足下には大きな切れ目が入れられており、白い足がそこから見え隠れしていた。銀色の長い髪も上で括られており、普段目にする事ない項が晒されている。顔には派手すぎない化粧が施されていて、いっそうの華やかさを演出していた。
結論を言おう。どこからどう見ても、ルカは「女性」になっていた。
空いた口が塞がらない状態の二人に、ルカはどう説明したものかと悩む素振りを見せる。しかし背後から聞こえてきた喧噪にはっと後ろを振り返って、ルカは叫んだ。
「せ、説明は後だ!とりあえず逃げるぞ!」
そう叫んで駆け出すルカに、二人も続く。一瞬だけ振り返った先には、大勢の天使がこちらに向かって走っているのが見えた。


天界の端、下界に続く雲の切れ目の近くまで逃げてきた三人は、追いかけてきた大群を撒いた事を確認してから足を止めた。
体力には自信のある三人だが、長距離の全速力とルカの走りにくい服装のこともあり、流石に息が乱れている。それぞれあらぬ方向を見ながら大きく息をつけば、一番最初に呼吸を整えたのはユダだった。
「…で、ルカ。なんなんだ、その恰好は」
う、とルカが言葉に詰まる。出来れば言いたくない、とその態度が語っていたが、ゴウもルカに視線を注いでいた。どうやら避けられないらしい。
ルカはうろうろと視線を彷徨わせたが、諦めたのかうんざりとした表情を浮かべて、説明を始める。疲れたような溜息が吐き出された。
「…この前、レイの言っていたドレスショーの件が、何故かそこら中に広まっていて…」
ルカの説明はそこから始まった。
確かに先日、聖霊祭の話題で盛り上がっていた時に、ルカはレイにドレスショーへの出場を求められていた。レイはそのための衣装作りに張り切っていて、いつにない勢いでルカに懇願していたが、目立つことが嫌いな彼のこと。ルカはそれを断固拒否してなんとか出場を免れたはずだった。
しかし、その話がいつの間にか天界中に知れ渡っていたのである。ユダもゴウもその件に関して多くの天使に質問を受けたので(「ルカ殿がドレスショーに出場なさるとは本当ですか!」「きっとルカ殿なら優勝間違いなしですね!」「ドレスは何色ですか?」「髪飾りはどうするんですか!」「露出はどれくらいでしょう…!?」)、ルカの言葉に曖昧に笑ってみせる。
だが、それだけならルカは絶対にドレスを着るつもりはなかった。躱し続けられると思ったのである。
が。そこに思わぬ落とし穴があった。
「…ユリにも、その話が知れたらしくて」
更に低くなったその声に、二人は全てを察する。
つまり、ユリ直々にルカへなんらかの声かけがあったのだろう。「聖歌隊をあそこまでお断りになっていたのはドレスショーの為だったのですね、ルカ殿の美声は惜しい所でありますが、そんな事情があるのでしたら仕方ないでしょう。ルカ殿がドレスを着て華麗に踊るのを楽しみにしております」ぐらいは笑顔で言われたのかもしれない。
先日、サキとユリの喧嘩の原因となってしまった負い目もあって、ルカはとうとう逃げられなくなったらしい。結局ドレスは着るが、ドレスショーに出るのは勘弁してくれ、ということで話がまとまったようだった。
「…そしていざドレスを着て広場を歩いてみれば、物見高い天使達に追い回された、というわけか」
「…もう嫌だ」
ゴウがそう話をまとめれば、ルカはがっくり肩を落としたまま唸った。
確かに、ルカにしてみれば不本意この上ないのだろう。女性の恰好をさせられて、大勢の天使に追いかけられて。しかし、ユダもゴウも仕方ないことだろうな、と正直思った。なんといってもこのルカは美しすぎる。
素直なゴウは綺麗なルカを見られて上機嫌になったが、ユダは違った。頭の回転が速い彼は、このチャンスを活かすしかないと思った。
ユダが一歩、ルカの方へ足を踏み出す。
「そんな悲しい顔はするな。とても似合っているよ、ルカ」
エスコートするように手を取って、ユダはルカを立たせる。そのまま跪き手の甲にキスを落とせば、ゴウは硬直し、ルカは疲れた顔から一変して呆れたそれになり、軽い動きでユダから離れた。
「お前は悪のりしすぎる」
「失礼だな、悪のりだなんて。俺はルカが綺麗だからしているのに」
にこにこ悪びれない笑顔で、ユダはルカにまた手を伸ばす。今度はルカの肩に腕を回し、その体を引き寄せた。
「本当…とっても綺麗だよ、ルカ」
耳元で甘く、まさに恋人にするように低い囁きを落とす。ルカは軽く目を見開き、ふと一度笑ってみせた。そしてそれと同時に、がん、とユダの足めがけてヒールを落とす。足が潰される直前に、彼は無駄のない動きでルカから離れたが。
「これの、どこが、悪のりじゃないって?」
笑顔のまま、しかし明らかに声を低くして怒っている態度を見せるルカに、ユダは肩を竦めた。「本気なのだが」と言わんばかりの態度に、ゴウが二人の間に入り込む。
「いい加減にしないか、ユダっルカが困るだろう!」
ルカを背に隠して、ゴウが怒鳴った。その顔は赤い。眉根を寄せてユダを睨みつけるゴウに、ユダは彼が何を考えているのかなんてお見通しだ、とでも言うように鼻を鳴らした。
ルカはゴウの行動に少し驚いたようだったが、真面目な表情を浮かべてゴウに礼を述べる。
「…ゴウ、ありがとう。ユダの魔の手から守ってくれて」
「いや、これくらいお易い御用だ」
「こらこら、まるで俺が悪役のようじゃないか」
ユダが咄嗟に非難の声を上げたが、ゴウも負けじと言い返す。
「まさにその通りじゃないか。美しい姫を守るのが、俺の役目だ。ああ、そういえばルカ。言いそびれたが俺もその姿、とても綺麗だと思うぞ」
「…あまり素直に喜べないが…まあ、褒め言葉として受け取っておくよ」
「…ルカ、俺の時とあまりにも態度が違うんじゃないか?」
拗ねたようなユダの言葉に、三人は一瞬後一斉に噴き出した。楽しそうに三人で顔を見合わせ、笑い声を上げる。
「お前は、すぐ調子に乗るからな。たまには冷たくあしらっておとかないと」
「そうだな、ユダにはそんな所があるな」
「二人とも言いたい放題だな。今はゴウも、悪のりしたじゃないか」
くすくす笑い合って、軽口を叩く。和やかな雰囲気に三人が油断したその時。
ルカに突然何かがぶつかってきた。
履き慣れていないヒールと、思いがけない出来事にルカは咄嗟に対応できない。そのまま重力に従って倒れる彼に、複数の腕が伸びる。
「ルカ!」
一瞬後、地面に倒れ込む音がした。しかも一人分ではない、大きな音だ。
「…っ…ルカ」
「…大丈夫か?」
倒れたルカは、自分の下から声を聞いた。落ちた前髪を掻き揚げながら、はっと目を見張って、彼は困ったように頷く。
「…私は大丈夫だ。悪い、助かった」
自分の下敷きになっている二人、ユダとゴウにルカは素直に礼を述べる。二人はルカにのしかかられたまま微笑んだ。
「それにしても一体何が…」
誰ともなくそんな呟きが漏れたその時、甲高い子供の声が響いた。
「わーい!ルカさん久しぶりー!」
…しかも、ユダとゴウの上にいるルカの、更に上から。
その声に思わず振り返った三人は、ルカに乗ったまま笑っている子供の顔を見た。更にその後ろに立っている、黒い影。無邪気な大きい瞳とにやついた男の瞳に、それぞれの目が見開かれる。
そこには天界から去ったはずの兄弟、マヤとキラの姿があった。


「お前ら…どうして天界に?」
驚いた顔でユダがそう問いかければ、キラは心底楽しそうな顔で「里帰り」と答えた。にやにやと口元を歪めている彼の視線は、重なり合った天使達に注がれている。
「聖霊祭があるから、マヤが帰りたいと駄々をこねてな…渋々帰ってきてみたら、随分楽しそうなことになっているんだな」
キラの発言に、マヤの下の天使三人は無意識に背筋を凍らせた。ユダとゴウは思わず上にいるルカを、守るかのように抱きしめる。
しかしマヤは、何も気付いていない様子でにこにこと笑ったままルカにすりすりと擦り寄った。
「わールカさんいい匂いがするーすりすりー…」
「え、おい、ちょ、マヤ!おま、どこを触っている…!」
一体ルカのどこにすりすりしているんだマヤ…!ユダとゴウの心が一つになった。
慌てるルカに、満足そうに頬をすりつけるマヤに、怒りでだんだん表情を険しくするユダとゴウ。積み重なったままの異様なその光景に、傍から観察していたキラが動く。
彼は天使タワーになっていたそれの、一番上に乗っているマヤを摘まみ上げ、そして次にルカを抱き起こした。ルカは不安そうな顔でキラの顔を見つめ、キラはその表情にますます笑みを深める。
「ふーん…似合ってるじゃないか、ルカさん。いいね、そそられる」
じっくりとルカを見つめながら漏らされた不穏なその声に、ユダ、ゴウ、ルカは表情を強張らせた。
歓迎できないその発言に、ルカは硬い表情のまま瞬きを繰り返す。そこにマヤも近寄って「あれー?ルカさん、その綺麗な格好はどうしたの?」と楽しそうに彼の周りをぐるぐる回った。
「露出が全くないように見えて、このスリット…いいね」
する、とさり気ない動きでキラの手がドレスのスリットに侵入する。微かに肩を震わせるルカに、キラは満足そうに笑みを深めた。マヤも楽しそうに、ルカにしがみつく。
まるで金縛りにあっていたかのように固まっていたユダとゴウが、その光景に身を乗り出した。いい加減にしろ!と二人がルカに手を伸ばすその一瞬前。
キラの頭におたまが見事に命中した。
「いた」
地味にいい音がするそれに驚いて、キラの拘束が緩む。その隙にルカは、ユダとゴウに腕を引かれて、キラから無事離れた。
キラはそんなルカを無理に追いかけるでもなく、足下に落ちているおたまを拾い上げる。彼の頭にぶつかったそれだ。マヤもキラに駆け寄り「キラ兄さん大丈夫?」と小さく首を傾げる。
持ち手が赤いおたまだった。皆の視線が一度そこに集中し、そして一斉におたまが飛んできた方向に視線が動く。
そこには、不自然な恰好で固まっているレイと、その後ろでなんともいえない笑みを浮かべているシン、そしてその隣で輝かんばかりの笑みを浮かべているガイがいた。
レイのその不自然な恰好、片腕前に出し、体を斜めにして立っているその格好、そう、言うなれば何かを投げた直後のようなその恰好に、皆が内心大きく頷く。
…ああ、どこかで見た事あるおたまだと思ったら、レイの物だったか。
キラの手にあるおたまの所有者が分かった瞬間だった。


何故か怒りで肩を揺らしているレイにキラは連行され、マヤはガイと共に広場まで駆けて行った。シンは皆の事はお任せください、と笑顔で四人の後をついて行く。…ユダ達の居場所が分かったのはシンの手柄だと言っていたが、一体どんな方法で突き止めたのか、結局残された三人は聞きそびれてしまった。
なんとなく五人を見送る形となった三人は、皆の姿が見えなくなった後、何とも言えず苦笑を見せ合った。まるで嵐が去った後のような気分だ。
そこに、おお!と明るい声が聞こえてくる。振り返れば、大きく手を振っているサキと、その後ろで微笑んでいるユリの姿があった。
…千客万来だな。
「やーと見つけたぜ!…ん?三人とも、そんな顔してどうしたんだ?」
満面の笑みで駆け寄ってくるサキは、三人の間に流れていた微妙な空気に首を傾げる。いや…とゴウが呟き、そのまま彼に話題をふった。
「よくここが分かったな」
「おう!さっき途中でシンに会ってなー教えてもらったんだ」
…今シン達が行ってしまった方向と、サキが来た方向は真逆なんだが。そう突っ込んだら、は?とサキが間抜けな顔をする。
「今ってなんだよ。俺がシンに会ったの、結構前の話だぜ?なんかレイとガイを探してるっつってたけど」
なんだそれ。
「えー本当だぜ。『皆を見つけたら私も行くので、どうぞお先に行って下さい』って言ってたんだよ。俺もユリ探してたから、遅くなったけど」
…つまりシンは、レイやガイと合流する前から、ユダ達の居場所を知っていたというのだろうか。ますますどうやって知ったのか謎だ。
より深まる変な空気に、ユリは困ったように瞬きを繰り返していたが、ルカと目が合った瞬間にこりと綺麗に微笑んだ。
「ルカ殿、とてもお綺麗ですね。素晴らしいです」
唐突な賛美に一瞬言葉を詰まらせるルカだが、すぐに苦笑を浮かべてありがとう、と礼を述べる。サキもユリに続いた。
「おー本当、本当。まじで女にしか見えねえよ。さっきも皆騒いでたぜ?『あんな女性、天界にいたかー!?』ってさ」
「…あまり嬉しくないな」
「いいじゃん。確かに綺麗だもんなー騒がれんの無理ねえよ。うん、すっげー美人だ!さっすがルカだな!」
…ユダとゴウははらはらとサキとルカのやり取りを見守った。と、いうのはサキの背後で、ユリの表情がどんどん険しくなっていたからだ。
しかしそんなこと気付くはずもないサキはここで爆弾発言を落とす。
「こーんな綺麗なやつがそこら歩いてたら、さすがの俺でも惚れても仕方ねえよなー」
一瞬、空気が凍った気がした。ユダとゴウは呆れたように額を押さえ、ルカはしまった、と初めて事の重大さに気付いたような顔をし、サキはそんな三人にいっそ無邪気な顔で首を傾げる。
「サキ」
場にそぐわない、穏やかなユリの声が異様に響く。サキは特に不審感もない様子で「なんだ?」と明るい顔で振り返った。
そしてサキの頬に、ユリの拳が飛ぶ。…ああ、デジャブ。ただし、あの時は平手だった。
不意を突かれての攻撃に、サキは言葉にならない呻きと共に向こうへ簡単に吹っ飛ぶ。ユリはそれを満足そうに見て、にっこりと笑みを深めた。
「しばらく、私に近付かないで下さいね」
ユリは綺麗に輝く笑顔を見せた。殴られて吹っ飛んだサキは慌てて起き上がり、赤くなった頬を押さえている。
「と、突然どうしたんだよユリ!何怒ってんだ!?」
「さあ、別に。とりあえず近付かないで下さい。それではユダ殿、ゴウ殿、そしてルカ殿、失礼します」
「え、ちょ、おい!」
事情が飲み込めないまま、それでもサキはユリを追いかけようとした。だがユリは間違いなく歩いているのにそのスピードは凄まじく、負傷しているとはいえサキが走っても追いつけるようにはとても見えない。
ルカは焦った。また、あの二人を喧嘩させてしまった。ユリの笑顔を考えれば前回程の大きなものにはならないと考えられるが、それでもルカは負い目を感じたのだ。
「二人とも、待ってく…」
咄嗟に二人を追いかけようとしたルカだったが、すぐにその場に蹲った。驚いたユダとゴウがルカに駆け寄る。
「どうしたんだ!」
ルカは苦痛に顔を歪めていた。そろそろと彼が出した足を見れば、履きなれない靴のせいか、踵が赤くなっている。丁寧に、しかし素早く靴を脱がせれば、所々が擦れて痛々しい事になっていた。
自分の足の状態を見てからのルカの判断は、早かった。ルカはすぐに目の前のユダの肩を掴むと、彼の瞳を覗き込んで、真剣な顔でこう告げたのだった。
「ユダ、頼む。あの二人を追いかけて、様子を見てきてくれ」
ユダとゴウの目が丸くなる。何か言いかけたユダだったが、ルカの顔を再度見て、諦めた。全てを察した顔でゴウに振り向く。
「ゴウ、ルカを頼む」
「ユダ」
「…その代わり、ルカ。足の痛みがよほど酷いようだったら、後で俺が癒すぞ。分かったな?」
ルカは黙って頷いた。ユダはそれを確認して、身を翻す。去って行くユダを見送って、ゴウはルカに手を差し出した。
「…ルカ、よかったのか。ユダに残ってもらわなくて」
差し出された手を取ってゆっくり立ち上がったルカは、ゴウの言葉に困ったような顔で微笑んだ。
「…前回、サキとユリが喧嘩した時、サキが落ち込んでいるのを間近で見ているからな。もうあんな暗い顔をしてほしくないんだ」
「…それなら、俺じゃなくてユダが残ってもいいだろう?何故ユダに行ってもらったんだ」
ルカは少し驚いたような顔をした。まるで当たり前のことを質問をされた、というような顔だ。そして次の瞬間、ふと真剣な瞳のままで、彼は笑った。
「ユダになら、任せられる」
見た事ない、ルカの笑みだ。まるで信頼し切った者に、送るような。気の許した者に、送るような。
ゴウの胸がつきりと痛んだ。


ユダは走りながら、考えた。
先程のルカの判断は素早かった。それはユダとゴウの役割分担を、彼が迷う事なく一瞬で決められたということだ。つまり、行く者と残る者を彼が即決したという事だ。
ルカは行く者にユダを選んだ。
ルカは残る者にゴウを選んだ。
ルカは、ユダがいなくなった後自分の側にいて、負傷している自分を庇護する者として、ゴウを選んだのだ。素早く、一瞬で、即決で。
ユダの唇に、歯が立てられる。
これが何を意味しているかなんて、そんなの。
考えたくないと思った。


風が吹く。それはルカの髪を弄んで、そのまま彼の後ろの方を歩いていたゴウの頬を撫でた。とりあえず手頃な岩にルカを座らせたゴウは、近くの泉で布を濡らして、ルカのもとに戻ってきた所だった。
「…俺には、ユダのような癒しの力はないからな。こんなことしかできないが…」
差し出された布を受け取り、ありがとう、とルカは微笑む。そのままスカートを気にしつつ足を上げて、布を赤くなっている所にそれを添えた。その時一瞬ルカの白い足が見えて、ゴウは思わず目を逸らす。その顔はうっすら赤くなっていた。
「あー…サキとユリ、うまくいっているといいな」
「ああ」
「…足、痛くないか?」
「そんな大した事はないさ」
遠くからは、華やかな演奏が聞こえてくる。聖霊祭は例年通り、きっと盛り上がっているのだろう。
「すまないな、ゴウ。せっかくの祭りなのに、面倒をかけて」
眉を落とした笑みを浮かべて、ルカは謝る。本当に申し訳なさそうなその様子に、ゴウは罪悪感を覚えてルカを直視できなくなった。ゴウは本当は、嬉しかったのだ。聖霊祭の日に、ルカを独占できて、とても嬉しかったのだ。祭りを楽しめなくても、全然よかったのだ。
ルカが傍にいてくれるなら。ルカの傍に、いられるなら。
「…ルカ」
ゴウの腕がルカに伸びる。そのまま包み込むように、彼は背後からルカを抱きしめた。
ルカは突然のゴウの行動に驚いたようだが、すぐにいつもの顔で笑った。「どうしたんだ?」といつもの穏やかな声が聞こえる。
ゴウはたまらないな、と思った。抱きしめても、彼は変わらない。いつもと同じ顔で、いつもと同じ声で、いつもと同じ態度を崩さない。
ゴウは思った。我慢の限界だ、と。その瞬間、頭の奥で何かが切れる音がした。
ルカの顎が、ゴウの手に捕らえられる。驚いた顔で振り返ったルカを確認して、ゴウは顔を彼に近付けた。
唇に柔らかな感触。ああ、懐かしいと思った。
でも今回は、前回と違う。事故ではなく、意識的な口付けなのだ。
「…ご、う?」
唇を離せば、ルカが酷く驚いた顔をしていた。先程まで変化のなかった瞳が、今は大きく不安で揺れていた。
ゴウはたまらないな、と思った。ルカが動揺を見せてくれて、とてもとても、嬉しく思った。
「…ルカが、好きだ」
ずっと胸に秘めていた想いが、するりと零れ落ちた。


ルカは、一人だった。ついさっきまで一緒にいたゴウも、今はいない。ゴウはルカに告白した後、黙ってその場を離れたからだ。
ルカは、一人だった。足の痛みも忘れて、彼は呆然と何もない目の前を眺めていた。
唇に、感触が残っていた。耳に、彼の声が残っていた。
恐る恐る自身の唇に触れれば、背後から草を踏み分ける音が聞こえる。つられて振り返れば、静かな表情のユダが、そこにいた。
「…ユダ」
「…サキとユリは、大丈夫そうだったよ」
ユダはそれだけを告げて、ルカの前に回る。布で冷やされた足を晒して、じっくりそこを観察した。
「…腫れが、引きそうにない。痛むか?」
「…少し」
素直に頷けば、ユダが体を倒す。腫れた部分にユダの唇が触れて、痛みが消えていくのをルカは感じた。
何度も何度も、足の赤くなっている所全てにキスを落として、ユダは離れた。すっかり元通りになった足を見て、ルカはありがとう、とユダに礼を述べる。
ユダは何も言わなかった。ただじっとルカを見ている。
「…ユダ?」
呼びかけて、ルカははっとなった。ユダがルカのどこを見ているのか、分かってしまった気がしたからだ。それはルカの唇だ。さっき、ゴウとキスした唇だった。
ルカの瞳が大きく揺れる。不安そうなそれに映る自分の姿に、ユダはとても優しい、それでいて凶暴な衝動を感じた。
「…ゴウに、先を越されてしまったな」
ふ、とユダの口から息が漏れる。溜息と言うにはあまりにも、静かで優しい吐息だ。ユダは自分の中で、穏やかな、そして乱暴な気持ちが大きく揺れているのを感じた。
そして彼はルカに正面から抱きついた。ルカの肩が、大きく震える。
「怯えないでくれ。…今だけは、俺の話を聞いてほしい」
ルカの耳元に、優しいユダの囁きが落とされる。ルカは困惑しているようだったが、それでもユダの腕の中で大人しくなった。
ユダは察した。ああ、胸が満たされるとはこういうことなのか、と。
息が詰まりそうなくらい、ユダは幸福を感じていた。ルカの体温に、温かな感情が込み上げる。
縋るように、ユダの額がルカの肩に押し付けられる。ユダはそして、口をゆっくりと開いた。
「…ルカが、好きだ。ずっとずっと昔から、お前しか見えていなかった」
そしてユダの影が、ルカの影に重なる。癒しなどとは関係ない、純粋な口付けがルカの唇に落とされる。
「…ユダ」
「好きだよ、ルカ」
ユダは察した。ああ、幸せとはこんな形をしているのだろう、と。
そして一つ静かな笑みを一つ残して、ユダもその場を去った。




ゴウは感情が高まると激しくなるけれど、ユダは感情が高まると逆に冷静になるような気がしました。告白使についてはまた日記でつらつら語りたいと思います(^^)

とうとう次が最終回!長かった!





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