ニオイ

保管庫


もしかして、と、疑惑が頭をもたげ始める。
そんなことで一々気にしててはいけない。
偶々、そう、偶々の方が確率は高い。
気にするな。
今の関係を失いたくないから。

頭じゃ理解していても、実際それを突き付けられると感情がついていかないなんて、どうしてだろう。
この島に来てから、揺れるはずもない頑なな理性が、ゆらゆら揺らいで今にも崩れていきそうで焦っている。

今日も俺は、一人の笑顔と一人の匂いに、なけなしの理性を振り子のように揺らされていた。

「トシさんみなさん、いらっしゃい」

いつものように昼飯を誘われて、心戦組ハウスのみんなを引き連れてパプワハウスにやってきた。

「いや〜いつもすみませんねぇ。これ、つまならいものですがうちのトシが作った羊羮です」
「やった!オレ、トシさんのヨウカン好きなんですよ!」
「ボクも好き!今日のオヤツはヨウカンに決定だね」
「お茶は玉露以外飲まないからな」
「はいはい、わかってますよ。さ、どうぞ座ってください」

いつものように穏やかな会話。
迎え入れてくれる穏やかな笑顔。
心がほわ、と暖かくなるのを感じる。
俺だけに言われたことじゃないけれど、素直に嬉しくて頬が緩む。
さっと手で口元を隠しながら、ドアをくぐり抜ける近藤さんとソージの後に俺も続き、ハウスの中へと入った。
瞬間。
(………この匂い…)

「そういえば、今日は獅子舞ハウスの皆さんは来ないのですかな?」
近藤さんが箸を進めながらリキッドに尋ねた。
「えぇ。今日はまだ来てないですね」
「そうですか。ならご飯を取っておいた方がよろしいのでは」
「いえ、大丈夫です。遅くに襲撃かけられてもいいようにちゃんと取ってありますから」
「ははぁ、感心ですな。上司のためにご飯を取り分けておくなんて。のうソージ」
「僕はメタボ中年を減量させてやろうとご飯を抜いてるんじゃないですか。逆にありがたがれよ」
「はぅ!胸を突き刺す辛辣な言葉!痺れる〜」
「あはは」
二人のやりとりに笑ってはいるが、俺は気付いてしまった。

リキッドが動揺したことを。俺しか気付いていないだろう。
しかし、気になるのはちび達が「来てない」ということを否定しないことだ。
本当に来てないのだろうか…。

「トシさん、これ食べてみてください。初めて作ったんですけどトシさんの口に合うと思って…」

いや、来ていようが来てまいが、俺には関係のないこと。
今は目の前の幸せを噛み締めよう。
大好きなリキッドが、俺のために作ったという料理。
不味いはずがない。

「ん、美味い。壬生でよく食べていたものに似てるな。すげぇ好みだ」
「えへへ…よかった」

見ているものが綻んでしまうような笑顔で、リキッドが俺に微笑みかける。
この笑顔を、ずっと見ていたい。


――――――


「近藤さん、夕飯は魚にしてください」
「え?この釣り竿は」
「さっきリキッドさんに借りてきたんです。いってらっしゃい」
「今昼飯を食べたばかりじゃないか」
「いいから行けよ。釣りざお無しで魚釣りたい?」
「行ってきます…」
「近藤さん、俺が行くよ」

キョトンとして俺を見たソージが、次にはニヤリと口端を上げて釣り竿とバケツを突きつけてきた。

「じゃあ、はい。寄り道は結構ですけど日暮れには戻ってくださいね」

軽く見透かされた感じがしたが敢えて気にせず、近藤さんの「すまないな〜トシ〜気を付けてな〜」という声を背中で聞いて海へと向かった。

ソージは時々恐ろしく勘がいい。
しばらく散歩でもして心に蟠った靄を晴らそうと思っていたのだ。

どうして、リキッドは嘘をついたのだろう。
それとも俺の単なる勘違いなのか。
もし、勘違いではなく俺の思った通りならば、ちび達の知らない間に二人でハウスに居たことになる。
二人で、誰にも気付かれず、あそこで…。

ピチャン、と魚が跳ねた音に我に返り、波紋を広げる水面に目を落とした。
出来れば考えたくない。
早く取り払ってしまいたい、靄。
こうして、ぼんやり竿を垂らして魚が掛かるのを気長に待っていれば、そのうち靄も晴れてくれると思っていた。
この眩しいほど晴れた青空のように。

それなのに、ここの神様は随分俺のことが嫌いらしい。
ふわ、と後ろ髪を揺らした風に、あの匂いがした。
ハウスで感じ取った匂い。
確認したくもなく、振り返らず通り過ぎるのを待ってみたが、一つの足音が確かにこちらへと近づいてくる。

ちび達やナマモノ達が集まる砂浜ではなく、わざわざ人気のない小さな岬を選んだというのに、なぜこうも出くわしてしまうのだろう。

「よう」
俺の後ろから聞こえた声は間違うことなくあいつのもの。
出来れば振り返りたくない。
聞こえなかったフリをしてみる。

「釣れてるか?」

ズカズカとやってきてあろうことか隣に座り込んでしまった。
バケツを挟んで隣。
空のバケツを覗き込んだ拍子にふわ、とまた風がやってきてこいつの匂いを俺へと運ぶ。
その中に、僅かだが違う匂いを感じ取ってしまった。

耐えられない。
側にいたくない。

「あ、おい」

手早く糸を巻き上げてその場から立ち上がった。
制止の声にも止まることなく、足早に離れようと俯いたまま森の方へと進む。
それでも追い掛けてくる気配。
と匂い。

嫌だ。今は止めてくれ。
頭が混乱しているから。

「待てって」
「っ!はなっ」

思い切り振り払おうとして向き合った瞬間、鼻の頭を雫がポツリと打った。
お互い顔を見合わせて、ほぼ同時に空を見上げた次には、ザザーッ!という音とともに大粒の雨が降ってきた。
なんてタイミングだ。
でもこれを口実に心戦組ハウスへと帰れる。
そう思ってもう一度振り払おうとしたのだが、それよりも早く腕を引かれ、「走れ!」と叫んだ声に訳も分からないままつられて走っていた。


「久々のスコールだな。最近はなかったのに不意討ちもいいところだぜ」

辿り着いた場所は木々が生い茂る森の中で、一際大きく枝を伸ばす木の下。
これだけ葉を繁らせていれば雨なんて簡単に防いでくれるらしい。
木と木の間から空を覗き込み、辟易とした声を出して近くに戻ってきた。

「大丈夫か?結構濡れただろ」

そう言って突然ワイシャツを脱ぎ始める。
驚いて体をビクつかせたのを、しっかり見られたらしい。
キョトン、とソージのような反応を見せ、また同じくニヤリという笑みを浮かべて一歩近づいてきた。

反射的に下がり、また近づいて、下がり。
歩を進めてくる足元に目線を落としてジリジリと下がっていると、ドン、背中が木にぶつかった。

「…なぁ、さっきから俺を見ようとしないな。…どうしてだ?」

一歩ほどの間隔を空けて立ち止まったこいつは、じぃ、と俺を見ている。
突き刺さる視線が痛い。
駄目だ。これ以上近づくな。
考えたくもないことが、蘇ってしまうから。
こんなこと、言いたくないから。

ガサガサ。
向こうの茂みを小さなナマモノが走っていくのが見えた。
こいつがそっちに気をとられた一瞬の隙、俺は足元のバケツだとか竿だとか気にもせず、とにかく走り出していた。

「っ!何なんだよ!」


ザーザーと、ポタポタと、雨と水滴が絶えず降り注ぐ森の中、向かう先など見ないでひたすらに走る。
雨のせいで前髪が張り付く。
袴が重くて上手く走れない。
ハァハァ息づく度に顔を滴る雫が口の中へと吸い込まれ、時折噎せそうになる。

どうして俺は走っているんだ。
匂いなど、この雨で打ち消されたじゃないか。
たまたまということもある。
気にしすぎだ。もっと冷静になれ。
これ以上、惨めな思いをしたくない。


走り疲れて、一本の木の下で立ち止まる。
もう袴も褌も濡れてぐちゃぐちゃだ。
帰ったら、すぐに風呂へ浸かりたい。

そうだ、帰らなければ。
今日は幸いにも夕飯は家で食べることになっている。
早く帰って作らなければ。
フラフラと歩き出した俺の腕が、突然強い力に引っ張られた。

「やっと…捕まえた…」
濡れたワイシャツを前も閉めずに羽織り、息を乱して腕を掴み見上げてくる。
咄嗟に引こうとした腕は、逆にこちらへと押され、バランスを崩して後ろの木へと押さえ付けられてしまった。

「やめっ!」
「どうしたんだよ!今日のお前変だぞ」
「………」
「なぁ…」

顔に張り付く髪の毛を、優しい手付きで撫でながら掻き分けてくれる。
大きくて、温かい、俺の好きな体の一部。
何故だか泣きそうになり、唇を噛み締めてそっぽ向いた。

「トシ」

ドキン。耳元に直接吹き込まれたと思った時には、こいつの腕の中に収められていた。
途端に匂い立つのは、こいつの匂い。
濡れた胸元から俺の鼻をくすぐり、脳へと甘い痺れをもたらす媚薬。
駄目。
奥に巣食った靄が、浮上してくる。
今日、パプワハウスに行っただろう。

ちび達も知らない間に。何で分かったか、て?
お前からリキッドの匂いがしたからだよ。
俺を見くびるな。
そんな匂いが移るほど、二人で何をしていたんだ。
まだリキッドのことを忘れられないのか。
俺じゃ、駄目か?
問い詰めて、しつこいくらい、ヒステリーに問い詰めて。
きっと俺はお前の嫌がることをしてしまうだろう。
それが嫌なんだ。俺はお前の負担になりたくない。
お前を困らせたくない。
壊れ物の俺に、驚くほど優しく触れてくれるお前を失いたくない。

そして、自分勝手で都合がいいのだろうけど、リキッドのことも失いたくない。
あの笑顔をずっと見ていたいんだ。
だから、俺だけが我慢すればいい。

「………ハーレム」
そっと上向いて、薄く口を開く。
一瞬考えて止まったこいつは、ゆっくりと顔を近づけ、触れるだけの口付けを落とした。
こいつの唇が熱いと感じたのは、俺の唇が異様に冷たかったからかもしれない。

震える唇から不安が伝わってしまったのか、強く唇を押し付け、息も出来ないほどの抱擁と口付けをくれた。

「っは……」
「トシ…」
「…このまま……」
首に腕を巻き付け、体を出来るだけ密着させてすがりつく。
雨が全てを流してくれるうちに。
他の匂いを掻き落とし、お前の匂いだけに包まれる、今だけは。

誰も邪魔しないでくれ。
真実なんて知りたくない。

雨を降らし続けてくれ。
余計な事なんて考えられないくらい。

お互いの匂いだけを感じていられるように…。



――――――
後書

トシたまはネガティブで思い込みの激しいと思っております。
ので、ニオイの真相は明かされずに胸の内に沈めて終わりです。
候補としては

@たまたまちみっこたちが居ない間にやってきたものの、りったんは家事に終われてて構ってもらえずすぐに帰った

Aハウスで嗅ぎ取ったハーレムの匂いは昨夜来た名残り。どんだけ匂いがきつかったかと…

Bトシたまの気のせい

C本当にやましいことをしていた

皆様もニオイの真相を想像してモヤモヤしちゃってください。
ありがとうございました(ペコリ
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