大人の恋愛事情〜墜落〜2/2

保管庫



「たでーまー……あれ、誰もいやしねぇのか…珍しい」

(そういや夕飯をパプワハウスで食べるって言ったから……どっかで入れ違いにでもなったか?)
畳の上であぐらをかいて座り込む。
ふわっと薫る井草の匂いにやっと気分が落ち着いてきた。
静かな部屋で大きく大袈裟なほど溜め息を吐いた。

「はぁ……夕飯か…リキッドにゃ悪いが……行く気になんねぇんだよな…」

ほぼ夕飯時に足を運んでいるシシマイハウスの連中も来るだろう。
そうなればあいつとも必然的に顔を合わすことになってしまう。

「…今のまま顔合わせらんねぇって……」

心が揺れ動いてあちこちで渦巻く今、とても会えたものではない。
顔を両手で覆い、また溜め息を吐いた。
その時。

「…誰とだ?」
「っ!?」

つい今しがた会いたくないと思っていた相手の声が部屋に響き、危うく飛び上がるところだった。
なんて嫌なタイミングで現れるのだろう。
今日は厄日だ、と自分で自分を呪いながら玄関にいる男を睨み上げた。

「な…にしに来たんだ?」
「見舞いだよ。パプワハウスに戻ったら消えてるからこっちに来たんだ。少し安心したよ」
「え…」

見舞い?何の?俺の?
つか誰のせいで気絶したと思ってんだよ。
と、文句の一つでも言ってやろうとしたのだが、俺は自爆してしまった。
先程の出来事が頭を駆け巡って突嗟にうつ向く。
俺の様子には気付かなかったらしく、ずかずかと家の中に入ってきて勝手に茶部台の前に座りやがった。

「おら、俺は客人だぜ〜。茶ぁ出せよ、茶。先に言うが紅茶にしろよ。お前らみてぇに緑茶なんて飲み慣れねぇからよ、紅茶でもいれてみろ」

なんて上から目線で言う奴なんだ。
偉そうに茶を要求する姿に、昇った血は下がっていった。
しかも俺は生憎と一度も紅茶を飲んだことがない。
壬生では紅茶なんぞをたしなむ奴もいなかったし、日本人なら緑茶だろ、て連中ばかりだったので興味すら湧かなかった。
そんなものが我が家にあるはずはなく。

「ぬぁにお〜??客をもてなすのは日本茶って相場が決まってんだよ。そんな西洋かぶれなもんうちにあると思ってんのか!飲みたきゃ自分家から持って来やがれ!」
「お、言ったな?言っとくが俺様が煎れた紅茶を飲んだら緑茶なんて緑の液体は飲めなくなるぞ」
「そいつぁどうかな?」
「ほほぅ。俺様にケンカでも売ろうってのか。よぉし、宇宙一美味い紅茶を煎れてやるよ。後悔しても遅いからなぁ」
「上等だ!手前こそ下手くそなもん煎れんじゃねぇぞ!不味かったら速攻流しに捨ててやる!」
「言ったな!俺様の紅茶飲んで美味いつったら土下座でも何でもやってもらうからな!」
「出来るもんならやってみやがれ!」
「おーやってやらぁ!」


あれ?結局茶を飲むことになってる?
つい、勢いに任せて口を動かしていたらそういう事になってしまった。
こいつは意気揚々と「すぐ戻る」と言って家を出て行った。
その最高に美味いという紅茶を煎れるために、一式持ってくるんだろう。

俺は馬鹿かもしれない。
気付けばまんまと相手のペースに填められている。
そもそもなんであいつを家にあげたことを許してしまったんだろう。
直ぐに追い返す事もできた。
何よりも、案外普通に話せたことが不思議で仕方ない。
売り言葉に買い言葉の口喧嘩とはいえ、あんな事をした後で顔を合わすのも躊躇われたのに。
俺がこんなにも意識しているというのに、あいつは全く気にせずにいた。

それが悔しいのか憎いのかは分からないが、俺は出ていった玄関を見つめ、あいつが戻ってくるのを待っていたりする。

「お茶一つで何をムキになってたんだろ…」

茶部台に頬杖をつき、静かになった部屋で宙を見つめた。


――――――


(やっぱり獅子舞とこのオッサンと一緒だったか……)

(こりゃ夕飯は僕たちだけでリキッドさんのとこ行くしかないな)

(…………………もうちょっと見てても罰当たんないよね)

『この様子隠し撮りして壬生に帰ったらあの人に売りつけてやろ♪』

『え、ちょ、ソージくん?隠し撮りってなに?つか何で盗み見?』


―――――――


「ふぃ〜、やっぱ俺様が煎れた紅茶はうめぇなぁ」

数分後。部屋には柔らかな香りが漂っていた。
紅茶の種類や産地を説明されたが、横文字の羅列に最早覚えていない。
初めて味わう、烏龍茶のような琥珀色した液体を嚥下しながら、ほぅ、と吐息をついた。

「どうだ、美味いだろ?」
「…別に」

高級そうな白磁のティーカップに口付けながら顔を背ける。
言いたくないが、実は美味いと思ってしまったり。
もちろん美味いなんて欠片も言わないけど。
牛乳を足して飲むと美味いだの、砂糖はブラウンシュガーのが美味いだの、云逐を散々のたまってるのを適当に聞き流し、最後の一口を飲み干した。

「…茶ぁ飲んだら帰れよ」
「んー…?」

ティーカップを茶部台に置き、向こうも飲み終わったらしく同じ様にティーカップを置いた。

「…今ので飲み終わったろ。帰れや」
「お、まだティーポットに入ってた。あ〜いい香りだ〜」

俺の問掛けには応えず、とぼけた風にポットの蓋を取って匂いをかいでる。
この状況にいい加減耐えられなくなってきた。
本当にこいつは何をしに来たんだろう。
見舞いったってもういいだろう。
むしろそんなの信じちゃいないが。
やはり、ただ単に俺をからかいに来ただけかもしれない。
自分の一言で、情無くも気絶した阿呆な男を馬鹿にしに来た、というほうが断然納得いく。
挙げ句、思い人であるリキッドに介抱してもらったなんて、恥ずかしいよりも情無い。
そんな俺を笑いにでも来たのだろう。

けれど、他の理由を探している自分がいるのも確かで。
また渦が生まれていく。捻れてよじれて混乱していく。
もう、何もかもはっきりさせたかった。

「……なぁ…あんたは何がしたいんだよ」

カップの取っ手に手をかけたまま、静かに声を掛けた。
ぴくりと動きを止めたのが目の端に映る。

「俺のことからかって、反応見て楽しんで…。リキッドのことなら諦めねぇからな」

ゆっくりと相手の顔を見据える。これだけはきっぱり言っておきたかった。
これさえ言えば、何かから逃げられるとも、思っていた。

「…リキッドが好きなのか?」

ちら、とだけ俺を見て、また目線を手元に戻した。

「あぁ。付き合いは浅いが、俺はリキッドに惚れている。邪魔されればされるほど燃えるってもんよ」

わざと「リキッドに惚れている」のところを強調して言った。
もしかしたら、そう自分に言い聞かせたかっただけかもしれない。

「…そうか、そうだったか。俺はてっきり…」
「なんだよ…」

間を置いて呟かれた言葉に聞き返して見つめていると、ゆっくり目線が手元から上がって俺の目と合った。
口端がにやりとあがる。
こういう時は大概嫌なことしか言わない、と気付いたのはつい最近。
少し構えて窺うように睨んだ。

「俺に惚れたんだと思ってたんだがな」
「なっ!!」

心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
あまりにも驚いて持っていたカップをガチャリと倒してしまった。

今、何て言った?
惚れた、だと?
まさか。やめてくれ。
一番否定したかったことだぞ。

聞きたくなかった。
こいつの口からは。



―――『自惚れでもなんでもねぇ。お前は俺に、惚れちまったんだよ』―――



「あながち外れじゃねぇだろ。むしろ図星か」
「違う!俺は!」
「リキッドは無理だ」

俺の声をぴしゃりと遮って言ったのは、理解し難い事で。
反論も忘れて真顔になった俺に対し、こいつも至極真面目な顔をしていた。

「あいつはな、俺しか見ていない。昔っから俺のことしか見ちゃいないんだよ。あんたのことは嫌ってないが友情以外の感情は持っちゃいないね」
「な…なんでそんな…」

淡々と告げられる言葉に、背中が冷たくなっていく。
絞りだした声も随分と間抜けなものとして、小さく吐き出された。
どうしてそんなことを言われなくちゃいけないんだ。
あんたとリキッドに、昔何があったかは知らないし聞きたくもないが、何だかそれを見せ付けられた気がしてならない。

俺とリキッドの間に、大きな壁が出来てしまったような錯覚に陥る。
リキッドの視界には、こいつしか映っていない。
俺は見えていないんだ。

「そんだけ深い間柄ってことだ。深すぎてこーんな遠くまで離れちまったがな」
「………」
「それを知った上でリキッドに何を求める?」
「俺は…別に…」

思考がぐるぐる回っていく。声が出ない。
真っ直ぐ見つめてくる視線に耐えられなくてうつ向いた。

求める…。
ただ、リキッドの側にいて、与えてくれるあの温もりが変わらずそこにあればいいんだ。
惚れている、ていうのは間違いないが、だからと言ってリキッドを俺のものにしようとは思わない。
リキッドはこの島みんなのものだから。

みんなに分け隔てなく与えている、優しさが好きなんだ。
そうか。
ここにきて分かってしまった。
俺はこいつとリキッドを奪い合いたかったんじゃない。
リキッドには、ずっと清い存在でいて欲しかったから、こいつによって汚されるような気がして嫌だったんだ。
例えるなら、母親のように。
ならば、こいつのことをこんなにも意識しているのは何故だろう。
心がざわめくのは何故だろう。
こんなに、切なく胸が締め付けられるのは、何故だろう。

「…もっと楽に生きようや。自分に素直になれって」
「…素直…に……?」

まるで俺の心を読んだかのように言ってくる。
しかし、どう素直になっていいのかも、何に素直になるのかも未だよく分かっていない。
こいつの言うとおりにすればすっきりするだろうか。

「俺もあんたに興味がある。色んな表情が見てみたい。そうやって動揺している顔も…」
「っ!」

突然腕を引かれて前のめりに倒れそうになったのを、もう片方の腕で支え、きっと見上げるとすぐ側に顔が近付いていた。

「すげぇクる。もっともっとあんたのイイ顔が見たい…」
「はな…っせ」

上半身を起こそうとするも、掴んでいる力が存外強くびくともしない。
こうやって掴まれるのも何度目だろう。
なんて考えていると益々近付いてきて、必死にそっちを見ないように顔を背けていると、吐息が頬をかすめた。

「…リキッドよりそそるな」
「っ!?」

またからかってるのかと思った。けれど、睨み上げた瞳は確かに目の前の俺を映していた。
こうして青く澄んだ瞳に俺が映っているのか。
追い掛けられて、熱い手で掴まれて、俺だけをその瞳に映して、溶けてしまいそうな声を落とす。
きっかけが何だったかはもう覚えていない。
しかし、こいつの言うとおり、その手の中へ落ちてもいいんじゃないかと、蕩けた頭で思い始めていた。

「……恐くない。大丈夫だから…来い」
「や…めろ」

引き寄せる力は先程よりも緩められて、今なら容易に逃げられるはずなのに抗がえず、気付けば背中に畳の感触がしていた。

「……リキッドよりいい思いさせてやるよ…」

ぞくり、と背筋が震え、甘い疹きが駆け巡った。
天井にぶら下がるランプに透けた髪の毛が眩しい。
逆光で表情は見えないものの、強い視線を感じて静かに目を閉じた。
少し、素直になってみようか。



『委ねてみるのも、いいかもしれない』
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