侵食
保管庫
今日はついていなかった。
久々の休暇。
馴染みの店が突然休みで、欲を発散させようと向かった風俗は、忙しいのかそういう接客なのか随分とおざなりな処理をして時間よりも早く俺を追い出しやがった。
熱は静まったものの、腑に落ちない思いを抱えたまま、宛てもなくふらふらしていたのが悪かったのだろう。
この時点でとっとと帰ればよかったと後悔しても遅く。そうすればこの男に会うこともなかった。
こんな思いをすることもなかった。
「っ、悪い」
繁華街から少し離れた道の真ん中。
一人の男と肩をぶつけた。
振り返ると、俺とあまり変わらない背丈の、けれど俺よりも大柄な男が金髪を無造作に広げてくわえ煙草で立っていた。
「…痛ぇな」
ギロリ、と睨む形相はまるでヤクザのようだと些か怯んだものだ。
「すまない、前をよく見ていなかったんだ」
「………」
何も言わず睨んでくる。
ずい、と一歩踏み出して俺の顔を覗き込んできた。
凄んできた、と言った方が正しいのかもしれない。
これは厄介なのに捕まったな、と内心溜め息を吐いてどう穏便に済まそうかと頭を働かせた。
何事もなく解決させて、この場から離れよう。
「済まなかった、少し飲み過ぎたようだ。あんたも随分飲んでるな。タクシーでも拾うか?」
飲んでなどいなかったが、この男から強烈な酒の臭いがしたから、タクシーにでも乗っけて追い返そうという作戦だ。
しかし、この男は俺の言葉を聞いていないのか、もう一歩寄ってきて鼻をすん、と鳴らした。
「…アンタ、飲んでないだろ」
「っ、」
「酒の臭いじゃねぇ…。この臭いは……女の臭いだ」
離れようと一歩下がるが、知らない間にすぐ後ろは壁だった。
目が据わっている。
嫌な予感がした。
背筋を震わすほどの。
「…そこをどいてくれ」
押し退けようと肩に腕をかけて力を入れるが、まるで動かない。
力には自信のある方だ。
今まで一度として負けたことがない。
それなのに、同じ男で身長もあまり変わらないこの男から、敵わない、そう瞬時に読みとった。
「……白い手首。女の臭い」
「何言って……っ、お、おい!」
肩を掴んでいた手を急に引っ張られて、抵抗する間もなくすぐに路地裏へと連れ込まれた。
運悪く、路地裏に入る際、誰も俺の視界には入らなかった。
そして、この路地裏にも人はいない。
.
「離せ、よっ!何なんだ、一体」
振り払った手首を擦る。
大して握られていなかったのに、ジンジンと痺れを発している。
喧嘩になれば、恐らく負ける。負けると分かっている勝負をするつもりはない。
だから、早くこの危ない男から逃げたいのに、隙が見つけられない。
「…これ以上因縁をつけてくるなら、警察呼ぶぞ」
すると、低く笑って髪を掻き上げた男が口を歪めて言った。
「あんたがその警察だろ?」
ドクン、と心臓が鳴った。何故知っている。
普段では着物を着て髪型も違うため大分雰囲気が変わると、仲間にもあまり気付かれることはないのに。
いや、チンピラかヤクザの風体の男だ。
本当にそうなら、ここらの警察の面くらい割っているのかもしれない。
適当な罪状を付けてしょっ引いた方が早いだろう。
「…どこの者か知らないが…面倒事になる前に退いた方が身の為じゃないか?」
少し威圧を込めて睨めば、男はまた笑った。
「そうだな……身の為だろうなぁ…」
ようやく分かってくれたのか。
そう安堵したのも束の間。
男の目が冷たく閃いた。
瞬間。
「ぐぅっ!」
何が起きたのか分からなかった。
くら、と揺れた視界一杯にガラス玉のような青い瞳が映った。
首と右手首を壁に押し付けられて、勢いぶつけた頭の痛みに呻きが漏れる。
「う…っなにを」
空いている左手で首を掴む腕に爪を立てた。
筋肉に覆われた感触に爪が食い込むことはなく、相当の手練れだともう一度睨んだ。
「…いいねぇ、それ。アンタ誘ってんの?」
「はぁ…?誘う?意味がわかんねぇ……っ、いいから離せ…よ!」
自由な足を蹴り上げて腹に一発入れてやろうとしたが、右手首を押さえていた手で難なく捕まえられてしまい、あろうことかそのまま膝裏に手が差し込まれて壁に押し付けられてしまった。
開いた足の間に男が入って至近距離で顔を合わせる形になる。
首を掴む手は益々力が籠り、息苦しさに眉を寄せた。
それでも目は反らさず。
逃げれないのなら、せめてもの抵抗を。
「くく……いいよ、アンタ。無自覚ってのがまたいい」
分からないことは口を歪めて言う顔に背筋がゾクゾクする。
悪寒からくる鳥肌が男の腕を必死に掴む俺の手に上る。
首を捕まれ、足を抱えられ、間に割り込まれた俺はまるで身動きができない。
不意に、下腹部に固い何かが触れた。
目だけで下を見ようとすると、男が鼻で笑った。
「俺な、今日大損して金がねぇんだ。分かるか?だから、女も買えなかった」
言わんとすることが今一分からず男を訝し気に睨んだ。
「アンタはどこぞで射してきたんだろ?不公平だと思わねぇか。俺は思う」
自己完結の言葉を吐いて、目を細めた。
本能が逃げろと叫んでいる。
ざわざわと悪寒が止まない。
全く読めない目をした男が、急に獰猛な獅子に見えた。
「…正気か…」
語尾を震わせながら絞り出した声に、ただ心地良さそうに口端を上げるだけ。
俺は、獅子の狩猟範囲に入った小動物になった錯覚に陥った。
声の限り止めろと叫んだが、とにかく通りから奥まった路地裏では町の喧騒に容易く掻き消されてしまう。
片足ではろくな抵抗も出来ず、何とか両肩を押しやり逃れようとするが、すかさず首に力が籠められ息をのんだ。
「あ、はっ…っ、っ、…」
足が震えて上手く体を支えられない。
絞められる腕にしがみつくも、次第に指先が痺れていく。
呼吸が止められ、必死に酸素を得ようと顎を上げて喘ぐがそれでも離してくれない。
意識が落ちる、そう思った瞬間、首の圧迫が消えて酸素が送り込まれた。
「ひゅ、はっ!ごほっごほっ!はっ、はっ、」
咳き込む間も男の手は動き、俺の両手を頭上に一纏めにし、片手で押さえている。
足は下ろされ、帯を乱暴にほどかれて着物の衿元を開かれる。
「なっ、やめ、ろっ」
息も整わぬ間に行われる出来事に頭がついていかない。
この男は何をしようとしているのだ。
裸に剥かれようとしているのを見れば、明らかに屈辱的な事を受けるとだけは分かった。
写真でも撮られて証拠が残ったら終わりだ。
俺は仕事でもこの町でも生きていけなくなる。
褌に手がかかり、ザッと血の気が引いて出来る限り暴れた。
「やめろ!こんなことして、ただで済むと思うなよ!」
「そうだな。済むと思わないでくれよ」
会話が噛み合わない。必死に腕を動かしても、身を捩っても、少しも離れない。
鎖にでも縛られているかのように、身動きが出来ないのだ。
「…面倒臭ぇな…」
ポツリ、と呟くとズボンのポケットからバタフライナイフを取り出してパチン、と刃を起こした。
「な、にをする気だ…」
刺される、そう思って刃先を目で追う。
それに気付いた男が密かに笑った気がした。
男の手は腰の辺りで止まり、ナイフの切っ先が一枚の布に引っ掛けられた。
ビリッ、と短い音を立てて切られた褌は片方が落ちたが、まだ股間部を覆っている。
「やめろ…危険物の所持でも罪状をくらいたいのか…」
額から汗が流れる。
睨みながら何とか止めようと声を落とす。
が、やはり男は動じることなく、むしろ寒気を催す笑みを浮かべるだけだった。
「…俺を捕まえるのか」
「…あぁ。ありとあらゆる罪をくっつけて務所送りにしてやる」
くく、と笑い声を漏らして舌舐めずりをする。
そうして、反対の腰に引っ掛かっていた布にも刃を当てた。
「…それも悪くない」
無惨にも切られた褌は切っ先に引っ張られて地面に落ちてしまった。
「っ…」
露になった下半身に今度はサッと赤くなる。
男は無遠慮にそこを眺めてナイフをしまった。
「…恐いか」
「誰がっ」
咄嗟に出た強がり。
それすらも読まれているようで、ただ口端で笑う男に冷や汗が流れた。
「俺を脅したって何も出てきやしないぞ」
「脅す?俺が?はは」
「…何を笑ってやがる」
「こんな姿になってまで、虚勢を張るか」
「………」
「安心しろ、脅そうなんて考えちゃいねぇよ」
男は殊更楽しそうに笑い、ゆっくりと口を開いた。
「脅さなくても、アンタは誰にも喋らない。誰にも助けを求めない。そして、アンタは自分から俺を求めるようになる」
「は……え…?」
意味が分からない。
求める、て何をだ。
聞き返そうとしても何故か聞いてはいけない気がして口が動かない。
握り締めた掌に汗が滲む。
男の手がひたり、と心臓の上に押し当てられた。
思わず体を揺らす。
「…恐いか」
先程と同じことを言われ睨む目を強くする。
しかし、男には通じる事なく勝手に手を進めていく。
心臓の上から喉元へ。喉をまた絞められるかと体を強張らせるが、掌は顎の下を捉えた。
徐々に接近してくる顔に、何をするのかと目を見張っていると、突然、視界が塞がった。
いや、一杯の青が広がったのだ。
と同時に息が出来ない。
混乱する頭が口付けされているのに気づくまで数十秒はかかっただろう。
何が起きたのか、理解出来なかった。
「っ!」
反射的に閉じた歯のせいで男の唇を噛んでしまったらしい。
鼻先の距離で血の滲む唇を舐める仕草に目眩がする。
この男は何をしようというのか。嫌がらせにしては質が悪い。
いっそ殴るなり蹴るなりの暴行の方が分かり易いというのに。
「…俺を煽ってるのか?」
「…どういうつもりなんだ」
着物を肩に引っ掛けているだけの状態で、ほんのり冷たい風が吹いているのに、じわりと汗が浮かぶ。
「さっきも言ったよなぁ。不公平だって。金ねぇし、アンタで捌けさせてもらうぜ」
急に体を反転させられ、頭上の手はそのままに空いている手で着物の裾を手繰って腰回りが露になる。
分からぬまま尻たぶが割り開かれた。
瞬間、その言葉の意味をようやく理解した。
「ひっ嫌だ!触るな!」
抵抗しようにも両手は塞がって背中を向けていてはどうすることもできない。
何とか体を捩ったり声を上げているものの、全く意に介さないのか、尻に置かれた手はグニグニと揉んでいるだけ。
まさか、男の俺が男にこういった辱しめを受けるとは思わなかった。
男同士の恋愛や性交など、自分には無関係な世界だと思っていただけに、衝撃はでかい。
尻の穴に指が触れた時は引きつった声が漏れた。
「…アンタ、処女か」
そこでの性交がないことも処女と言う事すら今初めて知った。
それだけ俺には無縁だったのだ。
「当たり前だ!いいから、離せ!」
首を後ろに向けて再び睨む。
しかし、すぐに見なければよかったなどと後悔をした。
凶悪なほど、冷たい笑みを浮かべて舌舐めずりをしていたからだ。
本当に、逃げ出してしまいたいほどの恐怖を覚えた。
「ひっ!う゛あぁぁあ!」
腹の奥にありえない熱の塊が捻り込まれて、俺は恐慌状態に陥った。
排泄器官に逆流する形でものが押し入ったのだ。
それも、俺にもついている男性器。
痛みに慣れぬそこは易々と切れてしまったらしく、抑えがたい痛みを発して大量の脂汗が全身に浮かんだ。
「うっ、うぐ…、っうぅ」
「…あぁ、確かに初物だったな」
まるで後ろから張り付けにでもされているかのよう。
腕は既に解かれ、男の手は俺の腰を掴んで揺すってくる。
上半身が自由になっても、何かにすがろうとする手は壁に爪を立てるだけ。
足は最早自身の体を支えるだけの踏ん張りは利かず、腰を掴む男によって態勢を保っているだけだ。
「おい、もっと弛めろ」
パシリ、と尻を打たれても痛みに喘ぐ俺には頭が回らない。
「うっ、ぬ…抜け、もっ抜いてくれ…っ」
奥歯を噛み締めて吐いた言葉は届けられるはずもなく、再び尻を掌で叩かれた。
それでも呻くだけの俺に苛立ったのか、舌打ちをすると股間部で萎縮して垂れ下がる雄を握られた。
「なっ、やめ、触るなっうあ!」
ぎゅう、と握られてから上下に擦る。
明らかに欲を煽る動きで。
「何発出してきたんだ?少しくらいは嚢の中残ってんだろ?」
肩に顎を置いて両手でそこを弄り始めた。
袋の玉を揉まれて、竿を扱く。
苦しくて苦しくて仕方ないのに、敏感な部分を性急に追い立てられる。
「やめろ…嫌だ、やめてくれっ!」
時折耳に男の熱い息が吹き込まれたり、ぬめる舌がいたずらに這っては耳朶を噛まれたり、意識をそっちへと持っていかれる。
計らずも熱が昂ってしまいそうになるのを隠したいのに、男はわざとそうなるようにと益々手を早める。
「…アンタ…素質あるな」
え、と聞き返そうとした瞬間、中の熱が抜けそうになってから強く打ち付けられた。
「あ゛ぁ!」
ガクガクと膝が震える。男は楽しそうに笑い声を上げて俺の雄を握る手に力を込めた。
「うっうぁ、」
「男に穿たれて…しっかり感じてやがる」
朦朧とする意識の中、下腹部に感じる疼きに目を下げると、そこには男の手の中で緩く勃ち上がる自身があった。
「う…嘘だ…」
「嘘なもんか。おら、気持ちいいんだろ?」
「いっ、や、やめろ…っ嫌だ」
前を扱くのに合わせてゆっくりと腹を抉る。
嫌悪感と生まれ始めた快感に激しく翻弄される。
いつしか男の動きは早いものになり、分けもわからず喚いて泣き叫んで。
痛みか、快楽か。それすらも分からず男に鳴かされる。
やがて男が息を詰めて一際強く突かれた。
じわりと熱い感覚が広がるのを遠くで感じながら、ようやく終わってくれたのかと頭の片隅で思った。
しかし、男はしなる俺の背中に頭を押し付けて息を整え、一向に抜け出る様子はない。
もう嫌だ、とか、疲れた、とか無意識に漏れていたのだろう。
背中から肩に顔を移して、顎を男の方に向けさせられた。
「男だろうが。まだまだ体力はあるだろ?」
額から汗を垂らす男の笑みは変わらず冷たい。
それなのに、俺の頬に触れた男の汗は溶けてしまいそうなほど、熱い。
「っ…どうして俺なんだ…」
唇が触れそうな距離で呟けば、吐息を送り込むように囁いた。
「……さぁ。分からないからこそ、じゃないのか?」
答えの為さない応えを受け益々混乱に陥る俺を、それは愉しそうに牙を剥く。
その時脳裏に過ったのは男の言葉。
誰にも喋らない。
誰にも助けを求めない。
そして、自分から求めるようになる、と。
脳の奥がジン、と痺れる。
その甘い痺れに目眩を覚えて諦めたように目を閉じた。
END