chapter1ー04『三月ウサギと時計屋』

終末アリス【改定版】



 
 朝食を終え、まったりとアリスが食後のお茶を味わっていた頃。
「それで、時計屋の所へはいつ行くんだい。アリス」
 すっかり寛いでいるアリスに唐突にチェシャ猫が切り出した。
「…え? 時計屋って、な」「チェシャ猫〜☆ いまここで、言う?」
 全く覚えのない言葉に何の話かと聞き返そうとしたアリスの口を素早く帽子屋が塞いだ。
 そのまま声を潜めた帽子屋は非難めいた視線をチェシャ猫に向け、何故かしきりに我関せずといった様子の三月ウサギを気にしている。
「……時計屋って、言ったか。今」
 そんな努力も空しく、どうやら話が聞こえていたらしい三月ウサギが淡々とした口調で聞き返した。
 いや聞き返した、というよりは確認したの方が正しいだろうか。帽子屋は傍目で見て分かる程にビクついて、答えを返す。
「…や、ヤダな〜みっつん!! 幻聴でも聞こえた〜? ヤバイよ?」
 下手な誤魔化し方をする帽子屋にアリスは呆れ、チェシャ猫は黙ったまま成り行きを見守った。
「生憎、俺の耳は飾りじゃないんだよ。帽子屋…別に隠す事じゃないだろ?」
 そして、三月ウサギにニッコリと微笑まれて追及される帽子屋の反応は、まるで奥さんや恋人に浮気を問い詰められ、別れないでとすがり付く男の様子に酷似していた。
 つまり、往生際が悪くてみっともなかった。
「だって!! だって、みっつん絶対時計屋の所に行くもんっ 僕を置いて!」
「否定はしないな。別に俺の勝手だろ」
 がばっと三月ウサギに泣きついて帽子屋は訴えるが、三月ウサギは構わず平淡に切り返す。
「みっつんは僕のなんだよ!? 例え一時でも離れるのは嫌っ☆」
「そんなに喚かなくてもちゃんと戻ってくるだろ俺は。だから離れろ」
 かなり独占欲の強い帽子屋に三月ウサギは何故か楽しそうだとアリスは感じた。
 淡々とした三月ウサギと焦る帽子屋が夫婦漫才のようなやり取りをしている合間。
 芋虫から昨日聞いた《元の世界に戻る心当たり》がその時計屋なのだとチェシャ猫に説明されてから、ようやくアリスは状況を理解する。
「そういう訳だ。時計屋のトコに行くなら俺が案内するぜ」
 結局、最終的には帽子屋が上手く丸め込まれてしまったらしい。
 時計屋の場所まで三月ウサギが同行してくれる頼もしさは言葉にならない。
 アリスとチェシャ猫は三月ウサギと共に時計屋の元へ向かう為に帽子屋の家を後にした。

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「それにしても…あの人は本当に三月ウサギさんが好きなのね」
 出掛ける時でさえしつこく、みっつん、みっつんと叫んでいた帽子屋を思い出してアリスは呟いた。
「面白いだろ。だから飽きないんだよ帽子屋と居るのは」
 静かに笑いながら三月ウサギは言う。
 確かに三月ウサギのように何事にも取り乱さない人からすれば帽子屋の反応は面白い部分もあるんだろうけれど、普通なら一歩どころか軽く数十歩くらいは引く。
 少なくともアリスが三月ウサギの立場なら、いろいろ耐えられない。
「白兎が相手だと三月ウサギの比じゃないよ。帽子屋は白兎が一番好きだから」
 チェシャ猫が豆知識の様に補足する。ありがとう、でも余分な気がする。うっすらと簡単に想像出来てしまう辺り帽子屋はかなり分かりやすい。
 そう思うと常に冷静な三月ウサギはともかくチェシャ猫はまだよく分からない位置に居る。
(……でもチェシャ猫が信用できるのは何でなのかな)
 三月ウサギとチェシャ猫の後を歩きながら何となくアリスは考えてみて、けれど答えはでなかった。

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 しばらく道沿いに歩いていくと目前に高くそびえ立つ建物が見えた。アリスは太陽の眩しさに目を細めながらも高い塔を見上げる。
「…ねぇ。もしかして、これを登って上まで行かなくてはいけなかったり、する?」
 かろうじて天辺が見える塔は、多分マンションでいえば15階くらいの高さだろうか。
 ここまで来るのに体力を消耗している上にこの高さはしんどい。
「さぁ。いつもランダムだからね。運が良ければ1階に居るよ」
 チェシャ猫はノックもせずに扉を開いた。鍵は掛かっていなかったらしい。
「時計屋って、時計を売っているんだよね? 何でこんな建物なの……?」
 思った事をそのまま口に出してアリスは嘆く。少女趣味全開のお菓子な家の帽子屋といい、このまだ見ぬ時計屋といい、どうして普通の住まいにしなかったのか。とても疑問だ。
「辛いなら、おぶってやろうか? 俺が」
 意地悪い笑みを浮かべた三月ウサギが聞いてきた。アリスはとんでもないと首を左右に振る。
「…っ…いい!! 1人で歩けるっ」
 というか、恥ずかしい。一応、仮にも女の子なのだし……そんな事をされたら三月ウサギを意識してしまいそうだ。
「へえ? …良いんだ。顔、紅くなってるけどもしかして意識してんの?」
 ピンと耳を立てた三月ウサギはアリスに顔を寄せてからかう。近い。
「……っし ししし してない!! 全っ然、意識なんてしてないわっ」
 分かっている。からかわれてるのは分かっているのに動揺してしまう。
「動揺し過ぎだ。……そんな風に素直だとマジで襲われるぜ?」
 クックッと笑いながら三月ウサギは離れてアリスの手を引いた。なんてイケメンなのだろう。悔しいが事実、三月ウサギはモテるに違いない。
(…悔しい…っ仕方ないけど何だか凄く悔しい…)
 そのまま塔の中に入ったアリスはそこで思考を止めた。玄関というものはなく、土足で踏み入っていいものか床はカーペットだった。
 乱雑に積まれた本やメモらしき紙がそこらかしこに散らばっていて、壁際にはぎっしりと図書館並みに本が並べられているという、何とも言いがたい部屋だ。
「足元に気をつけろよ。少しでも崩れたりすると、うるさいからな」
 戸惑うアリスをよそに、三月ウサギは構わずひょいひょいと進み、アリスをエスコートしながら告げる。
「え、えぇ、 気をつけるけど……時計屋って人も、その、帽子屋と似たタイプなの?」
 慎重に足を運びながらアリスは聞いた。チェシャ猫はもう階段までたどり着いていて、尻尾をゆらゆらと揺らして待っている。
「いや、似てないな。帽子屋は基本的に馬鹿だけど、時計屋は冷淡だし」
 三月ウサギは淡々と答えながら迷う事なく足を運ぶ。アリスは偏屈なお爺さんを連想し、気が合わなさそうだと思った。
 そんな矢先だった。不意に身体が浮き上がる感覚にアリスは驚いた声を上げる。三月ウサギによってかつがれていると気付いたのは数秒後。
「え、」
「やっぱコッチの方が早い。悪いけど時計屋の居る場所までは我慢してくれ」
 三月ウサギはアリスを横に抱えたままで先を進む。確かに早かったけれど。
(……私、一応女の子なんだけど)
 荷物的な扱いにアリスはやるせなくなった。

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 4階くらい登っただろうか。遂に目的の時計屋が居る部屋に辿り着いたらしく、アリスは下ろされた。
 下の乱雑した状態とは違い、この部屋は割と整頓されていてチェシャ猫の言ったランダムの意味を何となく理解する。
 きょろきょろと周囲を見回すとソファーに寝そべって、 本を顔に被ったまま寝息を立てている人が見えた。
 この人が時計屋なのだろうか。
「寝てる…みたい」
「うん。寝てるね、起こそうか? じゃないと起きないよ」
 アリスの呟きにチェシャ猫が言うが睡眠の邪魔をするのは忍びない。
「だからって出直すのは面倒だしな。寝てるコイツが悪い」
 迷っているアリスの傍をすり抜けて三月ウサギは眠っている時計屋の上に覆い被さった。衝撃で顔に乗っていた本が床に落ちる。
 眠っていたのは、三月ウサギと同じく若い黒髪の青年で、時計屋を老人だとばかり思っていたアリスは認識を改めた。
「ねぇ アリス。俺達は少し階段の踊り場で待機していようか」
「え? どうして。起こすだけなんでしょ?」
 ふと、ぐるりとアリスを回転させてチェシャ猫が言い、アリスは怪訝そうに聞き返した。
「見ない方がアリスの為だよ。別に無理にとは言わない。でも後悔するのはアリスだからね」
 チェシャ猫の言葉の後に背後から何やらもがく気配がする。…何を…しているんだろう。
「……三月っ?! 何を、して――ッ」
「…あれ? …わかんねェ? 目を覚ますにはコレって定番、だろ」
 ……振り向くのが躊躇われるのはどうしてなのだろうか。硬直したままチェシャ猫を見れば、面白そうにアリスの背後を眺めている。
(…平気よね? 帽子屋の甘党白兎狂いに比べたら大抵の事は普通に思えるもの…大丈夫。大丈夫よ)
 アリスが意を決して振り向いたのと。三月ウサギが時計屋に思い切り殴られたのは同時だった。
 そして眉間に皺を寄せた時計屋とアリスの目がバッチリと合ってアリスは後退。
 チェシャ猫の忠告を聞くべきだったと後悔しながら数秒間、時計屋と睨み合う(?)羽目となった。


 息苦しい。長い沈黙に耐えきれず助けを求める様にアリスはチェシャ猫を見た。
「うん? 時計屋と三月ウサギの関係が知りたいの、 アリス」
 小首を傾げてチェシャ猫が聞いたけれど、そんな事は聞いてないから! とアリスは無言でぶんぶんと首を振る。
「相変わらず容赦なく殴るな、時計屋。たかが鼻と口を塞いだだけだろ?」
 三月ウサギが何故か笑いながら言った……いや、 一歩間違えれば死ぬ行為なのだけれど。
「……俺を殺す気か。斬り捨てられないだけマシだと思え」
 アリスから視線を外すと時計屋が苛立ちも露に三月ウサギを睨む。
「殺し合いがお望みなら構わないぜ。血に染まって屈辱に顔を歪めるお前を見るのも悪くなさそうだし」
 そう言う三月ウサギは物凄く楽しそうで。言われた時計屋は物凄く不快そうで。
「……やっぱり説明してくれないかな。チェシャ猫」
 対照的過ぎる二人を見ながらアリスは結局聞いたのだった。
 とりあえず、どうにか睨み合う三月ウサギと時計屋を宥め、アリス達は一つのテーブルを囲んで座った。
 時計屋が無言のまま緑茶を出してくれたが空気は重い。この状況から、どうやって目的を切り出そうかと考えていると「三月ウサギは」
 唐突にチェシャ猫が口を開き、ん? と呼ばれた三月ウサギが耳をピンと立てた。
 何を言い出すのだろうか、とアリス達が見つめる中でチェシャ猫が告げた言葉は―
「一度執着した相手にしつこく付きまとって追い詰めて苛めるのが大好きな隠れヤンデレなんだよ」
 と、言う三月ウサギの一面だった。確かに説明してくれないかなとは言ったけど本人の目の前で言うだろうか。普通。
 ついでに、二人の関係の説明でもないし。とアリスは突っ込みたくなるのを堪えた。
「まあ、……間違ってはいないな。流石チェシャ猫」
 それを聞いた三月ウサギが気を悪くした様子はなく緑茶を啜りながら笑う。
 ヤンデレの意味が解らないけど、言葉そのままならストーカー以外の何でもないんじゃないだろうか。
「…でも、三月ウサギがそんな風に誰かに執着するなんて思えない」
 アリスは三月ウサギを見ながら思ったままを告げる。
「…だったら俺はこんなに苛つかなくて済むんだがな」
 それに対して、はぁと深い溜め息をついた時計屋がぼやいた。二人の関係に口を出す気は無いが、 このままでは肝心の《元の世界》に戻る方法が聞きづらい。
「コイツの話はどうでも良い。さっさと用件を言って早く連れて帰ってくれ」
 そう思っていたら、時計屋の方から用件を早く言えと促してきた。三月ウサギがそんなに苦手なのか。
 それでも話は聞いてくれるのだから案外良い人なのかも知れない。気が変わらない内にとアリスが事情を説明しようとした時、
「…なぁ、この世界から異なる次元――つまりは異世界に行く方法はあるのか?」
 三月ウサギが先に要点のみを聞いた。確かに一番聞きたい事に違いはないけど唐突過ぎないだろうか。
 びっくりして三月ウサギを見れば、いつもと変わらない表情というか
(明らかに面白がってる…っこの人!!)
 どことなく上機嫌らしい様子を察して、ガビンとなる。恐る恐るアリスが時計屋を見れば、時計屋は探るような目付きを向けた。
「……例えば知っていたとしよう。それでどうするつもりだ」
「アリスを元の世界に戻すんだ。一緒に居るのは楽しいけど帰りたいなら帰った方が良いだろう?」
 問いに答えたのはチェシャ猫。それを聞くと時計屋はやや眉を潜める。
「…その子が別の世界の人間だと何か確証はあるのか? 嘘をついている可能性は。お前等、考えて行動してないだろう」
 逆の立場から考えてみれば当然の返答が返ってきて、アリスは思わず時計屋をまじまじと見つめた。
(…まともだ…この世界にも三月ウサギ以外にまともな人がいる…)
 半ば仲間意識の様な視線を送られた時計屋はやや困惑した様子でアリスから少し距離を取る。
「それで、あるのかないのかどっちなんだよ」
 三月ウサギはそのどちらの反応も気にせず再度確認した。
「…さぁな。調べてみなければ何とも言えない。そもそも俺より城に行って女王に聞いた方が早いんじゃないのか」
 時計屋はそう告げて、ふと思い出したように三月ウサギを見返す。
「何、お前と帽子屋と芋虫まで居るんだ。3人揃って行けば女王に謁見する事は簡単だろう」
 その時計屋の言葉に三月ウサギがお茶を啜ろうとした体制のまま止まる。
「……時計屋、すっげぇ嫌味」
 三月ウサギにしては嫌そうな声音で呟いて、アリスは珍しいその反応を眺めつつ緑茶のおかわりを自分の湯呑みに注いだ。


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