chapter1ー03『芋虫の意外性』

終末アリス【改定版】



 
 数分も待たず、あの家から眠りネズミが背の高い黒髪の男の人の手を引いて出て来た。
 黒髪の人はシンプルなエプロンをつけたまま、かったるそうに帽子屋に視線を向ける。
 雰囲気と外見だけを一見するとヤクザかホストにしか見えない。そんな色気とどこか怖い雰囲気の男性だった。
「あー、来たか。コレ、 どうにかしてくれよ」
 三月ウサギがその人に言ったところで、アリスは違和感を覚える。芋虫を呼んでこい。三月ウサギはそう言った。
 聞き間違いじゃないよ。とチェシャ猫は答えた。眠りネズミが連れてきたのは、あの黒髪の人。
「……ねぇ。もしかして『芋虫』って名前なの?」
「何だと思ったんだい、アリス」
 さも当たり前の様にチェシャ猫が言うけれど、……有りなの? それは。アリスは信じられないとばかりに黒髪の人を見た。
 白兎やチェシャ猫の様に耳や尻尾はなく(そもそも芋虫にこれといった特徴はあっただろうかと疑問はあるが)帽子屋の様に分かりやすく帽子を被っている訳でもない。
「……百歩譲ってトカゲ辺りが妥当じゃないかしら」
 ポツリとアリスは呟いてみたが答える者はいない。とりあえず見物を決め込む事にして向かい合う帽子屋と芋虫を眺めた。
 数秒間の睨み合いが続く中、先に口を開いたのは芋虫で、前髪を掻きあげながら溜め息をついて帽子屋の前に立つ。
「…懲りもせずまた暴走なんて、ナンセンスにも程があるわ。白兎狂い病は仕方ないし構わないけれど、その度にアタシを巻き込まないでちょうだい」
 …………ん? アリスは芋虫の口から聞いた低い声に酷く違和感を覚えた。気の所為だろうか。その人に凄く似合わない喋り方が聞こえたのは。
「だったら構わないでくれないか。僕は今しろたんを悪く思う子を殺さなきゃいけな―」ガコッ
 帽子屋は最後まで言いきる間もなく、掴んでいた三月ウサギにぱっと放されて地面に突っ伏した。
 追い撃ちをかけるように芋虫が口を開く。
「無様ねぇ…こんな格好を白兎に見られたらどうする? 帽子屋」
 妖艶な微笑みを浮かべながら芋虫はおもむろに帽子屋の帽子を外した。
「あっ ちょ。止めて、帽子取ったら駄目だよ☆ か〜え〜し〜て〜」
 奪われた帽子に手を伸ばして帽子屋は子供みたいに言った。いや、精神年齢はまんま子供に違いないと思うけど。
「他に何か言うことがあるんじゃないのかしら」
 涼しい顔のまま芋虫はクルクルと帽子を玩ぶ。
「…ふぅ、分かったよ…からかうのは止めにするから。 返してくれないか?」
 降参とばかりに両手を上げて帽子屋は何かに負けたようだ。というか、からかうって何。とアリスは自分の耳を疑う。
 帽子を手渡された帽子屋はそれを被り、芋虫は帽子屋の言葉に呆れた苦笑いを返した。
「からかう? 半分本気で暴走しておいてよくほざけるわね」
「彼女の反応が余りに可愛らしいからね☆ しろたんがキライなのは可愛くないけど」
 続けられる二人の会話に入っていけずにアリスはやや混乱気味の頭で整頓する。
 ……つまりはどういう事になるの…? チェシャ猫が笑んだまま、項垂れるアリスの顔を覗き込む。
「帽子屋はアリスが気に入ったみたいだね」
 邪気のないチェシャ猫の笑顔に毒気が抜かれた。アリスも呆れて息を吐く。
「私をからかうつもりが途中で本気になった…って解釈で良いのよね……」
「そういう事だな。大丈夫か? 一応止めたけど怪我してたら駄目だからな」
 ひょいと三月ウサギがアリスに手を差し伸べてくれる。優しさが堪らなく身に沁みた。
「怪我は、ないです……精神的には地味にアレですけど」
 帽子屋に対する嫌みをさりげなく込めて、アリスは三月ウサギの手を取った。
「あぁ、流しておけよ。アイツのやる事にいちいち反応してたら面倒だ。無視しとけ」
 淡々と変わらないテンションのままの三月ウサギは、やはり何事もなかったかの様に席に戻っていく。
 素晴らしく動じない人だ…アリスは少し憧れた。
「失敬な。まるで僕だけ変みたいな言い方だな〜☆ みっつんだって僕と類友な癖にー」
 むぅと頬を膨らませて帽子屋も席に座ってぼやく。次の瞬間やや強めに後頭部を眠りネズミに叩かれてへこんでたけど。
 類は友を呼ぶとは言うが、少なくとも現在のアリスの中で帽子屋の信頼は低い。
三月ウサギみたいに動じない人が帽子屋のように暴走するなんて俄には信じられない話だった。
 だんだん馴染んできている気がしたものの、アリスは一刻も早く元の日常に戻ろうと改めた。
 そんな騒がしい面々を眺め、芋虫は決意を固めたアリスに穏やかな笑顔を向ける。
「今日のところはまぁ…騒がしいけれど泊まっていくといいわ。元の世界に戻る方法を探すのは明日からになさいな」
 誰から聞いたのだろう、それだけ告げた芋虫は家の中へ入って行く。

 庭で再びお茶会を始めたらしい帽子屋達は置いておいて、気になったアリスはそっとその後に続いた。
 芋虫はついてくるアリスに気付いていながら特には何も言わず、少女趣味な家に戻ると静かに台所に立つ。
 そこにはお店のウィンドウで並んでいるような綺麗なお菓子やケーキがテーブルの上にズラリと並べられていた。
 ……おいしそう。ごくりと唾を飲みこんだアリスは何だかんだで空腹を感じられるくらいの余裕があったらしい。
「食べても構わないわよ。向こうであの馬鹿と話しながらより、こちらでゆっくりお食べなさいな」
 エプロンをつけ直しながら芋虫は笑んで、丁寧にカットしたケーキを数種類ずつお皿にのせてアリスにどうぞと進めてくれる。
 改めて見れば見るほどに妖艶な雰囲気と大人の色気がある芋虫は極道のようでいて、ホストのようにも思える。
 これで口調とエプロンさえなければとても格好良い男性なのだが、とまで考え、ふと疑問をぶつけてみた。
「…芋虫さんって、男の方…ですよね?」
 女だと言われたらどうしようかと若干不安に思いながら。
「女に見える? 見ての通りで合ってるわよ」
 クスクス笑いながら芋虫は着々と手際よく新しいケーキを作っていく。
(…性格が外見に似合わない人って居るのね)
 アリスはしみじみ思い、出されたケーキを頬張った。なんて美味しいのだろう。
 程好い甘さが口の中に広がっていき、幸せな気分になる。次のケーキを口に運ぶ合間、好奇心から再び質問をしてみた。
「帽子屋さんとはお付き合い、長いんですか?」
「えぇ……まぁ三月ウサギ程じゃないけど長いと言えるわね……、」
 芋虫は不意に言葉を途切れさせ、何か言いたげに口を一度開くとアリスを見た。そして少し眉を寄せて言った。
「もしかして貴女、アタシがオネェだと思ってる?」
 違うのだろうか。アリスはじっと芋虫を見返す。何処からどう見ても男の人にしか見えないし声だって低い。
 偏見ではないけれど(もしかしたら偏見なのかも知れないが)男の人が女言葉を話している理由で思い付くのはその辺りだったのだが。
 アリスの思考が止まる。……え。じゃあ何なんだろうか、この人は。
「いえ、間違っては、居ない、わ……よ? 多分。男が女の口調ならそうね、そう思って当然よね……」
 芋虫本人としても微妙な様子で僅かに疑問系だ。もしかして、今まで誰も疑問に思わなかったんだろうか? この人の口調に。
 …………。気まずい沈黙が流れる。
「芋虫は男女共に相手が出来る女性の言葉使いが癖な雄だよ。アリス」
 いつから居たのか。むぐむぐと出来立てのチョコケーキを頬張っていたチェシャ猫が沈黙を破った。
「チェシャ猫、いつの間に……というか癖、なの?」
 チェシャ猫の神出鬼没に多少なりとも慣れたアリスは聞く。チェシャ猫はこくりと頷いて、話を続けた。
「うん。だから、雄で間違いない。交尾の時だって相手が雄でも雌でも芋虫が入れるほ―」
「チェシャ猫! 余計な事は言わなくて良いのよ。貴女も、これ以上は知らなくていいの」
 ゴフッ、とチェシャ猫を黙らせる為に口の中へとケーキを突っ込んで芋虫が告げる。
 一体、何を入れるのだろうか。気にはなったが何となく聞かないままの方がいいとアリスは察した。

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 コホン。 咳払いをして作業を一通り終えた芋虫はアリスの向かいの椅子に座った。
「まぁ……大体の状況は貴女が帽子屋達と話している間にチェシャ猫から聞いて知っているわ」
 芋虫の言葉で、あの時急に居なくなったと思っていたチェシャ猫の所在が発覚する。
 アリスは無言でミルクを一気飲みするチェシャ猫をチラリと見た。そうならそうだと一言くらい声をかけて欲しかったと思うのは勝手だろうか。
 芋虫はそんなアリスを見ながら話を続ける。
「恐らく、ここは貴女の居た場所と異なる世界、そして貴女が来た原因なのは白兎で間違いないわね」
 カリカリと判りやすく紙に図を書いて芋虫がアリスに説明していく。
「アタシ達は元の世界に戻る方法は残念ながら判らないけれど、知っていそうな人物には心当たりがあるから明日にでも訪ねてみるといいわ」
 安心なさいと微笑んで芋虫はアリスにホットミルクのおかわりを入れた。
 お礼を言ったアリスは差し出されたカップを受け取って、ほっと一息をつく。
 何にせよ戻れるかもしれないと分かれば少しは安心できるというものだ。
 ただ、戻る前にあの変態白兎だけは 一発ぶん殴らないと。アリスはケーキを頬ばりながら改めて決意したのだった。




 目覚めれば、そこはいつもの見慣れた自分の部屋。頭から耳が生えた変態も居なければ、甘党の変人の姿もない。
 何だ。あれはやはり夢に過ぎなかったのかとアリスは胸を撫で下ろし、それにしても妙な夢を見たものだとベッドに足を下ろした。
 瞬間、そこにある筈の床は無くなって、代わりに白いポッカリとした穴が口を開けるように待ち構えていた。
(――っ〜〜〜な、なな!)
 余りにも有り得ない現象。そしてデジャブ。またもや少女は落ちていく。
 白くて深い、穴の中へとまっ逆さまに――


「…………もう、ここは現実と受け止めるべきなのかな…」
 アリスが嫌な悪夢から目覚めても、そこは昨夜と変わらず少女趣味丸出しな帽子屋の部屋だった。

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 身なりを整え、リビングへ向かえばエプロンをつけた芋虫が笑顔で出迎えてくれた。
「おはよう。よく眠れたかしら?」
 甘い匂いのするホットケーキをお皿に移す芋虫にアリスがはい。と挨拶を返すと、帽子屋の少し間延びした声が聞こえる。
「芋虫は心配性だね〜☆ 人間っていうのは案外、図太いから大丈夫だヨ♪ ねっ」
 彼の前には出来立ての甘いホットケーキ。生クリームでデコレーションされた上に、大量のハチミツが溢れていた。
 それを美味しそうに食べている帽子屋は、なんというか。しかも、それは二皿目のおかわりらしいとテーブルのお皿の数を見て気付いてしまう。
 見てるだけで甘ったるく、胸焼けがしそうな朝食にアリスは軽く引いた。
 一度この人の思考回路がどうなって狂ってしまったのか見てみたい衝動に駆られるが、知らない方が幸せだろう。
 数秒の間、呆然と立ち尽くすアリスにチェシャ猫がおはよう。と告げた。
「……おはよう。チェシャ猫」
「芋虫。俺はご飯と味噌汁が良い」
 我に返ったアリスの近くの席に座ると、チェシャ猫は普通に食べたい献立を告げる。
「…私も出来ればチェシャ猫と同じが良い…」
 チェシャ猫の隣に座ってアリスも同意した。流石に朝から甘いものは入らない。と、いうか帽子屋を傍で見ていれば誰も食べる気がしない。
「それだけで良いの? 玉子焼きとかもついでに作れるわよ?」
 芋虫は嫌な顔ひとつせずに聞いた。何だか反射的にお母さんと呼んでしまいたくなる包容力もとい調理レパートリーだ。
「俺、だし巻き。味噌汁は大根と豆腐」
 そんな中で寝癖を適当に直しながら入ってきた三月ウサギが半分眠ったままの眠りネズミを座らせて、注文を付け足す。
 その隣に腰を下ろすと、よぉ。と向かいに座っていたアリスとチェシャ猫に声をかけた。
「おはよう、三月ウサギに眠りネズミ。相変わらずねぼすけさんだね」
「うにゅ……おは、よ」
 チェシャ猫の声にぴくりと反応して、眠りネズミは返事をするも、すぐにすやすやと寝息をたててしまった。
 何とも微笑ましく穏やかな朝の風景だろうか。用意してもらった朝ご飯を美味しくいただきながら、アリスはしみじみ思うのだった。


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