chapter1ー02『帽子屋とお茶会』

終末アリス【改定版】



 まず最初に訪問者に気付いたのはテーブルの真ん中に座っているシルクハットを被った人。
 飾りなのだろうか、帽子にはリボン?にクローバーをあしらったトランプが刺さっている。
 奇抜な格好なのに不思議と違和感がないのは、似合っているからなんだろう。
 黄緑を基調としたスーツを着ているこの人物がチェシャ猫の言っていた帽子屋という人なのかと尋ねようとしたアリスは次いで、固まった。
 先程まで隣に居たハズのチェシャ猫の姿が見えない。慌てて左右前後を確認しながらあの印象的な姿を探すけれど一向に彼の姿は見えない。
「え……あれ、チェシャ猫!?」
「いらっしゃいお嬢さん。この帽子屋に何の用かな〜?」
 焦るアリスがたまらずチェシャ猫を呼んだ直後、帽子を被った人がその整った顔立ちに似合わない間延びした声で話しかける。
 やはり、名乗ったように彼が帽子屋なのだろう。しかし混乱するアリスは今、それどころではない。 チェシャ猫が居なくなると困る。凄く困る。
「っ……チェシャ猫、知りませんか? さっきまで私の隣に…」
 気付けばアリスは焦った様子で聞いていた。そんなアリスを暫し眺めて帽子屋はまぁまぁ、とたしなめる。重ねて紳士的にも椅子を引いて席を進めてくれた。
「とりあえずは座りなよ。チェシャ猫くんなら、その内またふらりと姿を現すだろうから☆ それより君もお茶飲んで落ち着こ〜」
 コポコポとカップに紅茶を注ぎ、帽子屋はおずおずと座ったアリスにカップを差し出す。にこにことすすめられては、断りにくい。
 そして落ち着かなくてはならないというのも事実だ。急がば回れと言うではないか。アリスは折角なのでいただく事を決めた。
 カップにもクローバーが可愛らしく装飾されている。隣に見える少女趣味全開の家もこの人の趣味なのだろうか。
「お砂糖は何個入れる〜? ホットミルクでミルクティー☆ とか?」
「えっと…じゃあ砂糖3―」「無しでそのまま飲みな」
 問われてから三個と言う間もなく低い声が遮った。声のした方を向けば、茶色い立派なウサギ耳が生えた黒い短髪の青年。
 白い兎耳の青年とはまた違う、黒の印象。前髪も邪魔にならない短さで、そのはっきりとした顔立ちは精悍だと思った。
 ゆったりとした黒のパーカーを着たその茶色いウサギ耳の青年は美味しそうなチョコケーキを頬張りながら、淡々と言葉を続けた。
「忠告だ。ソイツは重度の甘党だから、そのポットに入ってるのが丁度良い」
 甘党……と言われても、基本的に甘さが控えめな紅茶に好みで砂糖は必要だと思うのだけれど。
 アリスがそう言おうとしたより先に、帽子屋が不満そうな声を上げる。
「えぇ〜っ?! みっつんが甘いの苦手なだけだって〜☆ 砂糖は最低でも25個はいるよ!!」
 いやそれは入れすぎだと思う。即座にアリスは帽子屋を驚愕の表情で見返してしまった。
 みっつんと呼ばれた青年は慣れているのか薄く笑う。
「……苦手、な。まぁ、普通に甘いものが好きだったとして、例えば熱いホットミルクがあるだろ? それにたっぷり砂糖をブチ込んで、その上に生クリームトッピングして更に練乳、それだけじゃ飽きたらずハチミツまで入れたモノを飲まされてもみろ。苦手にもなるわ。つか、いい加減に異常味覚だと気付け」
 淡々としたその人の話を聞いてアリスは引いた。甘ったる過ぎるを通り越して多分それは、ある意味で兵器だ。
 言い返すついでにアリスにも分かりやすく説明をしてくれたのだろう青年は白い兎耳の青年より親切なようだ。同じ兎耳種族にもいろいろあるらしい。
「…やっぱり砂糖無しでいいです」
 今の話を聞く限り、このままで充分だと分かるので、アリスはいただきますと告げてからカップに口をつけた。
 砂糖を入れなくても充分に美味しかった。ふと、さりげなく帽子屋の方に目を向ければ、おかわりしたカップに溶けきれない砂糖を導入し、こんぺいとうを浮かべて何故かご満悦。
 もはや浮かべている筈のこんぺいとうは溶けきれない砂糖に刺さっているといった様子なのだが、まさか、本気でアレを飲むのだろうか……。
「失敬だな〜、みっつんは。ちゃんと甘さ控えめにしたのを出したのに」
 続けられた恐ろしい台詞は気の所為にしておこうと思った。とりあえず帽子屋の変人っぷりはよく分かったので慣れるしかないとアリスは判断する。
「ところでアンタ、何の用があって来たんだ?」
 はぐ、とケーキを咀嚼して茶色い兎耳の生えた人が改めて聞いてきた。
 あんな荒唐無稽な話をしても信じてもらえるのだろうか。むしろ大丈夫だろうか。チェシャ猫には不思議とスラスラ話せたけれど。
「みっつん、まずは自己紹介しないとっ☆ 君は相変わらずデリカシーがないなぁ〜」
 迷っていると帽子屋が言ってアリスに向き直る。そういえばアリスも名乗っていなかったと気付いた。とんだ失礼である。
「チェシャ猫くんが珍しく誰かを連れて来たんだ。興味あるのは分かるけど、あんまりがっつくと時計屋くんみたいに嫌われるよ〜☆ ね?」
 ね? と小首を傾げて同意を求められても。時計屋くん? まさか無機物まで擬人化しているのだろうか。
 時計に手足と顔が生えた――というよりは胴体が時計という未知の生物を思い浮かべたアリスは遠い目をした。
 ノーコメントにしておこう。今更な気もするが、この帽子屋の軽口に付き合う程の余裕はないのだ。
「…えと、では改めて。乙戯アリス、です」
「アリス? ……変わった名前だな。俺は三月ウサギ。既に分かってるとは思うけど、アンタの隣に居る変人の甘党が帽子屋、それから反対側で寝こけてるのが眠りネズミ」
 言われて順番に視線を移すと、眠っているネズミの耳が生えた女の子が隣に居た。今まで意識しなかったのは、少女が静かだったからだろう。
 水色の綺麗な長いストレートヘアーで案の定、ネズミの耳の部分が出せる形の青い帽子を被っていた。
 大きめの長袖も薄い水色で短パンは青。太ももから足の爪先まではこれも水色のブーツで、そして少女は眠っていた。
 すやすやと寝息を立てる、恐らく自分より年下の少女――眠りネズミのあどけない姿を見たアリス暖かい気持ちになった。
 何だろう。とても癒される。そんな衝動に身を任せるがまま、アリスはぎゅっと眠る彼女を抱き締めていた。
「ぽぇ?」
 眠気の覚めきらないまま反射的に寝惚けた声を出した眠りネズミは、焦点の合わない視線でぼんやりとアリスを見返す。
 無言で眠りネズミを抱き締めたアリスから、小さな呟きが聞こえる。
「……っ…か」「「か?」」
 帽子屋と眠りネズミの声が重なり、次いでアリスがキラキラとした瞳で眠りネズミに頬擦りするまで一瞬であった。
「可愛い……っふにふにっ……癒される……!」
「えぇえ!? なに、壊れちゃった〜?」
「かわ? ネムが……っ!?」
 ぎゅううっと眠りネズミを更に強く抱き締めるアリスに帽子屋がスッと一歩引いた。
 眠りネズミは驚き、一気に目を覚まして頬を染める。パクパクと口を開きはするが何も言えずされるがまま戸惑っている。
 そして、三月ウサギだけは平然と紅茶をすすり事の成り行きを見物していた。

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「…成る程。アンタはあの白兎に巻き込まれて気付いたらこの世界に居た。で、チェシャ猫に会ってここまで来たのか」
 正気に戻ったアリスから話を聞き終えた三月ウサギは淡々とまとめた。
 まるで何事も無かったかのように。アリスは頷きながらいたたまれなくなる。よもや己が暴走してしまうなんて生き恥だ。
 視線を隣に移せば、可愛がって甘やかしてずっと抱き締めていたい程に可愛い子が居る。
 だって……可愛いかったんだもの……と、心の中で言い訳をしながらアリスは三月ウサギに視線を戻した。
「まぁ、別に寝泊まりする位は構わないんじゃねーか?」
 三月ウサギの問いに帽子屋はん〜と間延びした声を出した。何だろう。妙な感じだ。
「うん。僕もね、構わないっちゃあ、構わないんだけど〜、アリスちゃんは白兎が嫌いなんだよね?」
 顔は笑っているが何となく怖い気がするのは、多分気の所為じゃない。
「あの、嫌いだとしたら何か問題でも……?」
「大有りだから〜っ!! しろたんを嫌いな人は僕の敵だ。そして、殺したくなっちゃう☆ だから――」
 帽子屋は服の袖にしまっていたらしい、およそ裁縫には似つかわしくない程に凶悪な長さの裁縫針を出した。
 そして、躊躇いもなくその針の切っ先がアリスに向けられる。
「君が彼を嫌いだったら〜、もれなく僕が寝てる所を襲っちゃうぞ♪ って訳」
「…………っ!!」
 そんなに明るい口調で言う事だろうか。アリスは後退してふるふると首をふった。
 帽子屋の細長い針はぶれなくアリスの真横を掠めていく。その冗談では済まされない行動に思わず冷や汗が伝う。
 ヤバイ。この人、本気だ! 身の危険をヒシヒシと感じる。逃げなければと考えるけど、一体どこへ逃げれば良いのか。
 怖い。普通に怖い。座っていた椅子が音を立てて倒れた。死にたくはないが、かといって他に頼りはないのだ。
 何とか気を取り直してもらおうとアリスが帽子屋に意を決して向き直った直後。
「随分と楽しそうだねアリス」
 不意に、無感情な声がした。声のした方を見るとそこにはチェシャ猫の姿。
「っチェシャ猫!!」
 天の助けとばかりにアリスはチェシャ猫に駆け寄った。チェシャ猫はよしよしとばかりにアリスの頭を撫でてはくれなかったが、何かしらの問題があった事は察したようだ。
「うん? どうしたの」
「帽子屋の白兎気狂い病だ」
 尋ねたチェシャ猫の問いにはアリスの代わりに三月ウサギが答えを返す。それだけで伝わるとは、どうやら共通認識らしい。
 アリスを宥めながら、チェシャ猫はうーんと帽子屋に視線を向ける。因みに帽子屋は三月ウサギによって止められていた。
「面倒臭いな。どうしようか」
 面倒臭いで、済まされる問題なんだろうか? アリスは帽子屋を見つめて思う。三月ウサギにがっちり後ろから掴まれているが、視線はしっかりアリスを向いていて、何かを呟いている。
「しろたんを嫌いだとか、しろたんのせいだとか、勝手に言っちゃってくれてるけど、しろたんの事をよく知りもしない癖にそれはないよねえ、しろたんは僕の最大の萌えなんだよ? しろたんの敵は殺すんだから放せよ〜 みっつん」
 口調は変わらないのに表情が合ってない。否、正確には瞳だけ笑っていない。知らなかった事とはいえ、すまなかったとは思うけれど、あそこまで暴走出来るものだろうか。
「帽子屋はね。白兎が好きで好きで好き過ぎて白兎の事になると、ああやって気が狂った様になるんだよ」
 動物の生態系を説明するようにチェシャ猫が言ってくれたが、あれを見れば誰でも分かると思う。強制的に知らなければならない禁句だと嫌でも認識する。
「…止めなくて、良いの?」
 自然とチェシャ猫に聞いた。今はもう何処へ消えていたのかと聞いている場合じゃないし、とりあえず帽子屋を止めないと話が進まない。
 しかし、チェシャ猫の返答は一言だけだった。
「…面白いのに?」「…………」
 アリスは相変わらず笑んでいるチェシャ猫をまじまじと見返していた。
 まさかこうなる事が分かってて何処かへ消えたんだろうかと疑惑が浮かぶ。
「あー……鬱陶しい。ネム、芋虫を呼んでこい」
 その合間に、面倒そうにに帽子屋を抑えている三月ウサギが眠りネズミに言った。
 いもむし? 一体 この状況で虫に何が出来るというのだろう。
 びっくりして三月ウサギに視線を向ければ、眠りネズミは何の疑念もなく頷いて、眠そうにしながら少女趣味丸出しな家に入って行く。
「聞き間違いかしら……今、芋虫って言葉が聞こえたのだけれど」
 アリスの問いにチェシャ猫は笑う。
「聞き間違いじゃないよ。見てれば分かる。面白いから」
 この人の行動原理は面白いか否かなんだろうか。そう突っ込みたかったが、とりあえずは何も言わないまま見守ろうと思った。


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